『詩文声律論稿』


啓功『詩文声律論稿』を読みました。啓功氏(1912-2005)については、自伝を紹介したことがありますので、ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、本書は啓功氏が中国の詩文における「平仄(ひょうそく)」の問題を取り上げた一書です。

啓功『詩文声律論稿』
中華書局,1977年

平仄といえば、多くの人が、「唐詩の作詩上の決まりごと」と理解されていると思います。もちろんそれは誤りではなく、本書『詩文声律論稿』でも、大きな紙幅を近体詩(律詩と絶句)の説明にあてています。

しかし本書の題名に「詩文」「声律」の語が含まれることからも分かるように、より一般的に中国語で書かれた韻文・散文の声律が、本書では取り上げています。詩ばかりでなく、『史記』の文章や、駢文・宋詞・元曲まで、実に広く中国文の声律が論じられているのです。

平仄というのは、もともと「決まりごと」だったわけではなく、次第に意識されるようになった音の美しさを、後の世の人が「決まりごと」としてまとめたものですから、唐代の詩より以前から平仄が存在したのは当然です。

啓功氏は、二文字を一つの単位とし、それを小箱(盒)にたとえます。二文字のうち、一文字目を箱のふた(盒蓋)に、二文字目を箱の本体(盒底)に見立てるのです。そのうち後者がより重いこともまた箱と同様で、駢文でも近体詩でも、二文字目の平仄は、互い違いにしなくてはなりません。

たとえば杜甫の詩に次の一聯が見えます。いま「盒底」だけをとりあげ、平声を赤で、仄声を青で示してみましょう。

徑 曾 客 
門 始 君 

「徑」が仄、「曾」が、「客」が仄。そして「門」が平、「始」が仄、「君」が平。互い違いに排列されています。さらには、こうして並べてみれば明らかなように、同時に「徑」が仄でその隣の「門」が平、「曾」が平でその隣の「始」が仄、「客」が仄でその隣の「君」が平となるようにも排列されているのです。

「盒底」の平仄を交互に配るという決まりが守られていることが分かります。それ以外にも各句の末字も平仄を違えねばなりません(この場合、「掃」が仄、「開」が平)。

こういうことは『唐詩概説』などにも書いてある近体詩の決まりですが、それを小箱に見立てて説いたところが愉快です。

なお、ある漢字が平声であるか、仄声(上声・去声・入声)であるかを知るためには、漢和辞典をめくればよいのですが、調べなくても、中国語の「普通話」を学習した日本人ならば、ある程度、見当がつきます。

さて、以上はむしろ常識に属する平仄の話ですが、啓功氏が強調するのは、ほとんどすべての中国文は平仄を意識して書かれているということです。賈誼の「過秦論」に人名を列記して、「有寧、徐、蘇、杜之屬為之謀,齊、周、陳、昭、樓、翟、蘇、樂之徒通,吳、孫、帶、兒、王、田、 廉、趙之朋制其兵」とあるのですが、この列記にすら、(交互というわけではありませんが)平仄が意識されているというのですから、驚きです。

平仄は近体詩だけのものではありません。

平仄の平というのは、啓功氏によれば抑揚の揚、つまり高く上がった調子。仄とは抑、つまり低くおさえた調子を表現します。この抑揚により、中国文の声律が支えられているとみるわけです。本書の末尾に書かれた啓功氏の言葉を味わい、見習いたいものです。

うまく文章を読み上げる人は、文中の思想や感情を伝えるだけでなく、声律の重要な鍵をも表現することができるものなのだ。

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「『詩文声律論稿』」への4件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2013年5月10日
    ◎「うまく文章を読み上げる人」。
    『朱自清古典文学論文集』を見ましたら、「論朗読」(P.152)に曾国藩の『家訓』を(黄仲蘇『朗誦法』の銭基博序から)引いていました。「如四書・『詩』・『書』・『易經』・『左傳』・『昭明文選』、李・杜・韓・蘇之詩、韓・歐・曾・王之文、非高聲朗誦則不能得其雄偉之槪、非密詠恬吟則不能探其深遠之趣」。これは読書法を訓えたものと思います。
    啓功氏の「うまく文章を読み上げる人は、文中の思想や感情を伝えるだけでなく、声律の重要な鍵をも表現することができるものなのだ」の「うまく文章を読み上げる人」は読者を指すものと思いますが、「伝える」、「表現する」は作者を指すように思われます。「啓功氏の言葉」の論点は、読む者、作る者、いずれでしょうか?藤田吉秋

