島田翰への同情


明治大正期の漢学者、島田翰(あざなは彦楨、1879-1915)は、大才を抱きながらも虚言を弄する、一風変わった学者です。その著『古文旧書攷』(民友社、1905年)には卓見と虚言が混在しており、なかなかあつかいに悩ませられます。

宮内庁蔵の北宋版『通典』についても、同書を高麗における覆刻と見る、妙な説を唱えています。田中慶太郎(1880-1951)は島田翰の友人であったのですが、これについて、「好んで異を立てたもの」とその非を指摘しつつも、島田氏には同情すべき点があるとして、次のように言います。

當時は明治初中年間の好事者は已に凋落し、新しき版本學者の擡頭しなかつた過渡時代であつた。……。彥楨がその學問文章鑑識を以てして、斯界を空うする態度を取つたのも、寧ろ恕すべきであると思ふ。 (『羽陵餘蟫』文求堂書店、1938年、乙部、「通典二百卷」pp.167-168)

これが「恕すべき」理由なのかどうか、首をかしげたくなりますが、ともかく、島田氏に対する田中氏の同情を読み取ることはできます。さらに続けて『通典』に関する仁井田陞(1904-1966)の論文を紹介する中で、あらためて島田氏およびその師である竹添進一郎(1842-1917、号は井井)に説き及んでいます。

仁井田陞氏の「通典刻本私考」〔『東洋學報』二十二ノ四〕は的確有用なる考證である。最も快心事は仁井田氏が静嘉堂文庫所藏の竹添井井翁手校『通典』を紹介し、翁の治學方法の正當にして見識あることを表現せられたことである。井井翁が愛弟子たる島田彥楨を深く心にかけて居られた真情熱意には、其間に在つた筆者も今なほ新たなる如き感銘が在り、豪放不羈なる彥楨も井井師に對しては心から推服して居つた純情を思慕する者である。 (同上、pp.168-169)

竹添井井と島田翰との間にあった師弟愛について、どうしても語っておきたかったのでしょう。その場に居合わせた時代の証人として。いささか脇道に逸れたこの記述に、亡き友をしのぶ田中慶太郎の人柄を見る思いがします。

ただし島田氏に対する田中氏の評価は、決して甘いばかりではないようです。『論語義疏』について、島田氏は、邢昺疏を背面に注記した珍しい本を見た、と主張しますが、これについて田中氏は次のように言って、にべもありません。

『古文舊書攷』には新井某氏の許で見た義疏の古寫本には邢疏が背記されて居つた、後人が背記の邢疏を皇疏へ竄入したのであるとのことを記してゐる。さうあつても然るべきことではあるが、筆者はこの皇疏だけの古寫本を見たことが無いから何とも言へない。 (同上書、甲部、「論語義疏十卷」p.73)

我が国に伝わる梁の皇侃『論語義疏』にはどういうわけか、北宋の邢昺の疏が必ず併記されているのですが、島田氏の言うとおりであるとすると、古い形としては紙背に注記されていた邢昺の疏が、いつからか正面に転記されるようになった、ということになります。そうだとすると面白いのですが、何しろ、その本は島田氏以外に誰も見た者がないのです。「見たことが無いから何とも言へない」とした田中慶太郎のこの記述、持平の論というべきでしょう。

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