興味をひく虚言


宮内庁書陵部に北宋版『通典』一部を収蔵しますが、島田翰(1879-1915)は同書を北宋版ではなく、「高麗にて北宋版を覆刻した版」と考えました。もともとこの考え方は、『経籍訪古志』に小島学古(名は尚質、号は宝素。学古はあざな。1797-1849)の説として見え、島田氏がこれをふくらませて「高麗覆北宋版」説を強化したものです。

この「高麗覆北宋版」説に関する再検証が、尾崎康氏「通典の諸版本について」(『斯道文庫論集』14号、1977年)に見えます。

そもそも小島学古の説というのは、お茶の水図書館現蔵『説文正字』、(おそらく宮内庁現蔵の)『御注孝経』、宮内庁現蔵『文中子』(『中説』)、国会図書館現蔵『姓解』、そして宮内庁現蔵『通典』の五書を挙げ、これらにいずれも「高麗國十四葉辛巳歲/藏書大宋建中靖國/元年大遼乾統元年」(双郭長方印、6.6 x 3.6 cm)という印がある事実を根拠として、「紙質、墨色など北宋版とやや異り、朝鮮国で開雕したものか」と推定したものです(尾崎氏論文、p.274)。

この印の存在は、上記の五書が高麗王の旧蔵品であり、韓半島を経由して我が国に入ったことを示すものです。しかし島田翰は、これだけでは「高麗版」の根拠としては、弱いと思ったのではないでしょうか。そこで島田氏は、自分の見た『荀子』と『列子』にも同じ印があると言って証拠の数を増やし、それらの書物がすべて「高麗覆北宋版」である、と主張したのです。

とりわけ面白いのは、自分の見た『列子』の版心には、高麗の府名を含む「南原府摹印」なる文字があったと、島田氏が書いたことです。以下、尾崎氏の論文を引用します。

『列子』も、『古文旧書考』に八巻二冊、川越新井君より収得した高麗覆北宋本として著録され、張湛注の八行二十一字本、宋諱を避けず、両印(引用者注:上記の高麗国十四葉印および「経筵」印)を捺し、巻一第一葉の版心に高麗府名の「南原府摹印」と、また刻工に徐開、趙政の名があるという。

島田翰の指摘のように趙政は『通典』の刻工にもおり、紙質、字様、刀法、体式ともに高麗の覆宋本の様式で、前掲の『孝経』、『姓解』、『通典』、『説文正字』、『中説』、それに次の『傷寒論』もみな高麗覆宋本であるとするが、この本(引用者注:高麗本『列子』)の存在を伝えるものは他にない。

「南原府摹印」の五字は、事実であれば「確是宋建中靖国以前、高麗依宋初刻本而所繙雕」ということにもなろうが、それにしても興味をひく虚言ではある。(p.276)

それ以外にも、島田翰は『播芳続集』にも「経筵」印があると主張しますが、その印自体、確認できません。尾崎氏はねばり強く考証を重ね、内閣文庫蔵本の同書に、印の切りとりらしい跡を見いだされ、島田氏が「切りとって経筵印のものとみせかけたのではないか」と推測されています(p.304)。島田翰の主張の根拠は、かなり複雑に構成されており、検証も容易でないことが知られます。

北宋版『通典』の本文価値が高いという事実の指摘をはじめとし、尾崎氏の論文には実に多様な知見が盛り込まれていますが、ここで詳しく紹介することはできません。その後、尾崎氏のご尽力により、宮内庁蔵の北宋版『通典』が影印され(汲古書院、1980年)、学界を大いに裨益した佳話だけは、ここに書き留めておきたいと思います。

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