難書を解釈する方法:分節・絵画・釈例


陳澧(ちんれい,Chen Li,1810-1882)の『東塾読書記』(八「儀礼」)に興味深い指摘があります。

『儀礼』は難読であり、昔の人が同書を読んだのには、おおむね次のような手がかりがあった。第一に分節、第二に絵画、第三に釈例である。今の人は古人の後に生まれたが、それらの方法を身につけて『儀礼』を読めば、この経書に通ずることも難しくない。

難解な『儀礼』を読み解くために、古人は、第一に『儀礼』の本文を腑分けして理解し、第二に図を描くことによって理解し、第三に凡例を作って理解した。そのようにいくつかの工夫をこらして読んだ、というわけです。

難しい書物は、古人にとってもやはり難しかったので、理解のためには工夫せざるを得なかった、ということなのでしょう。陳澧の趣旨は、「後漢の鄭玄の注、唐代の賈公彦の疏などに『儀礼』読解の工夫が見える」ということですので、以下、それをかいつまんでみます。

分節

  • 賈公彦は『儀礼』の本文に対し、「どこからどこまでは、何々を論ずる」と説き、これが全書を貫いている。「有司徹」の鄭玄注が「どの句からどの句まで(自某句至某句)」としばしば言っており、これが賈疏の分節の手法の由来である。
  • 賈公彦の疏による『儀礼』分節には、たいへん細密な部分がある。たとえば、「聘礼」の「君使卿韋弁,歸饔餼五牢」以下の部分を三節に分ける。特に「有司徹」の疏は腑分けが細かい。
  • 朱子『儀礼経伝通解』は、賈公彦よりもさらに系統的に分かりやすく節を分けている。

絵画

  • 鄭玄も賈公彦も、注釈を書いたとき、必ずまず図を描いた。たとえば「士冠礼」の「筮人許諾,右還,即席,坐」の鄭注に「東面,右還北行就席」というが、これなどは図を描いて考えたに違いない。
  • 『儀礼』の中には、斜めに体を向ける、身をよじるなどの場面があり、これも図を描いてみないと理解できない。
  • 「郷射礼」の「司馬出於下射之南,還其後,降自西階」や、「燕礼」の「若君命皆致,則序進,奠於篚」には、きわめて詳しい疏がつけられているが、これらは動作が非常に複雑で、図にも描きにくいので、ことによると祭具をしつらえて礼の練習をして、はじめて分かったものかもしれない(「綿蕝習之,乃知之耳」)。
  • 宋の楊復『儀礼図』(「通志堂経解」に収める)は、偉大な業績。張恵言『儀礼図』がより詳細で、広く読まれている。
  • 張恵言『儀礼図』によせた阮元の序に、「いずれ家塾の子弟に、地面に線を引いて礼の練習をさせ、経書の研究も半分の労力で倍の成果をあげることになればよいと思う」と言っている。私(陳澧)自身も、礼の実習をしてみたことがあるが、確かに「半分の労力で倍の成果」であった。
  • 焦循「習礼格」では、宮室を碁盤のように描き、碁石を人物に見立てている。

釈例

  • 『儀礼』自体にすでに凡例的な記述があり、それが「郷飲酒礼」の「記」や、「郷射礼」の「記」に見える。
  • 鄭玄は、『儀礼』の凡例を数十条ばかりも指摘しており、それをまとめれば『儀礼凡例』が出来るほどだ。
  • 賈公彦は、鄭玄が示した凡例をさらに充実させた。

以上、陳澧がまとめた「古人の『儀礼』読解法」をご紹介しました。昔の人もいろいろと読書に工夫をこらしたものか、と想像すると、感慨深く思われます。『儀礼』に見える礼の多くは、後世、失われてしまったので、古人も苦労したのでしょうね。

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