君子は何を好むのか?


『礼記』緇衣篇に次の一段があります。

子曰:唯君子能好其,小人毒其。故君子之朋友有鄉,其惡有方。是故邇者不惑,而遠者不疑也。『詩』云:「君子好仇」。

このまま読むと、孔子が説いたという大意は、次のようになりましょうか。「君子だけが正しい人間を好むことができ、小人は正しい人間を害する。だから君子が友とする人々には傾向があり、嫌う対象にも類型がある。だから身近な人は君子の好悪の判断に戸惑うことはないし、遠くの人も疑いを抱かない。『詩経』にもこういう、「君子は自分にふさわしい相手を好む」と」。

君子は「正」を好む、というわけですが、これについて後漢の鄭玄は、「正の字は、きっと匹の字の誤りだろう。匹とは、知人友人のこと(正當為匹字之誤也。匹謂知識朋友)」と言います。つまり、君子は自分にふさわしい友を好む、というわけです。しかし鄭玄は用心深い人ですから、「匹」の方が正しいと考えたものの、自分の意見で経書の文字を変更してはおらず、誤字とみなした二つの「正」をそのまま保っています。

陸徳明『経典釈文』では、この部分、「正の字音は匹、下文も同じ。注がその根拠(正音匹,下同。出注)」と言っています。経文がすでに「正」で固定している以上、それを改めるわけにもゆかず、変則的に読みだけは「匹」と読んでしまう、という便法です。決して「正」の字に「匹」という発音があったというわけではありません。

また孔穎達『礼記正義』も、「君子能好其正者,匹,匹偶。言君子能愛好其朋友匹偶」と言って、鄭玄説に従っています。

後世の学者の中には、鄭玄説を信じずに、やはり「正」の字で読むべきではないか、と考えた人もいました。こじつけのように思ったのでしょうか。

ところが、ここ数十年あいつぐ「出土文献」ラッシュの中で、地下から二千数百年前の「緇衣篇」が出土したのです!しかも二種類も!一つは上海博物館に収められる竹書で、もう一つが湖北省の郭店という地から出土した竹書です。

郭店『緇衣』(部分)
郭店『緇衣』(部分)

それらの竹簡には一体、どう書いてあったのでしょうか?それを以下に示します(機械上の問題があるため、表記にはいい加減な部分があります。印刷された書物を確認して下さい)。

  • 子曰:惟君子能好其,少人豈能好其?古君子之友也有𣈅,其惡也有方。此以邇者不惑,而遠者不疑。『寺』員:「君子好仇」。(『上海博物館蔵戦国楚竹書(一)』上海古籍出版社,2001年,pp.196-197)
  • 子曰:惟君子能好其,少人豈能好其?古君子之友也有向,其惡有方。此以邇者不惑,而遠者不疑。『寺』員:「君子好逑」。(『郭店楚墓竹簡』文物出版社,1998年,p.131)

つまり、上博簡は「君子能好其匹」と作り、郭店簡は「君子能好其駜」と作ります。『郭店楚墓竹簡』の注釈によると、この「駜」は「匹」の通仮字。まさに鄭玄の言うとおり、「正」ではなかった、ということになります。

鄭玄の学問の精確さが知られる一例です。

『経典釈文』では、『易』姤卦の王弼注「正乃功成也」について、「正は、匹に作る本もある(正亦作匹)」と言います。隷書以後の文字では、「正」と「匹」とが容易に混同されていたことが知られます(兪樾『礼記鄭読考』に説が見えます)。

『礼記』緇衣篇の「唯君子能好其正」についていうと、鄭玄以前の段階で「正」と誤って伝えられていたものを、鄭玄が指摘したのでしょう。

最近、晁福林氏「《禮記・緇衣》文本的一樁歷史公案」(《山西大學學報(哲學社會科學版)》36-1, 2013年1月)という論文を読みました。教えられることも多い論文でしたが、「匹」が「正」に変わった理由は、単に形が近いために生じた誤字でなく、戦国時代における思想史の展開によるものだという晁氏の結論には、残念ながら同意できませんでした。

ただ、どのような経緯で「正」の字が「匹」に取って代わったのか、それは確かに気になるところではあります。その時期については、虞万里氏『上博館蔵楚竹書《緇衣》綜合研究』(武漢大学出版社,2010年,p.161)は「正、匹相混似應定在文、景或武帝以後」と言い、前漢の文帝期以後と推測されています。

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