羊の子のように


最近、『毛詩』大雅「生民」の詩を読みました。『毛詩正義』に当たって、毛伝と鄭箋との説の違いを確かめるのは、いつも私にとって興味深いことです。しかも「生民」の詩は、周の始祖である后稷の事蹟を褒め称えたものであるだけに、なかなか読み応えがあります。

その詩に、后稷の出生を歌い、「誕彌厥月,先生如達」の二句があります。毛伝と鄭箋の説は以下のとおり。

〔毛伝〕誕,大。彌,終。達生也。姜嫄之子先生者也。

誕とは、大いに。弥とは、終える。【達生也。】姜嫄(后稷の母)の子のうち、先に生まれた者、ということ。

〔鄭箋〕達,羊子也。大矣后稷之在其母,終人道十月而生。生如達之生,言易也。

達とは、羊の子。偉大なることよ、后稷はその母の胎内にいるころ、人の道である十ヶ月を終えて生まれた。その生まれ方は、まるで羊の子が生まれるようであった。安産であったということ。

「達」字から「しんにょう」を除いた「羍」字には、生まれたての羊、という意味があります。それゆえ鄭箋は、后稷の出生は、子羊のように安産だった、と理解するわけです。

毛伝が「達生也」と言うのは、意図がよく分かりませんので、訳せません。正義によれば、「まるで子羊が生まれるようだ、ということ(言其生易如達羊之生)」と。そうすると、鄭箋と同説ですが、果たして「達生也」のみから、そこまで読み取れるものかどうか。

そんな疑問を抱いていたところ、ちょうど点注会(我々が参加する、段玉裁『説文解字注』を標点する読書会)で「羍」字の部分を読み、上記の問題について、段玉裁に独自の説があることを知りました。

毛曰:「達生也。姜嫄之子先生者也」,此不可通。當是經文作「羍」,傳云:「羍,達也。先生,姜嫄之子先生者也」。……凡生子始生較難,后稷為姜嫄始生子,乃如達出之易,故曰「先生如羍」。(『説文解字注』第四篇上、羊部)

毛伝は「【達生也。】姜嫄の子のうち、先に生まれた者、ということ」というが、これは通じない。きっと(毛詩の経文はもともと「達」ではなく)「羍」字に作っており、毛伝は「羍とは、達すること。先生とは、姜嫄の子のうち、先に生まれた者、ということ」、とあったはずである。……一般に、子どもを産む時には第一子はやや難産であるが、后稷は姜嫄の第一子でありながら、出生が簡単であるかのようだったので、だから(経文に)「先生如羍」といったのだ。

さらに段玉裁は鄭箋について、次のように言います。

鄭箋如字,訓爲「羊子」,云如羊子之生,媟矣。尊祖之詩,似不應若是。且嘼類之生無不易者,何獨取乎羊。

(毛詩の本文は「羍」字に作り、)鄭箋はその字の通りに「羊子」と訓じ、羊の子が生まれるよう、といったが、それは下品だろう。(「生民」の詩は、周の)祖(である后稷)をたっとぶ詩であるのに、そんなことは言うはずがないと思う。しかも哺乳類が生まれる場合はいずれの動物でも安産だが、なぜ羊だけを取り上げるのか。

言われてみれば、自分たちの始祖である后稷を「羊の子のように安産だった」と言うのは不謹慎かもしれませんね。かくして、段氏は鄭玄の説を否定し、本文を独自に変更した上で、毛伝の説を支持します。段玉裁の説に理があるのかどうか、即断はしがたいのですが、確かに毛伝をそのまま読むこともできません。

簡潔に過ぎる毛伝のことばをめぐって、鄭箋・正義・段玉裁、それぞれが思惑をもって解釈しました。私は、その間に横たわる緊張感自体を味わってゆこうと思います。

『説文解字注』のみならず、段玉裁の『詩経小学』や『毛詩故訓伝定本小箋』を踏まえて、段玉裁の『詩経』校訂を考察してみたいものです。しかし今回は、段氏の校訂の一例を示すにどどめたいと思います。

