『人類史のなかの定住革命』


西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社、講談社学術文庫 [1808]、2007)という書物を読みました。原本は、『定住革命 : 遊動と定住の人類史』(新曜社、1986)。

全体を書き下ろしたものではなく、別々に書いたものを編輯し、そこに新たな書き下ろしを加えたものです。初出一覧は以下の通り。

  • 「定住革命」 『季刊人類学』15巻1号、1984年
  • 「遊動と定住の人類史」 『現代思想』1984年7月号、臨時増刊
  • 「狩猟民の人類史」 『歴史公論』1985年5月号
  • 「中緯度森林の定住民」 『国立民族学博物館研究報告』10巻3号、1985年
  • 「歴史生態人類学序説」 『現代のエスプリ』1983年12月号、別冊
  • 「”鳥浜村”の四季」 『アニマ』1981年3月号
  • 「「ゴミ」が語る縄文の生活」 『歴史読本』1985年11月号
  • 「縄文時代の人間-植物関係」 『国立民族学博物館研究報告』6巻2号、1981年
  • 「人類=手型動物の頂点に立つ」 書き下ろし
  • 「家族、分配、言語の出現」 書き下ろし

樹上生活をやめて地上で暮らすようになった人類の祖先は、その後、低緯度地域から中緯度地域へと生活の場を広げました。さらに、今から1万年ほど前、それまでの遊動生活をやめて定住生活をするようになりますが、これこそが著者のいう「定住革命」です。日本の地で定住を始めた、縄文時代の人々の暮らしについても、分析が見えます。本書は、人類の歴史の中での定住の意義を明かしたものです。

書名にも含まれる、「定住」の意義についての記述が、やはりもっとも興味深く感じられました。農耕の始まりを重視する論者が多いそうですが、「採集か農耕かということより遊動か定住かということの方が、より重大な意味を含んだ人類史的過程」と考える筆者の論点が面白く感じられました。

そもそも大型の哺乳類は、一定の場所に住み続けることが難しい、との指摘がありましたが、我々、定住に慣れきってしまった今の人類からすると、かえって新鮮に感じられます。

遊動狩猟採集民が、明日の食料について心配しないのは、自然の恵みを確信しているからであり、それゆえ、食料を蓄える行為は、いわば自然に対するまったき信頼を放棄することにほかならない。(本書、pp.49-50)

遊動民は、大規模な倉庫を築いて食料や財産を貯蔵することはしなかった、とのことです。遊動民の暮らしは、世界の多くの地域で、1万年ほどまえに終わり、定住生活へと移行したようですが、新しく定住を始めた人々の一部にも、そのような貯蔵に対する違和感がのこったのではないでしょうか。中国史にも、思い当たるところがあります。たとえば、『漢書』卷二十八下、地理志下の、次のような記述。

楚有江漢川澤山林之饒;江南地廣,或火耕水耨。民食魚稻,以漁獵山伐為業,果蓏蠃蛤,食物常足。故啙窳媮生,而亡積聚,飲食還給,不憂凍餓,亦亡千金之家。(中華書局、p.1665)

楚の地域の人々は、「啙窳にして生を媮(ぬす)み、而して積聚する亡く、飲食還(ま)た給し、凍餓を憂えず、亦た千金の家も亡し」。「啙窳」は怠惰で自堕落なこと。緯度のより高い地域の定住民の基本である「積聚」をしない生き方は、自堕落に見えたのでしょう。しかし漢代になっても、なお「積聚」しない生活もあり得たのだ、ということを教えてくれる記事です。

また、自然に対して絶大な信頼を寄せる『老子』は、「金玉堂に滿つれば、之を能く守る莫し」(第九章)といい、「天の道は、餘り有るを損いて足らざるを補う」(第七十七章)といいます。これは、過度の蓄積についての拒絶であるとも読めます。中国におけるこのような思想は、定住以前の人類の記憶を伝えるものとも読めます(『老子』が楚の文化を反映していると短絡的に考えるわけではありませんが)。

一方、後世になると、「金玉滿堂」はめでたい言葉とも受けとられています。富の蓄積がよいことなのか、そうでないのか。人類の歴史がその判断に刻み込まれているのかもしれません。本書を読みつつ、そのようなことに想いをめぐらせました。

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