楚越の地


先日のブログ記事にて、『漢書』卷二十八下、地理志下の記述を引用しました。

有江漢川澤山林之饒;江南地廣或火耕水耨。民食魚稻,以漁獵山伐為業,蠃蛤,食物常足。故啙窳媮生,而亡積聚,飲食還給,不憂凍餓亦亡千金之家。(中華書局、p.1665)

後で気がついたのですが、この『漢書』の記述、『史記』卷一百二十九、貨殖列傳を踏まえたものでした。

越之地,地廣人希,飯或火耕水耨蠃蛤,不待賈而足,地埶饒食,無飢饉之患,以故呰窳偷生無積聚而多貧。是故江、淮以南,無凍餓之人,亦無千金之家。(中華書局、p. 3270)

司馬遷はこのように「楚越之地」の様子を描写した後、さらに続けて、「沂、泗水以北」などの北方中国を次のように対照させています。

沂、泗水以北,宜五穀桑麻六畜,地小人眾,數被水旱之害,民好畜藏,故秦、夏、梁、魯好農而重民。三河、宛、陳亦然,加以商賈。齊、趙設智巧,仰機利。燕、代田畜而事蠶。

最近、日比野丈夫「史記貨殖列傳と漢代の地理區」(『東方學報』京都、第41冊、1970年)を読んでいて『史記』の記述に気がついた次第です。いささか迂闊でした。司馬遷の南方観について、日比野氏は次のように評しています。

司馬遷は南方をおしなべて未開發な後進地域と受取り、文化の存在を認めなかった。ただ北方にない物資の産地、あるいは通過地として扱うだけで、植民地的な價値さえも無視していたといってよい。(p.155)

確かにそうかもしれません。しかし司馬遷のこの記述、『漢書』地理志はもちろん、なんと『隋書』地理志にまでほとんどそのまま踏襲されているのです。南方に対する無理解と偏見は、ひとり司馬遷だけの問題でないと思われます。

しかしそれは、司馬遷の地理観の重要性を損なうものではなく、貨殖列伝に見える忌憚ない地方への司馬遷の評価は、きわめて重い歴史の証言といえましょう。

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