門柱にぶつかる


龍谷大学蔵『論語義疏』
龍谷大学蔵『論語義疏』

この四月以来、京都大学の授業で皇侃『論語義疏』を読んでおり、なかなか面白い発見があります。今日読んだ部分の『論語』郷党篇の義疏には、次の一文がありました。

門左右兩橽邊,各竪一木,名之為棖。棖以御車過,恐棖觸門也。(「立不中門」義疏。龍谷大学蔵、文明年間写本によります

門の左右の蝶つがいのわきにそれぞれ一本ずつ柱を立て、それを「棖」と呼ぶ。「棖」は車が通過するのを制御し、門に接触しないように設けたもの。

常識的にいえば「棖」というのは門の両側の柱です。どの辞書にも、そのように書いてあります。それを皇侃が車がぶつからないように云々と解説しているのが、不可解でした。どう考えても理解できません。

困ったので、訓詁の書である郝懿行(1757-1825)『爾雅義疏』を見てみました。すると次のことが分かりました。中国が南北に分断されていた南北朝時代のこと、南の人たち(「南人」)は、物に物をぶつける意味で「棖」といっていたそうなのです。

そのせいで、どうやら「南人」である皇侃は、経書の中で門柱を意味する「棖」ということばについても、物に物をぶつけることを連想したようです。英語でbumpと言えば、物をぶつけることですが、皇侃は「棖」と聞いて、bumperのような物を思い浮かべたのでしょう。そして、門柱にぶつかるものといえば、車が頭に浮かんできたのでしょう(古代では門を車が通ることがありました)。

『論語』皇侃疏云:「門左右兩橽邊,各豎一木,名之為棖。棖以禦車過恐觸門也」。然則棖訓為觸。『文選』「祭古冢文」注:「南人以物觸物為棖」,是其義也。(『爾雅義疏』巻中之

ここに引用された『文選』とその李善注とを当たっておきます。

『文選』巻六十,謝惠連「祭古冢文」:「刻木為人,長三尺,可有二十餘頭,初開見,悉是人形,以物撥之,應手灰滅」。注:「南人以物觸物為也」。

この「祭古冢文」なる作品は、謝惠連(407-433)という詩人が、ある古墓を通り過ぎたときのことを描写したもので、そこで彼は二十数体の木彫りの古い人形を見たのですが、それを物でコツンとたたいてみたところ、その途端にくずれてしまった、という話です。その一文に対する李善注に、「南の人は、物を物にあてることを棖という」とします。この場合の「棖」、一種の方言というわけです。

「棖以御車過,恐棖觸門也」という「棖」の解釈は奇説というべきで、『論語義疏』以外の文献には見えぬようです。皇侃に、言葉遊びのような説が多いことは、すでに喬秀岩氏『義疏学衰亡史論』(2001年、白峰社)、193頁にも指摘がありますが、この「棖」の例も面白いと思います。「棖」と聞いて、皇侃はその門柱に車がぶつかる様子を連想しただけでしょう。本当に車がぶつからないように柱が設置されていたというわけではありませんし、礼学上の根拠があるわけでもなさそうです。

こうして、皇侃が言いたいことが分かり、心の底からすっきりとしました。これも郝懿行のおかげ、そして李善のおかげです。

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“門柱にぶつかる” への 6 件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2013年6月4日
    ◎「棖以御車過、恐觸門也」・「各豎一木」。
    「御」字、武内校本も知不足斎本も「禦」としてあります。「御」に作る本がありますか?武内氏校勘記、「文明本觸上有棖字。恐衍。今依他本削正」。
    また、武内校本は「各竪一木」、知不足斎本は「各豎一木」。これには武内先生の校勘記はありません。
    ◎「古代では門を車が通ることがあり」。
    于公・于定国の故事を思い出しました。「少高大閭門、令容駟馬高蓋車」。
    ◎「以物棖撥之」・「南人以物觸物爲棖」。
    今の訓読は「物を以て之を棖撥(たう・はつ)するに」としますが、『文選』古訓は「つき・ふるに」、「ふれ・あはくに」としています。『説文』の「棖、杖也」を段氏は「未詳」としていますが、「(杖で)つく」ということでしょうか。
    ◎「本当に車がぶつからないように柱が設置されていたというわけではありません」。
    寺の門には自動車がぶつからないように「防禦」のための柵が設けられていることがあります。京都にはそんな例がたくさんあると思います。driverにとっては邪魔ですが、大切な門を守るためには大事な働きをします。馬車(牛車)は自動車よりももっとぶつけやすいでしょうから、皇侃の時代も防御用の柱は設置されていたのではないでしょうか。
    藤田吉秋

