『七略別録佚文』の出版年


姚振宗(1842-1906)がまとめた『七略別録佚文』『七略佚文』の二書は、目録学上、実に重要な著作です。しかし、それらは姚氏の生前に出版されることはありませんでした。以前、開明書店版の『師石山房叢書』(1936年)に付けられた年譜をてがかりに、このブログに姚氏の著作の出版経緯をまとめました。

  • 民国6年(1917)、張鈞が「適園叢書」に『後漢藝文志』『三國藝文志』を収録。
  • その後、数年して楊立誠が「文瀾閣珍本叢刊」に『七略別録佚文』『七略佚文』『漢書藝文志條理』『漢書藝文志拾補』を収録。
  • 民国21年(1932)、陳訓慈が浙江図書館より、「文瀾閣珍本叢刊」から『七略別録佚文』『七略佚文』『漢書藝文志條理』『漢書藝文志拾補』を取り、さらに『隋書經籍志考證』を印行し、『快閣師石山房叢書』として出版。

さらに次のように書きました。

上記のうち、楊立誠の「文瀾閣珍本叢刊」というものがどうしても確認できないのですが、『快閣師石山房叢書』が1932年に出版されて以降(この叢書の編集経緯は、「文瀾閣珍本叢刊」との関係で、少し複雑であるかも知れませんが、完成したのは1932年らしく思われます。待考)、ようやく姚振宗の学問が広く知られるようになったと考えてよいでしょう。

この記事を書いた当時、ちょうどアメリカに滞在中で資料を見られずにいたのですが、最近、確認してみて、いわゆる「文瀾閣珍本叢刊」についてある程度分かりましたので、メモしておきます。

京都大学人文科学研究所の図書室には、中江文庫というコレクションを収めていますが、その中に、浙江省立図書館編の『快閣師石山房叢書』があります。

快閣師石山房叢書

清 姚振宗 撰 民國十八年至二十年 浙江省立圖書館 排印本 3册
漢書藝文志拾補卷第四以下隋書經籍志攷證闕
京大人文研 本館 中江文庫 中江-130

七略別録一卷 漢 劉向 撰 清 姚振宗 輯 
七略七卷 漢 劉歆 撰 清 姚振宗 輯 
漢書藝文志條理六卷 
漢書藝文志拾補六卷 
隋書經籍志攷證八卷

見てみると、その第1冊巻頭の「快閣師石山房叢書目録」には、「叙」(実はこれは『七略佚文』の叙で、『快閣師石山房叢書』の叙ではありません)のほかに、『七略別録佚文』一卷、『七略佚文』一卷、『漢書藝文志條理』八卷、『漢書藝文志拾補』六卷、『隋書經籍志考證』五十二卷、『後漢藝文志』四卷、『三國藝文志』四卷、以上、7種の書目が並びます。しかし、『漢書藝文志拾補』の巻四以下と『隋書經籍志考證』『後漢藝文志』『三國藝文志』とを欠いています。おそらく出版が順調に進まず、不完全な本となってしまったものでしょう。

「珍本叢刊」刊記
「珍本叢刊」刊記

出版年については、第1冊末に「中華民國十八年十月出版/珍本叢刊」、第2冊末に「中華民國十九年五月出版(第二期)/珍本叢刊」、第3冊末に「中華民國二十年二月出版/(第三期)/珍本叢刊」と、それぞれ奥付が見えますので、民国18年(1929)から民国20年(1931)にかけて出版されたことが分かります。

奥付には書名を「珍本叢刊」としていますので、『快閣師石山房叢書』は、この「珍本叢刊」の一部、という位置づけのようです。各冊に貼付された題簽にもまた「珍本叢刊/〔張人傑/題簽〕」の文字が見え、かえって『快閣師石山房叢書』の名は隠れています。

1912年、浙江省立図書館の前身である浙江図書館は、有名な文瀾閣本『四庫全書』を受け入れていますから、これにちなんで「文瀾閣珍本叢刊」の称があったかとも想像しますが、少なくとも、いま取り上げている「珍本叢刊」には「文瀾閣」の文字はありません。

『七略別録佚文』『七略佚文』の正確な出版年を知りたいと思い、再び調べてみたのですが、それが中華民國18年10月であると確認できました。

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段玉裁のひと工夫


嘉慶二十年(1815)に出版された段玉裁『説文解字注』は、漢字学の金字塔です。読めば読むほど面白い本なのですが、使い方によっては問題も生じます。

段玉裁は自分の考えに基づいて、『説文解字』の内容をいろいろと改めました。そのため、一般的な『説文解字』と違いが生じているのです。ですから、『説文解字注』の本文=『説文解字』の本文ではないので、『説文解字注』に依拠して『説文解字』を引用するのは危険です。『説文解字注』以外にも、四部叢刊所収の大徐本『説文解字』などを手元に置いて比較するとよいと思います。

さて『説文』第一上、上部の「上」字について、段玉裁が大改修を行っていることはよく知られています。すなわち、大徐本などでは、まずTを上下逆さにしたような字、「丄」を「古文」として掲出し、次に縦の画に歪みのある「上」字を「篆文」としているのですが、一方で段氏は、まず「二」に似た「𠄞」という字を「古文」として掲出し、次に「丄」字を「篆文」として掲げています。お手持ちの方は、段注本と大徐本とを比べてみてください。

2011年以来、信頼のおける電子版『説文解字注』を作りたいと考え、「点注会」というグループを組織して、月に二度ほど読書会をしています。その読書会の席でも、段玉裁の改変にはしばしば遭遇するのですが、昨日の点注会でも、面白い発見がありましたので、ご紹介します。

段注、臧字籀文
段注、臧字籀文

それは三篇下、「臧」という字の「籒文」として掲げてある字でした。その字について、段玉裁は、次のように注をつけています。

按:宋本及『集韵』、『類篇』皆從二。今本下從土,非。

段氏の掲げる籒文には、「臧」の「臣」の部分の下に二本の線が見えます。段玉裁がいうとおり、『集韵』や『類篇』には、「臣」の部分の下に二本の線がある楷書「𢨑」が確認できます。

しかし他の大徐本を見ると、「臣」の部分の下には、二本の線ではなく、縦の画に歪みのある「上」字があるのです(ここでは便宜上、藤花榭版の大徐本の写真を挙げましたが、他の大徐本もおおむね同様だろうと思います。)。これは一体どういうことでしょうか?

大徐藤花榭本、臧字籀文
大徐藤花榭本、臧字籀文

おそらく段玉裁は、『説文』「臧」字の籒文の「臣」の下にある、歪んだ「上」字を、いったん(数字の「二」ではなく「上」の古文の「𠄞」として理解し、その上で『集韵』や『類篇』を参考に、籒文の「𢨑」字を作ったのでしょう。

他の『説文』諸本とは一致しませんが、『集韵』や『類篇』に見える形に通じます。『集韵』や『類篇』に見える「𢨑」字を見つけた段玉裁は、さぞ嬉しかったことでしょう。縦画の歪んだ「上」字を、「臧」字の籒文についても『説文』から排除できたのですから。

はじめて段注のこの部分を読んだ時、「皆從二」は、数字の「二」にしか見えなかったのですが、読書会の席で、白須裕之先生のお話をうかがっていろいろと考えてみて、数字の「二」ではなく、上下の「上」の(段玉裁説における)古文「𠄞」なのだと納得できました。白須先生に深く感謝する次第です。