人名と『説文解字』


陳垣『中国仏教史籍概論』巻二には、『続高僧伝』(巻十一、法侃伝)の次の文を引きます。

侃初立名,立人安品。後値內道場沙門智騫曰:「侃之為字,人口為信,又從川字。言信的也」。因從之。

法侃は、初め名前を付けたとき、人偏に品を置く形(「偘」の字)にしていた。後に内道場の沙門智騫に会った所、「侃という字は、人の口を信となし(人に口と書くのは信という意味であり)、また川の字に従う。言葉に信頼性があり明らかなことである」と言うので、これに従った。(知泉書館版、p.71)

陳垣はこの一節を根拠として、智騫という僧が小学に詳しかったことを証しています。まことに注意深い読書というべきです。

当時、南北朝時代から唐代にかけての頃、「侃」の字はしばしば「偘」とも書かれました。しかしながら、智騫は「侃」と書く方が、「偘」と書くよりもよいと考え、用字を変えることを法偘に助言した、というわけです。智騫のこの説、実は『説文解字』に拠っているのです。

侃,剛直也。从㐰,㐰,古文信;从川,取其不舍晝夜。『論語』曰:「子路侃侃如也」。(『説文解字』十一篇下、川部)

侃とは、剛直のこと。㐰に従い、㐰は「信」の古文、(さらに)川に従い、昼夜を問わずに流れることをいう。『論語』に「子路は侃侃如たり」とある。

「侃」は「㐰」(=信)と「川」とを組み合わせた「会意」の字であるから、「偘」と書いてしまってはその原義が伝わらない、と智騫は考えたのでしょう。当時、『説文解字』が実用されていたことを示す興味深い例です。

ただ、智騫が言ったという、「言信的也」の言葉はよく理解できません。「的」字は何らかの誤字なのでしょうか。

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「人名と『説文解字』」への10件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2014年2月9日
    ◎「取其不舍晝夜」。
    ◎「又從川字、言信的也」、「又從川者、言信的的也」。「また川の字に従う。言葉に信頼性があり明らかなことである」。

    「不舍晝夜」は、『論語』子罕篇第9「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」と『孟子』離婁章句下「原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海。有本者如是、是之取爾」とを示されれば、なお一層親切かと思います。
    また、段注には、「論語曰『子路侃侃如也』、見先進篇。今作『子路行行如也。冉有、子貢侃侃如也』。葢許氏筆誤」としてありました。
    「又從川者、言信的的也」とする本もあるようです。「取其不舍晝夜」を「言信的的也」と置き換えたのでしょうか。「また川の字に従うのは、(川が昼夜を問わず流れるように)言葉が一定して信頼できることを言うのである」。

    藤田吉秋

  2. 藤田様

    コメントお寄せ下さいまして、まことにありがとうございます。「不舍晝夜」、確かに出典を言った方が親切かもしれません。

    「言信的也」もしくは「言信的的也」については、仰るような意味で取ることが可能だとは思います。ただこの場合、訓詁によって人を説得しようというわけですから、「川」から直接に「的」(「的的」)という訓詁が導けないのが、どうも引っかかります。もともと、ズバリと分かりやすい訓詁ではなかったのでしょうか。一応、疑問としてのこさせてください。

    学退復

  3. 古勝 隆一先生
                   2014年2月11日

    法侃と智騫との遣り取りを引くまでもなく、智騫が小学に詳しかった事は、『続高僧伝』巻30「隋東都慧日道場釈智果伝 玄応・智騫」に直接記されています。「言義不通、皆諮騫決」。生き字引のような人。
    「智騫という僧が小学に詳しかったことを証」するならば、陳垣はこれを引くべきではなかったか、と考えます。陳氏の著書は見ておりません。あるいは引いているかも知れませんが・・・。

    『続高僧伝』巻30「智果伝」
    時慧日沙門智騫者、江表人也。偏洞字源、精閑通俗。晩以所學、追入道場。自祕書正字讐校著作、言義不通、皆諮騫決。即爲定其今古、出其人世、變體詁訓、明若面焉。毎曰、「余字學頗周、而不識字者多矣。無人通決、以爲恨耳」。造『衆經音』及『蒼雅』・『字苑』。宏叙周贍、達者高之、家藏一本、以爲珍璧。晩事導述、變革前綱。既絶文褥、頗程深器。綴本兩卷、陳叙謀猷。學者祕之。故斯文殆絶。
    京師沙門玄應者、亦以字學之富、皂素所推。通造經音、甚有科據矣。

