ジガバチについて


ジガバチという蜂がいます。青虫を狙って毒針で刺して麻痺させ、巣穴に埋め、そこに自分の卵を産み付けるそうです。孵化したジガバチの幼虫は、青虫の体を少しずつ食い、それを食い尽くすと蛹になり、やがて成虫になって飛び立ってゆきます。まことに恐ろしい昆虫といえましょう。

なぜその蜂はジガバチ、と呼ばれるのか?『広辞苑』には次のように言います。

獲物を穴に入れる時、翅をじいじい鳴らすので、古人が「じがじが(似我似我)」と言って青虫を埋めると蜂になって出てくるものと思い、この名がついたものという。

なかなか面白い命名譚なのですが、出典などが分かりません。

さて、中国の人々もこの蜂をむかしから「蜾蠃」と呼んでおり、それは『詩経』にも歌われています。小雅「小宛」の詩、その第三章。

中原有菽,庶民采之。
螟蛉有子,蜾蠃負之。
教誨爾子,式穀似之。

中原に菽有り、庶民 之を采る。
螟蛉に子有り,蜾蠃 之を負う。
爾が子を教誨し,穀(よ)きを式(もっ)て之に似す。

ジガバチが青虫を捕まえて、「教誨」して自分に似せさせる、というわけ。ただ、「似我」のことばは直接的には出てきません。

このジガバチのついて、中国側に興味深い資料があることに気がつきましたので、以下、ご紹介します。

平安時代に菅原是善が、『東宮切韻』という韻書を作りました。中国の隋唐の十三家の韻書をもとに作った、便利な本です。ただ同書はすでに失われていて、数百条の佚文が知られるに過ぎません。元弘三年の奥書を有する『五行大義』(穂久邇文庫蔵、汲古書院から影印本が出ています)には、注記として、その『東宮切韻』が三百条ほど写されています。

中村璋八氏「神宮文庫本五行大義背記に引存する東宮切韻佚文について」(『東洋学研究』11、1955年)は、穂久邇文庫蔵本と同じ内容を持つ神宮文庫本の『五行大義』から、『東宮切韻』を輯佚したものです。そこに、ジガバチの記述が見えるのです。標点は、中村氏のものを踏襲しています。

蛉 陸法言云。螟蛉。小青蟲。釋氏云。食桑者。郭璞云。詩云。螟蛉有子。蜾蠃負之。蜾蠃土蜂。取之致木。空中七日而成其子。里語云。其蜂。祝尚丘云。象々我々。

穂久邇文庫蔵本の影印本によって、これを確認し、新たに標点します。

「蛉」,陸法言云:螟蛉,小青蟲。釋氏云:食桑者。郭璞云:『詩』云:「螟蛉有子,蜾蠃負之」,蜾蠃,土蜂。取之致木空中,七日而成其子。里語云:「其蜂祝云:象我象我」。(影印本下冊、p.536)

中村氏の輯佚に見える祝尚丘は、『東宮切韻』が依拠した十三家の一。穂久邇文庫本には、「祝尚丘」ではなく、ただ「祝」とのみあります。神宮文庫本が「祝尚丘」と作っているのか、あるいは中村氏がそのように整理したのかは、未確認ですが、ともかく、祝尚丘とするのは誤りで、この「祝」は「咒」に通じ、呪文をかける意。

「釋氏」(これも十三家の一です)の説に、「その蜂は咒文を唱えて、『自分に似よ、自分に似よ』という」、そういう「里語」(世俗の伝承)が見えるというわけです。何とも、「似我似我」に似ているではありませんか。むしろ中国では、「象我」蜂であったのです。

さらに言うと、この説は慧琳『一切経音義』巻四十一にも見えているのです。

取桑上虫,負於土中,或於書卷中,或筆筒中,七日而化為子,故俗語云「咒曰:象我象我」。(T54-578b)

『東宮切韻』に引く「釋氏」の説が、慧琳『一切経音義』とどのように関係しているのか、軽率なことを言うわけにはゆきませんが、少なくともジガバチに関する限り、類似する記述が見えています。

中国の唐代頃の人々は、ジガバチの羽音を「象我象我」と聞きなしていたのでした。「象我」がなぜ「似我」になったのか、いずれ知りたいものです。

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「ジガバチについて」への8件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                  2014年8月2日
    ◎「象我」がなぜ「似我」になったのか

