2014年のまとめ


WordPress.com 統計チームは、2014年のあなたのブログの年間まとめレポートを用意しました。

概要はこちらです。

シドニーにあるオペラハウスのコンサートホールには2,700人が収容できます。2014年にこのブログは約32,000回表示されました。オペラハウスのコンサート12回分になります。

レポートをすべて見るにはクリックしてください。

広告

司馬貞の蹉跌


昨年、中華書局の『史記』が新しい標点本として出版されましたので、最近それを入手して楽しく読んでおります。

その『史記』卷七十四、孟子荀卿列傳に騶衍(鄒衍とも)の伝が附されています。そこでは、騶衍が奇抜な言を繰り出して諸侯に受け入れられた、といい、それが、諸侯にうとまれ続けた孔子や孟子の生き方とは異なっていたことを指摘します。

その上で、司馬遷は次のように言います。まず原文を示しますので、お目通しください。

或曰,伊尹負而勉湯以王,百里奚飯車下而繆公用霸,作先合,然後引之大道。騶衍其言雖不軌,儻亦有牛鼎之意乎?

第一文の大意を述べましょう。かつて伊尹は、料理人となって調理用の鼎を背負って湯(トウ)に取り立ててもらい、その後、湯を王にすることに成功した。百里奚は、秦の穆公(繆公とも表記)の牛車の前に餌をまいて車を止めて穆公に接近し、その後、彼のおかげで穆公は覇者となった。伊尹や百里奚は、まず方便を使って君主たちと知り合い、その後で君主たちを正しい道に引き入れた。騶衍にも、あるいはそういう深謀遠慮があって、諸侯に好かれようとしたのではないか。そういう説がある、と、司馬遷は言います。

では、その後に続く原文「騶衍其言雖不軌,儻亦有牛鼎之意乎」はどういうことでしょうか。「牛鼎」とは何を指すのでしょうか?

答えは簡単です。騶衍の話は、確かにまともなものではなかったが、伊尹・百里奚の意図と同じであったのかも知れない、ということです。「牛鼎」が指す内容は、百里奚が引き止めた「牛」と、伊尹が持っていた「鼎」。これは、十分に漢文を習った日本の高校生ならば、読み取りえましょう。誤読の余地の少ない部分です。

ところが、『史記』の代表的な注釈者の一人、唐の司馬貞(司馬遷の後人として、大いなる自負を持って『史記』の注釈を書いた人)は、この部分について大きな誤りを犯しているのです。

按『呂氏春秋』云:「函牛之鼎不可以烹雞」,是牛鼎言衍之術迂大,儻若大用之,是有牛鼎之意。

思うに『呂氏春秋』に「牛を入れて煮る鼎では鶏を煮られない」と。つまり「牛鼎(牛を入れて煮る鼎)」というのは騶衍のやり方が迂遠で、もし(諸侯が)その説を大いに用いたならば(牛刀割鶏になってしまう)ということ、これが「牛鼎」の意味である。

司馬貞のこの解釈は、全くの深読みであり、誤解です。たまたま「函牛之鼎」ということばを知っていたがために、それにこじつけてしまったのです。

なぜ、司馬貞はこの簡単な文章を読み取れなかったのでしょうか。不勉強だったのでしょうか。決してそうではないはずでしょう。彼は知識あふれる学者であり、そのせいでかえって『史記』の文脈を軽視してしまったが故に、この誤りを犯したのです。

虎賁中郎(職官とは無関係です)


『尚書注疏』の善本と言えば、足利学校に蔵する宋版が挙げられますが、江戸時代にこれを覆刻した本があります。「足利本は松崎慊堂(1771-1844)の校審により弘化四年(1847)熊本藩時習館に於て覆刻され流布し」た(「日本国見在宋元版本志経部」(『阿部隆一遺稿集』第一巻、汲古書院、1993年)、という本です。

京都大学人文科学研究所が所蔵するこの弘化年間の覆刻本には、吉川幸次郎(1904-1980)の跋が加えられており、その全文をこのブログでもかつて紹介しました

kohon吉川氏の跋文の中に「足利闕頁、此皆不闕、則虎賁中郎、誠足貴矣」の一文があります。「虎賁(コホン)中郎」とは、武官の官名ですが、ここで何を言うのか、当時、判然としませんでしたので、触れずに置きました。ところが、最近、藤田吉秋氏よりコメントを頂戴し、再考する機会を得ました。

私は初見の時から、「虎賁中郎」の後に「誠足貴矣」と続くのが不思議でした。「貴」という動詞の対象が、「虎賁中郎」であると読めるからです。そうであるとすると、「虎賁中郎」は、誰か人を指すのではなく、この本(宋本を写した古梓堂文庫本)のありかたを言うことになります。

そこで、少し調べてみると、『世説新語』言語篇に「(桓玄)問左右:「虎賁中郎省,應在何處?」有人答曰:「無省」」とありました。虎賁中郎省はどこに置くべきか、という桓玄の質問に、「(建物としての)省はありません」とある人が答えた、という話です。そこで私は、この逸話を題材にして、「省略(=「省」)のない本のことを虎賁中郎と言ったのではないか」、と仮説を立てました。

古梓堂文庫本『尚書注疏』の場合、省略というよりは闕葉がないというわけですし、「無省」から連想して吉川氏が「虎賁中郎」と言った、というのは、やや飛躍も感じます。

そこで、もう少し調べてみました。本に省略や闕がないことを称して、「虎賁中郎」と表現する例はないものか、と。すると、葉德輝(1864-1927)『書林清話』に、この表現二個所を見つけました。

按『天祿琳琅目』載宋版書甚多,而御題又云「若此者亦不多得」。嘉慶二年,武英殿災,目載之書,同歸一燼,神物久歸天上,留此題跋,可見宋本書之精妙,古今人之愛護,心理相同。『文選』今尚有明袁褧仿宋裴氏本,國朝胡克家仿宋尤丞相本,可作虎賁中郎。『漢書』則形影無存,尤令人追思無已矣。(『書林清話』卷六「宋刻書箸名之寶」)

國朝官刻、家刻書,同有一缺事。如十三經注疏、史、漢、三國、皆有北宋、南宋及元刻本傳世。内則登之天祿琳琅,外則散見各藏書家書目。既已無本不善,隨刻一種,皆可為虎賁中郎。(『書林清話』卷九「國朝不仿宋刻經史之缺典」)

葉德輝は、本の闕損がない、という意味で「虎賁中郎」を用いたわけです。『世説新語』の故事を用いた、一種の衒学的な諧謔といえましょうか。吉川氏の跋文は、これを踏まえたものだと考えます。

藤田氏のご指摘があって、はじめて調べる気になりました。ご縁に深く感謝いたします。