浴衣とかいまき


『論語』郷党篇は難しく、なかなか手強い文献ですが、古代中国の習慣をよく保存していて、読みごたえのある一篇でもあります。「齊,必有明衣,布」という一文は、「斎戒する場合には、きまって明衣を身につけ、それは布(麻布)で作る」と訳せますが、その「明衣」とは何なのか、よく分かりません。

代表的な『論語』の注釈である程樹徳『論語集釈』(中華書局、1990年、p. 685)を見ると、面白いことが書いてありました。

集解・集注、均しく明衣を以て浴衣と為し、皇疏尤も明顯為り。今日本の國俗、浴時に例として浴衣有り、猶お古制也。清初の學者、浴衣の制を知らず、是に於て種種の曲説、此に由りて生ず。……(『論語竢質』、劉氏『正義』の如き)反って誤らざる者を以て誤りと為すは、皆な目、浴衣の制を睹(み)ざるに因りて、故に此の疑い有る也。

集解、集注均以明衣為浴衣,而皇疏尤為明顯。今日本國俗,浴時例有浴衣,猶古制也。清初學者不知浴衣之制,於是種種曲説由此而生。……(如『論語竢質』、劉氏『正義』)反以不誤者為誤,皆因目不睹浴衣之制,故有此疑也。

つまり『論語』に見える「明衣」というのは、何と日本で我々が着ている浴衣(ゆかた)だった、という説。中国では、浴衣に相当するものが失われ、かえって日本に遺っていた、というのが程樹徳の見解です。

同じく郷党篇に「必有寢衣,長一身有半」と見える「寢衣」についても、「今日本の被、領(えり)有り袖有り」と程氏は解釈しています。こちらは、日本の「かいまき」であるというわけです。

「明衣」にせよ「寢衣」にせよ、いずれも後世の中国では失われてしまっていた「古制」が、日本にはあった、と程氏は考えました。

その口ぶりからすると、浴衣とかいまき、程氏はそれらの現物を見たことがあるようです。あらためて調べてみたところ、程樹徳(1877-1944)、福建閩侯の人。光緒三十四年(1908年)の進士。法政大学法科の出身(法政大学の学位を取得した上で進士に合格した)とのことで、程氏が法政出身であることは、法政大学のウェブサイトにも掲載されています。

来日して、浴衣やかいまきの存在を知った程樹徳、大いに愉快であったに違いありません。

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