宰我はなぜ昼寝をしていたのか?


『論語』公冶長篇に、次の一段があります。

宰予晝寢。子曰:「朽木不可雕也,糞土之牆不可杇也。於予與何誅」。
宰予が昼寝をしていた。子はいわれた、「朽ちた木材に雕刻を施すことはできないし、汚い土でできた土壁は塗ることができない。宰予については、責めてもしかたないほどだ」、と。

宰我(宰予)は、孔子の高弟。『論語』先進篇に「德行: 顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語:宰我、子貢。政事:冉有、季路。文學:子游、子夏」と、「言語」に長けた弟子としてその名が見える、「孔門十哲」の一人なのですが、『論語』の中では数度にわたり孔子の厳しい叱責を受けています。

昼寝をしていた宰我が、孔子から厳しく叱られたという、ただそれだけの話でしょう。しかし、「言語は宰我、子貢」と称せられた宰我がそんな間の抜けたことで叱られるとは思えない、きっとそれにはわけがあったに違いない、という解釈が存在したらしいのです。ずいぶんと、うがった解釈ですが、その説が梁の皇侃『論語義疏』に、一説として見えています。

一家云:與孔子為教,故託迹受責也。故珊琳公曰:「宰予見時后學之徒將有懈廢之心生,故假晝寢以發夫子切磋之教,所謂互為影響者也」。范寧曰:「夫宰我者,升堂四科之流也。豈不免乎晝寢之咎以貽朽糞之譏乎?時無師徒共明勸誘之教,故託夫弊迹以為發起也」。
ある立場によると、こうだ。(宰我は)孔子とともに教えを施そうとして、叱責を受けるという表面上の行いに仮託したのだ、と。だから珊琳公は、「宰予は、後学の者たちに怠慢の心が生じそうなのを見て取り、だから昼寝に仮託して孔子の勉励の教えを喚起したわけであり、いわゆるお互いに響き合う、ということ」、という。また范寧は「宰我といえば孔子の堂に昇り、(徳行、言語、政事、文学の)四科のうちに入る人物。昼寝をして叱られ、朽ちた木材だの汚い土だのと言われて譏りを後世に伝えられるようなことがあろうか。当時、師弟が一緒になって後学を勧誘する教えがなかったので、そこでそういうだめな行いに託して、孔子の教えを引き出したのだ」、という。

宰我は、居眠りをしたかったわけでもないのに、孔子の教えを引き出して後輩たちを戒める目的のために、わざと昼寝をして、孔子に叱られてみせた、というわけです。珊琳公(釋慧琳のことか?)・范寧(4世紀の人)、二人ともその説を唱えています。当時にあっては、受け入れやすい説であったのかもしれません。

実にうがった解釈なのですが、それにはわけがあります。魏晋南北朝時代の学者たちは、「迹」(表面上の事実)の裏には、より深遠な「所以迹」(表面上の事実を引き起こす仕組み)と呼ばれる世界があると考えていました。『荘子』郭象注に基づく考え方です。

同じように、偉人の行いにも、その裏に奥深い理由があると考えたのでしょう。それゆえ、宰我がわざとだめな「迹」を示すことによって孔子の教えを引き出した、という発想も、彼らにとってはそれほど荒唐無稽なものでもなかったように思われます。