蠱毒


小學堂甲骨「蠱」

最近、『隋書』地理志に見える蠱というものに関心をもって調べています。

甲骨文にすでにこの字があり、『周易』にも蠱卦があり、『左伝』や『周礼』にも見える古いものですが、古代におけるその実態はあまりよく分かりません。南北朝以後になると詳細が伝えられており、また民間習俗としては現代にも一部のこっているそうです。

その伝承はかなり複雑かつ多様ですが、『隋書』地理志に見える基本的なかたちは以下のようなものです。毒虫を培養し、それを他人の飲食に忍び込ませてその人の健康をむしばんで殺す。すると、毒虫が被害者の財産を加害者側へともたらす、と、そのように信じられた邪悪な術です。

東晋の干寶『捜神記』(巻十二)に、その蠱に関する次の逸話が見えています。

余外婦姊夫蔣士,有傭客,得疾下血。醫以中蠱,乃密以蘘荷根布席下,不使知。乃狂言曰:「食我蠱者,乃張小小也。」乃呼小,小亡云〔當作去〕。今世攻蠱,多用蘘荷根,往往驗。蘘荷或謂嘉草。(『搜神記』中華書局、汪紹楹校注、1979年、p.157)

川野明正氏「蠱毒伝承論ー憑きもの的存在の言説にみる民俗的観念」(『人文学報』(東京都立大学人文学部)331号、2002年)では、この話を次のように訳しています。

私の妻の姉の夫である蔣士に雇われた者があり、病気となって下血した。医者はこれを蠱に中ったと見立てた。そこでひそかにミョウガの根を敷物の下に敷き、それと悟られないようにした。すると、病人は狂ったように口走った。「私を喰って蠱病にしたのは、張小小だ。そこで張小小を呼ぶと、張小小は死んだという。今の世では蠱を退治するのに、多くはミョウガの根を用い、しばしば効き目がある。ミョウガはまた、嘉草(よき草)とも呼ばれる。

川野氏はさらに次のようにコメントしています。

この一段は難解である。竹田晃氏の訳[竹田 1964 : 246]では「俺の虫を食ったのは張小小だぞ」とあるが、筆者は蠱は虫を指すのではなく、蠱に中毒して病気になったと解釈し、上記の訳とした。

ミョウガをこっそりと被害者の敷物の下に置くと、被害者がどういうわけか、加害者の名を叫び、その加害者を呼び出したところ、正体が露呈した、という話です(汪氏の校注に従って「小亡去」と読めば、「小は逃げ出した」ということになります)。

「食我蠱者,乃張小小也」という発話は、「私に蠱を食わせたのは、張小小だ」、ということではないかと、私は考えます。「食」はこの場合、去声で読み(『集韻』祥吏切)、「くらわす」と訓ずる用法でしょう。その「食」が二重目的語(雙賓語)をとっているのではないかと思います。

蠱は飲食に忍び込ませて相手を害するものですから、くらわすと言って違和感ありません。

なお、川野氏の論文、蠱について多く調べてあり、大いに参考になりました。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中