    唐・神清撰『北山録』の慧宝注に、

    螟蛉者、蜂取蟲而呪之「似我似我」。不日而蟲化爲蜂也。

    とあります。
    ※『北山録』
    http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BC%BC%E6%88%91%E4%BC%BC%E6%88%91&mode=search&uop=1
    http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=2113_,52,0594b10&key=%E4%BC%BC%E6%88%91%E4%BC%BC%E6%88%91&ktn=&mode2=2

    「象、似也」。本来、「象我」と「似我」と両様の表現があり、「似我」から和名「じが」が出たのではないでしょうか?

    藤田吉秋

  2. 藤田様

    コメントくださいまして、まことにありがとうございます。『北山録』、実は研究会で読んだこともあったのに、気づくこともなく、恥をさらしてしまいました。ご教示、感謝いたします。

    事実に反することを書いてしまいましたので、その部分、少し書き換えさせていただきます。重ねて感謝申し上げます。

    学退復

  3. 古勝 隆一先生
                  2014年8月2日
    ◎「象我」、「似我」、「類我」。

    『法言』学行巻第1は「類我類我」としていました。

    ※『法言』
    螟蛉之子、殪而逢蜾蠃祝之曰、「類我類我」。久則肖之矣。
    ※『文選』酒徳頌注引・李軌注
    蜂蟲無子、取桑蟲蔽而殪之、幽而養之、祝曰、「類我」。久則化而成蜂蟲矣。

    『文選』注の古訓は「我にあやかれ」。

    藤田吉秋

  4. 藤田様

    重ねてのご教示、心より感謝申し上げます。『法言』、おっしゃるとおり、「類我類我」ですね。これを七十子が孔子に似たことにたとえているのが、さらに楽しく思われました。

    今回も、ありがたいお教えを下さいまして、本当に助かりました。今後ともよろしくお願いいたします。

    学退復

  5. 古勝 隆一先生
                  2014年8月7日

    王夫之(1619~1692) 『詩經稗疏』は「似我似我」とし、王先謙(1842~1917)『三家詩義集疏』は『法言』の「類我類我」を「似我似我」と換えて引き、多隆阿(1818~1864)『毛詩多識』は「今俗則云『似我似我』也」と記しています。清人は「似我似我」と記憶していたのでしょうか。
    それから、中村先生は、「象〻我〻」と翻刻されています。「象々我々」ではなく、「象〻我〻」と引用される方が適切であると存じます。

    ※王夫之(1619~1692)『詩經稗疏』巻2
    先儒及諸傳記皆云、「蜾蠃負桑蟲之子、鼓羽作聲曰、『似我似我』。其蟲因化爲蜾蠃」。
    https://archive.org/stream/06043350.cn#page/n40/mode/2up
    ※王先謙(1842~1917)『三家詩義集疏』巻17
    楊雄『法言』學行篇、「螟蛉之子、殪而逢蜾蠃祝之曰、『似我似我』。久則肖之矣」。
    https://archive.org/stream/02073501.cn#page/n50/mode/2up
    ※多隆阿(1818~1864)『毛詩多識』巻9
    https://archive.org/stream/02073384.cn#page/n18/mode/2up
    陸云、「象我象我」。此亦會意之言。今俗則云「似我似我」也。聞之亦近似焉。

    藤田吉秋

  6. 藤田様

    夏にコメントをいただいておりましたが、時機を逸してしまいまして、未公開のままにしておりました。まことに申しわけございません。おわび申し上げます。

    清朝の学者の説に関してのご説明、ありがとうございます。「似我」が普通だったようですね。

    踊り字については、これまで、同の字点と二の字点を区別する意識はありませんでした。区別した方がよいのでしょうか。考えてみます。

    学退復

  7. 藤田さま

    なるほど、確かに別人のようですね。

    大連図書館に、以下のような内容がありました。
    http://www.dl-library.net.cn/publication/pub_content.php?id=310&flag=10

    《毛詩多識》十二卷 求恕齋叢書本
    清多隆阿撰。多隆阿字雯溪。滿洲人。其書專釋毛詩名物,蓋與姚炳《詩識名解》大旨相同。

    やはりこの人も満洲人のようです。勉強になりました。

    学退より

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