  2. 藤田様

    コメントくださいまして、まことにありがとうございます。

    これまで、『論語義疏』の写本の写真はなかなか入手できませんでしたが、最近はウェブ上に公開されたものがいくつか見られるようになりました。中でも、武内本の底本である、龍谷大学蔵、文明年間写本が公開されたことは、実にありがたいことです。下記のリンクからご覧ください。

    http://www.afc.ryukoku.ac.jp/kicho/cont_04/pages_04/v_menu/0403.html?l=2,2

    この本を見ると、「御」と作っており、なぜか武内本とは合いません。このような相違点がしばしば目につくので、龍谷本の写真を手元に置くのが安心だと思うようになりました。

    また、京都大学附属図書館でも、清家文庫蔵の〔南北朝時代〕写本の写真を公開しております。同本には欠巻がありますが、これもよい資料と思います。

    http://m.kulib.kyoto-u.ac.jp/webopac/ufirdi.do?ufi_target=catdbl&ufi_locale=ja&pkey=RB00007937

    この本でも「御」となっていますし、また有名な本では天理図書館蔵の清熙園本などでも「御」と作っています。

    『説文』の「棖、杖也」、段氏はどう考えて未詳といったのでしょうか、分かりません。朱駿聲は「樘とほぼ同じ、柱の意」と理解しています。

    また、皇侃の時代にも門を守るために設備があったかもしれないとのお説、そうかもしれないと一方で思いつつ、やはり皇侃も門柱の意で「棖」を理解したのではないか、と愚考しております。

    今後ともよろしくご教示くださいますよう。

    学退復

  3. 古勝 隆一先生
                            2013年6月4日
    拝復。
    ご教示のサイト確認しました。
    ◎「棖以御車過、恐棖觸門也」・「各豎一木」。
    「文明本」2字目の「棖」に「イ无」と注記があります。「異本(イ)には『棖』字が無(无)い」。「清家文庫本」も「恐棖觸門也」としています。武内先生の「棖字。恐衍」はやや早計か、と思いました。
    また、「豎」は「文明本」、「清家文庫本」ともに「竪」としています。
    武内先生の後記に、

    遍觀祕府野黌之藏
    周捜世家名刹之儲

    と記されています。綺麗な対句と感心していましたが、校本は作り直す必要がありそうですね。
    藤田吉秋

  4. 藤田様

    さっそくご確認いただき、ありがとうございます。さて、「豎」の件、恥ずかしながら見落としておりました。修正いたしました。

    学退復

  5. 古勝 隆一先生
                            2013年6月9日
    ◎「皇侃に、言葉遊びのような説が多いことは、すでに喬秀岩氏『義疏学衰亡史論』(2001年、白峰社)、193頁にも指摘が」。

    喬秀岩氏の「『論語義疏』編撰上の特徴」(P.5~P.46)には以下のような記述はありますが、「言葉遊びのような説が多い」との指摘は、193頁に見当たりません。

    *「皇疏の内容は、先儒の旧説を引用した部分が大半を占める」。P.23
    *「その文章が修辞的で、対句も整えてあって、うっかりするとこれが経書解釈の書であることを忘れてしまいそうだ」。P.37
    *「必ずやその勤にして、全篇に亘って経営努力を貫き、全面的な考訂を行ったから、始めてこれほどの集大成の偉業を成し遂げ、世に重んずる所となったのだろう」。P.46

    「言葉遊びのような説」とは『論語義疏』のいずれを指していわれたものでしょうか?
    藤田吉秋

    1. 藤田様

      お返事差し上げます。分かりづらくて申し訳ありません。申し上げたかったのは、喬秀岩氏の書物のp.193、『礼記子本疏義』の「名為絻者,絻,免也,若著之,則成服脫之猶是一寸布,以其可着可脫,故曰絻也」「所以謂髽者,婦人着之則髽髽可憎,因為名耳」という二ヶ所につき、『礼記正義』が「附会を排斥」するため、この部分を取らなかったことを述べた部分です。

      これについては少し考えがあるので、いずれ書いてみたいと思っています。

      学退復

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