    1. 藤田様

      コメントをお寄せ下さいまして、まことにありがとうございます。さて、訳は確かに曖昧でした。啓功氏の言葉は、すべて朗読の仕方についていっているものです。以下に、文脈も含めて原文を掲げます。

      「從前文人誦讀文章,講究唸字句有輕重疾徐。有人不但讀詩詞拿腔作調,讀駢散文章也常是這樣。還有人主張學文章要常聽善讀的人誦讀,最易得到啓發。現在可以明白,所謂善讀文章,除了能傳出文中思想感情之外,還能把聲調得重要關鍵表現出來」(p.188)。

      「非高聲朗誦則不能得其雄偉之槪」の句,これまで知らず、こうしてお教えいただき、心底嬉しく思っております。感情をこめて朗誦する文章は、やはり黙読にまさるものと思います。

      古勝隆一

  2. 古勝先生 はじめまして。

       台湾高雄市在住の岡田と申します。今は民間の外国語学校で日本語を教えています。

    >なお、ある漢字が平声であるか、仄声(上声・去声・入声)であるかを知るためには、漢和辞典をめくればよいのですが、調べなくても、中国語の「普通話」を学習した日本人ならば、ある程度、見当がつきます。

    擁、究など仄声が第1声に読まれるもの、また跳の様に平声が第1、2声以外に読まれる字のような若干の例外を除き、普通話と現代日本漢字音を知ってれば平仄はすべてわかります。平声の目安となる普通話の第1声と第2声の字のうち、入声由来の字を除けば良いということで、3種の入声(p,t,k)のうちtとkは現代日本漢字音でも容易にわかるのは周知の通りですが、旧仮名表記で「ふ」で表されたp入声字は「ふ」が「つ」に変化したものを除いてすべて「う」でおわる長音表記(う長音)になっているので入声だとは気づきにくかったです。そこで、小生はう長音で読まれる漢字からp入声を割り出す方法を考案しました。結論から言うと、

    日本語でう長音、且つ、普通話の韻母がa,e,i,ia,ieの5種のうちいづれかならば、その字は唇内入声(p入声)である。

    例  答 da2 とう→たふ  合 he2 ごう→がふ 吸 xi1 きゅう→きふ
        
       峡 xia2 きょう→けふ  協 xie2 きょう→けふ

    理由は先人の研究などでも言及されていますが、p入声(及び平上去のm韻尾の字も)の韻尾は唇を使って調音されたので母音の円唇性が排除されたというもの(異化作用)。またp入声字の主母音は単母音である事(即、二重母音はとらない)。そうすると、普通話の単母音6種(a,e,i,o,u,uのウムラウト)のうち後3者は排除されます。残りの3つ(a,e,i)のうち介音に成れるのはiのみなので、組み合わせ上(a,e,i,ia,ie)の5種が導かれます。

    よって普通話で上記5種の韻母の字で、現代日本漢字音でう長音なら唇内入声即ち仄声。

    ただし、この方法での例外有。 入 ru4 →円唇単母音  本来の発音はri4 本来の発音では英語のfuc●の意味の禁忌語になるので、避けるために口を丸めるようになった(李栄1982年の論文より)

     凹 ao1 ,wa1 それぞれ別の語に当てた音(藤堂明保先生の漢和辞典による)凹の本来の音は圧や鴨と同じ。

    普通話の例外読みには理由があるようです。

    また給の音のうちgei3は二重母音なので正則の発音に非ず。 ji3が本来の音

    実は、以上の内容を2007年、当時学んでいた台湾の銘伝大学国際学術研討会にて発表したことがあります。題して『日本語と華語による漢字の平仄判別法』 ただ、応用日本語系の内輪での発表だったので、たいした注目もされませんでしたが(笑

    古勝先生がこの方法を有用だと思われましたら、学生さんたちにも伝えてください。乱文失礼しました。

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