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“羊の子のように” への 5 件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                       2014年11月25日
    ◎「羍」。(『説文解字注』第四篇下、羊部)
    「第四篇下」ではなく「第四篇上」では?
    ◎「それは下品だろう」。
    「媟矣」を「下品だろう」とするのは意訳に過ぎるのでは?
    「媟」字の段注に、「方言曰、媟、狎也。漢枚乘傳曰、以故得媟黷貴幸。今人以褻衣字爲之。褻行而媟廢矣」とあります。「媟。なれる(なる)。ぺたぺたとなれすぎて礼儀のけじめを失う。はしたないさま」(学研『漢和大字典』)。「それは祖を軽んじ失礼であろう」くらいが穏やかでは?
    それにしても、「尊祖之詩、似不應若是」とは朱子よりも硬い解釈ですね。
    藤田吉秋

  2. 藤田さま

    さっそくコメント下さいまして、まことにありがとうございます。ご指摘の通り、誤りは訂正いたします。

    「媟」「褻」の訳は、やや安易だったかもしれません。なれなれしく、きちんとしていない感じだと思いますが、一対一のよい訳語が思いつきません。また、考えてみます。

    学退復

  3. 古勝隆一 様

    はじめまして、ushireと申します。ハンドルネームで失礼致します。

    こちらのブログを何度か訪問し、漢文や漢籍の世界を知るヒントを得させて頂いております。
    以前はブログの記事を読んでも理解できないことが多かったのですが、勉強をして改めて読み返すことで、より多くの情報を読み取れる記事内容であると感じております。

    不躾で誠に恐縮ですが、漢文・漢籍に関する学術雑誌について質問させて頂いても宜しいでしょうか。

    実は、六書についての論考を学術雑誌(学会誌・紀要)に投稿したいと考えております。六書の論考を研究ノートや論文として投稿することは、大学や研究機関に所属をしていない者でも可能でしょうか。

    自分で調べたところでは、六書や説文学・漢字学に関係する学会や研究機関では、学術雑誌への投稿資格を制限している場合が多いようです。

    もしもこの分野の学会誌・紀要で、学術機関の研究者でなくとも査読を受けることができる学術雑誌がございましたら、名称をお教えくだされば幸いに存じます。

    失礼致します。     

    ushire  

    1. ushireさま

      拙文お読みくださいまして、ありがとうございます。

      さて、漢字について文章をお書きになったということでしたら、すぐに思いつくのは、漢字検定協会が毎年、募集している「研究奨励賞」です。若手に限りますが、いかがでしょうか。

      http://www.kanken.or.jp/project/investigation/incentive_award/2017.html

      わたくしは学会等には疎く、あまり的確なアドバイスを申し上げられないのですが、近く漢字に関する学会が設立される予定と仄聞しました。一般論として、入会自体、特に所属機関などは問わないと思いますので(紹介者は必要かもしれません)、ご関心をお持ちであれば、そちらに入会なさるとよいと思います。

      学退覆

  4. 古勝隆一 様

    ご多忙の中ありがとうございます。

    ご紹介頂いた「漢検漢字文化研究奨励賞」のサイトを見てみたのですが、残念ながら年齢制限がありました。会員になると投稿資格が得られるような学会を自分でも探してきたのですが、漢字や漢文に関わる分野はそもそも学会員になるためのハードル(所属、紹介人など)が高いのが現状のようです。

    漢字に関する学会の設立について貴重な情報をお教えいただき、ありがとうございます。もしも今後、具体的な学会の名称やサイト情報など、お耳に入ることがございましたら、記事の中でご紹介頂ければ幸いに存じます。

    お忙しいなか丁寧にご返信頂いたことに、あたらめてお礼申し上げます。
    これからもブログの記事を楽しみにしております。

    失礼致します。

    ushire

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