    藤田吉秋

  4. 藤田さま

    コメントありがとうございます。少し話を省きすぎてしまい、趣旨が不明瞭になってしまいました。申し訳ございません。

    『隋書』経籍志に「『楚辭音』一卷,釋道騫撰」と見え、さらにその序に「隋時有釋道騫,善讀之,能為楚聲,音韻清切,至今傳『楚辭』者,皆祖騫公之音」とあり、陳垣は、その道騫が、『続高僧伝』に見える智騫と同一人物であることを言うために、ご指摘の智果伝に附された智騫の伝と、法侃伝を引いているという次第です。

    隋志の釋道騫と『続高僧伝』の智騫とが同一人物であることを言ったのは、王重民(1935年。『敦煌古籍叙録』所収)が早いようです。その後、1940年、周祖謨が「騫公楚辞音之協韻説与楚音」(『問学集』所収)を書き、王重民が見いだした敦煌写本『楚辞音義』を分析しています。陳垣の『中国仏教史籍概論』は、そのあたりを踏まえて書いているのだろうと思います。ただし王氏・周氏とも、法侃伝は引いていないので、それは陳氏が気づいたものであろうと思います。

    なお、『日本国現在書目録』では、『楚辞音』の撰者をまさに釈智騫としています(『隋書経籍志詳攷』は、釈道騫についてよく資料を集めていますが、この部分、誤りがあります)。

    王重民『敦煌古籍叙録』を読み直して知ったのですが、かなり早い時期に神田喜一郎氏「緇流の二大小学家」(『東洋学説林』所収)が、『文選集注』中に一カ所だけ釈道騫の佚文があるのを見いだしています。

    王重民が発見した敦煌写本『楚辞音義』は、八十数行を残しており、相当に興味深い本のようですので、周氏の論文をいずれしっかり読みたいと思います。

    学退復

  5. 古勝 隆一先生
                   2014年2月12日

    神田喜一郎先生の「緇流の二大小学家-智騫と玄応-」(1933「支那学」、『全集』第一巻)を確認した所です。「彼が当時に於ける小学の一大権威者として認められてゐたことは想像するに難くない」(『全集』P.162)。
    「隋志の釋道騫と『続高僧伝』の智騫とが同一人物であることを言ったのは」、王氏の『敦煌古籍叙録』が1935年ならば神田先生の方がやや早いかと思います。
    なお、「言信的也」に就いて、神田先生は、法侃立名の逸話(『続高僧伝』巻30「智果伝」)を智騫が小学に詳しかった事の旁証として引くに当たり、「又從川字、言信的也」ではなく「又從川者、言信的的也」に作る本を使われています。どう読まれたのか、今ではうかがうすべもありません。

    藤田吉秋

  6. 藤田様

    ご指摘、ありがとうございます。仰るとおり、確かに、神田氏の方が王氏よりも早く道騫について論証しています。

    なお論文「緇流の二大小学家」ですが、『支那学』第七巻第一号(昭和八年五月)掲載分と、『東洋学説林』(弘文堂、昭和二十三年)所収分とを比較したところ、後者はかなり書き加えられています。後者には「昭和九年六月補訂」とあります。くだんの法侃伝、『支那學』の方には引かれていませんでしたが、『東洋学説林』の方には確かに引かれていました。一年の間に書き足したものということでしょうか。

    いろいろと勉強になりました。お礼申し上げます。

    学退復

  7. 先生方の格調高い議論、興味深く拝見させて頂いております。ところでいくつか初歩的な疑問があり、質問させて下さい。

    [1] 「侃」の説解「剛直」と「信」との繋がりにどうも違和感を覚えます。段注の三篇上言部の「信」を見ると「古多以爲屈伸之伸」とあり、
    また、徐灝『説文解字注箋』の「侃」を見ると、

      从信非取恆義。信古伸字。剛直者自伸説而不爲依阿取容,
      故从信从川者滔滔不絶之意,後世所謂口如懸河卽其意也。

    とあり、こちらの解釈の方が「剛直」に馴染むような気がします。『説文』からは離れてしまいますが、藤堂明保は「信ー申は同系でない」としていますが、「信は速やかに進行する意を含み,スラスラと進むような,いつわりない言行のこと。」『漢字語源辞典』とあります。

    「信」を「伸」と通じるとみるか、藤堂氏のようにとるかは別にして、
    「信」をこれらのように取る方が、「从川」と親和性が良いように思います。そうであれば邦訳で「信」を「信頼性」とするのは意訳しすぎのように感じますが、どうなのでしょうか?

