光緒刊本『東塾讀書記』


広州版『東塾読書記』
広州版『東塾読書記』

近ごろ、陳澧(ちんれい,Chen Li,1810-1882)の『東塾読書記』を読みました。有名な書物ですが、これまで通読してみたことはなかったのです。

著者の陳澧は広東番禺の人。字は蘭甫、号は東塾。道光十二年(1832)の挙人。『東塾読書記』のほか、『声律通考』『切韻考』『漢儒通義』などの著作があります。

数年前、京都大学人文科学研究所に蔵する同書、すなわち光緒年間広州刊『東塾読書記』を調べたことがあります。それを思い出しましたので、その版本の概要を載せておきます。

子部 儒家類 考訂之屬
東塾讀書記二十五卷 佚稿一卷
清 陳澧 撰   光緒中 廣州 刊本  7册
(『東塾讀書記』)原闕卷第十三第十四第十七至第二十第二十二至第二十五
京大人文研 東方 子-II-3-64

本書の巻数は25巻となっていますが、これは陳澧が目録だけ作ったものの、未完に終わった部分を含んだ巻数です。以下の巻については、本書の目録に「未成」とされています。

卷十三「西漢」/卷十四「東漢」/卷十七「晉」/卷十八「南北朝隋」/卷十九「唐五代」/卷二十「宋」/卷二十二「遼金元」/卷二十三「明」/卷二十四「國朝」/卷二十五「通論」

それを除く巻、すなわち完成された巻を以下に示します(「西漢」巻は未完ではありますが、一応、最終冊(第七冊)に収められるという、便宜的な処置になっています)。

  • 卷一「孝經」
  • 卷二「論語」
  • 卷三「孟子」(以上,第一冊)
  • 卷四「易」
  • 卷五「書」
  • 卷六「詩」(以上,第二冊)
  • 卷七「周禮」
  • 卷八「儀禮」
  • 卷九「禮記」(以上,第三冊)
  • 卷十「春秋三傳」
  • 卷十一「小學」(以上,第四冊)
  • 卷十二「諸子書」
  • 卷十五「鄭學」(以上,第五冊)
  • 卷十六「三國」
  • 卷二十一「朱子書」(以上,第六冊)
  • 卷十三「西漢」(未成,第七冊)

この光緒年間刊の広州版は、『東塾読書記』の版本としては最も古いもの。巻首には、同治十年(1871)二月の陳澧の「自述」と、それに対する門人、廖廷相(1842-1897)の案語があります。その廖氏の案語に「(光緒)八年正月二十二日、先生卒、年七十有三。所著『東塾讀書記』、得十二卷、又三卷、已刻成」と見えますので、この本は光緒八年(1882)に陳澧が逝去した後、門人の手によって出版されたものと知られます。

この書物は、考証でもメモでもなく、まるで学生に語りかけるように書かれており、実に活き活きとしています。特に礼と小学の部分の記述に感動しましたが、それはいずれ紹介することといたしましょう。

【附録】ご参考に供するため、陳澧「自述」と廖廷相「案語」を摘録しておきます。

「自述」:「余年六十有二、大病幾死、自念死後書我墓石者、虚譽而失其真、則恧矣。生平無事可述、惟讀書數十年、著書百餘卷耳。病愈、乃自述之、或者壽命猶未艾乎、他時當有續述也。述曰、陳澧、字蘭甫。先世江南上元人。祖考捐職布政使司理問、遷廣東番禺。考候補知縣。生二子、長諱清、次則澧也。年十歳、知縣君卒。年十五、伯兄卒。十七、督學翁文端公考取縣學生。明年、録科第一、同時諸名士、皆出其下。文端公命入粤秀書院肄業。……。生平不欲為文章、然有為先人而作者、及為親友碑傳事蹟不可没者、故過而存之。晩年所著書、曰『東塾讀書記』、今未成。……。同治十年二月述。」

「自述」廖廷相案語:「廷相謹按:光緒七年、兩廣總督張公、廣東巡撫裕公、以南海朱子襄先生及先生名奏請量加褒異。其年七月初三日、奉上諭、朱次琦、陳澧、均著加恩賞給五品卿銜。八年正月二十二日、先生卒、年七十有三。所著『東塾讀書記』、得十二卷、又三卷、已刻成。其餘未成稿本十卷、遺命名曰『東塾雜俎』。又文集若干卷、均俟門人及兒子編録云。門人廖廷相謹誌。」

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