「道と史の間:中国の近代的アイデンティティを探究した二人の歴史家」


陳寅恪(1890-1969)と傅斯年(1896-1950)の史学を論じた、アクセル・シュナイダー氏の論文、「道と史の間:中国の近代的アイデンティティを探究した二人の歴史家」を読みました。

Axel Schneider, “Between Dao and History: Two Chinese Historians in Search of a Modern Identity for China”,
History and Theory, Vol. 35, No. 4, Dec., 1996, pp. 54-73

我が国の幕末・明治時代がそうであったように、19世後半から20世紀前半にかけての中国も、近代化の問題に直面しました。それまでのように、自国を中心にものを考えればよいとわけではなくなってしまったのです。その波紋は、政治・制度・軍事はもちろん、教育・文化・生活にいたるまで、社会のすべての面に及びました。

このような激動期にあって、学問もまた変わらざるをえず、史学もその例外ではありませんでした。この時期に史学がどう変容したのか、シュナイダー氏は二人の代表的な歴史家、陳寅恪と傅斯年をとりあげて論じます。

中国では伝統的に、道(上古に行われた理想の道)と史とが相互に関わりあい、史は道に従うものと見なされた、とシュナイダー氏は考えます。史学とは一種の道の体現であり、道の観念なくして歴史叙述は成り立たないと、確かに多くの中国の士大夫は考えたのでしょうし、それは彼らに特徴的な思考であったと言えるかも知れません(この部分、ベンジャミン・シュウォルツ氏の議論を参照しているとのこと)。

陳氏と傅氏は、ともに歴史家として「新史学」の構築を目指したのですが、そこで両氏が道(伝統的な規範)に対して如何に向き合ったのか、というのがシュナイダー氏の問題意識であり、両者の対比がなされており、それを私なりにまとめ直してみます。

  • 道と史との関係をめぐり、陳氏は両者がそれぞれの価値を有すると考えたので、史学は伝統的な道の観念から自由になった。一方、傅氏は、あるがままの事実を明らかにすることこそ史学の任務と考え、西洋の自然科学モデルを導入したが、そうすることで道の伝承を自負する伝統史学と断絶した。
  • 陳氏は、中国文化にも他の文化にも、通底する普遍性が存在し、それぞれの特殊な文化が普遍性のある側面を体現すると考えた。それに対して傅氏は、歴史事実が普遍的な法則(自然の摂理など)に従うと考えた。
  • 中国文化とは何かについて、陳氏は三綱五常を核心としつつ(民族精神と呼ばれる)、多様な外国文化を選択的に吸収して展開したものと考えた。こうして核心を持ちつつも変容し続ける中国文化の像が生み出された。一方、傅氏は、(他の文化と同様)中国文化の独自性も、地理・環境などの要因で説明できると考えた。

このように、陳氏と傅氏の歴史観・世界観は相当に異なるものの、シュナイダー氏は両者の共通点も指摘します。歴史を叙述する際、両者とも、歴史事実を組み合わせて筋書きを作る手法をとらず、史料を提示しそれに短いコメントを加えるスタイルを取ったことなど。これは見逃しがちな点です。おそらく清朝考証学の影響を受けたスタイルでしょう。

私自身は傅斯年の著作をまだよく読んでおらず、説の当否を言うことはできませんが、陳寅恪についての分析は適確であると感じました。「道と史」という二本の軸の設定は、この論文の論旨の中では十分に有効ですが、その構造が中国史の根幹をなすものとまでは断言できないようにも思われます。それについては、関連の議論を読んで一度じっくり考えてみたいものです。

陳寅恪を論じた欧米の研究は少ないので、このシュナイダー氏の論考には大いに目を見張りました。

【追記】

この論文は、シュナイダー氏の博士論文の要約です。その博士論文の書誌は以下の通り。

Axel Schneider, “Historiographie im Konflikt zwischen Gelehrsamkeit, Weltanschauung und politischen Handeln: Verdeutlichat anhad der Historiographie Fu Sinians und Chen Yinkes vom Institut für Geschichte und Philologie der A cademia Sinica” (Bochum, May 1994).

この博論はその後、タイトルを少しく変えて出版されました。

Axel Schneider, Wahrheit und Geschichte: Zwei chinesische Historiker auf der Suche nach einer modernen Identität für China,
Wiesbaden: Otto Harrassowitz Verlag, 1997.

その書物に対して以下のレビューがあります(ただし英語で要旨を説明してあるだけで、あまり参考にはなりません)。

Review: Wahrheit und Geschichte: Zwei chinesische Historiker auf der Suche nach einer modernen Identität für China [Truth and History: Two Chinese Historians in Search of a Modern Identity for China] by Axel Schneider
Review by: A. S.
History and Theory, Vol. 39, No. 1 (Feb., 2000), pp. 144-145

私にはドイツ語の原著を読む力がありませんので、英語の要約論文を取り上げました。ドイツ語に堪能な方は、ぜひハラソヴィッツ出版から刊行された原著をお読みください。

【追記2】
シュナイダー氏の著書、中国語に翻訳されていました。気がつきませんでした。

《真理与历史 : 傅斯年、陈寅恪的史学思想与民族认同》
(徳) 施耐徳著 ; 关山,李貌华译 (喜玛拉雅学术文库, . 阅读中国系列)
社会科学文献出版社, 2008.6

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