    [2] 「智騫曰」は「又從川字」までと考えて、「言信的也」は「侃」の訓詁ではなく、智騫のことを言っているとは解釈できないのでしょうか?

    [3] 『続高僧伝』はどの版本を見るべきなのか分からなかったのですが、中華大蔵経、高麗大蔵経をみると、「侃初立名」から「因從之」までが割注になっています(大正蔵ではなっていません)。「法侃伝」で割注になっているのは、この部分だけなのはどのような理由なのでしょうか?

    以上の疑問、自分で論を尽くせれば良いのですが、そのような技量を持ち合わせてないということで、ご容赦願えればと思います。  hirsh

  8. Hirshさま

    コメント下さいまして、ありがとうございます。

    さて、第一点につきましては、「信」を必ずしも「伸」と同義とする必要はないように思います(段氏が「古多以爲屈伸之伸」というのも、仮借だというつもりだろうと思います)。「伸」の意味で「信」と書いた例があるのは事実でしょうが。「信」は、まっすぐと正しい、という感じではないかと思います。信頼性と訳すと、確かに理に勝ちすぎるようです。

    第二点につきましては、「因從之」の「因」を重く読めば、それ以前の内容はやはりすべて智騫のことばとするのがよいと思います。智騫がたたみかけるように、「この字の意味は「信的(あるいは「信的的」)」ということ」と語った、ということだと思います。

    第三点は、 『続高僧伝』の原注の問題ですが、確認したところ、確かにおっしゃるように、高麗再雕本は該当部分を双行の割注としており、他方、大正蔵は割注としていません(ちなみに陳垣はこの部分が注であることを明記しています)。最近、高麗初雕本が影印出版されたので、見たのですが、惜しいことに、この巻が欠けていました。しかしながら、『続高僧伝』の他の部分の割注は、初雕本・再雕本とも違いがありませんので、初雕本の巻十一も、もとは双行注であったことが推測できます。大正蔵は、双行注に相当する部分の直前に、一字分の空格を設けて、それ以下の部分が双行であることを示しているようです(そんなことを意識して読んでいる大正蔵の読者はいないと思いますが)。おそらく、組み版上の都合で、双行が組めなかったものと想像します。大蔵経を見る場合、一般に、高麗再雕本は確認しておいた方がよさそうですね。

    『続高僧伝』の原注については、よく考えたことがありませんでしたが、先行研究があるかも知れません。ざっと見たところ、音注など、附記的な内容が多いようです。おそらく、著者の道宣の工夫であろうと想像します。伝は大体、時間軸に沿って書きますが、この部分、それにうまく収まらなかったせいで附記にされたのではないでしょうか?

    学退復

    1. 学退先生、早速ご教示下さり有難うございます。

      「因從之」の所、読みの勢いのようなものが大切なのですね。そのようなものが感じ取れるように、勉強していきたいと思います。

      『続高僧伝』の原注の所、大正蔵に空格があるのは気づきませんでした。ご存知かもしれませんが、高麗大蔵経については以下を利用させてもらっています。電子テクストと各種画像が利用できます。 hirsh

      http://kb.sutra.re.kr/ritk/index.do

  9. Hirshさま、

    高麗藏の電子版、まったく知りませんでした。ご教示、感謝いたします。今後はこれを併用いたします。

    さて、漢語の文言文については、標点がなされていないのが普通で、引用文がどこで終わるのか、分かりにくいことがしばしばあります。文言文を書く人もそれは意識していたことと思います。そこで、引用を終えた後に「蓋」などの発語の辞を置いたり、「案(按)」「竊謂」「今」などと書いたりします(引用文が完全に切れている場合)。あるいは「則」「然」「故」などの接続詞を置き、論理的な関係を明示したりします(引用に続けて話を展開させる場合)。このようにして引用が終わったことを標示することが、よくあるようです。また、引用の末に「云々」と添えるのは、さらに明確な引用終了の標示であることはもちろんご存じと思います。

    この見分け方は万能というわけにはゆきませんが、一種のマーカーとみなすことができます。ご参考になれば幸いです。

    学退復

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