龍宇純「論声訓」


龍宇純氏(1928-)「論聲訓」(『清華學報』新9卷、第1、2期、1971年)を読みました。

声訓は、訓詁の方法の一。訓詁というのは、語義を解釈する行為で、中国では遅くとも春秋時代にさかのぼります(「訓詁学」について書いた過去記事はこちらから)。

その訓詁には、形訓(漢字の字形に基づく訓詁)・義訓(字義に基づく訓詁)・声訓(字音に基づく訓詁)という三種の方法があるとされ、声訓はその一角を占めています。

魯の季康子が孔子に政とは何か、と問うた時、孔子は「なる者は、なり」と答えた、とか(『論語』顏淵篇)。「政」と「正」とは漢語の字音が同一ですから、その事実を根拠として「政」の語義を説明したもので、これなどは声訓の古い例の一つです。

漢語の声訓を、日本語の一例でなぞらえるなら、「鰺はどうして鰺というのか?」「味がよいからアジという」、といったところでしょうか。

声訓は『説文解字』『広雅』『釈名』などの古い字書に多数見えているのですが、如何せん、現代人の目から見れば、うそかまことか判断がつきづらく、なかなか学術的なとりあつかいに躊躇するところがあります。そこで龍氏の論文を読んでみた次第。

この論文は、以下の8節からなっています。

  1. 甲、聲訓之實質
  2. 乙、聲訓義訓明辨
  3. 丙、誤聲訓為義訓舉例
  4. 丁、誤聲訓為義訓蓋始於《廣雅》說
  5. 戊、誤聲訓為義訓探原
  6. 己、聲訓法之施用範圍
  7. 庚、古人聲訓多不足信說
  8. 辛、聲訓三條件

わたくしが最も啓発を受けたのは、第1節と第2節で、それによると、声訓が用いられるのは、ある語がそのように名づけられた由来や起源を答えようとする意識を有する場合である、とのこと。たとえば、なぜ「政」という言葉があるのかというと、それが「正」に由来するから、という具合に。

すると、声訓とは、単に音を利用した訓詁というだけでないわけです。ものの命名の由来を、同音(もしくは近似音)の語を用いて説明する訓詁である、と。なるほど、と、膝を打ちました。

義訓などは、由来を説明しないが、声訓は由来を説くはたらきがある、というわけ。

声訓が語源の由来を探る点において、声訓と義訓とはまったく異なる、というのが龍氏の強調する点で、紙幅のほとんどがその説明に割かれていますが、そこまではっきりと分かれるのか、あるいは分ける必要があるのか、まだわたくしは十分には納得していません。

また龍氏は、古代の小学書に載っている声訓は、大いに重んじられているのだが、誤った訓も多い、とみなし、大いに古訓を否定するのですが(第9節「古人聲訓多不足信說」)、わたくしの見るところ、近現代の大部分の学者は声訓を荒唐無稽と位置づけているはずで、むしろ、(現代人に見捨てられつつある)多くの声訓の中から、有意義な手がかりを見出すことに注力すべきではないか、と思うのです。

声訓とは何か、あらためて考えさせてくれる論文でした。台湾の国立清華大学のウェブサイトから、pdfファイルを取得することができます。 龍宇純「論声訓」 の続きを読む

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『環境から解く古代中国』


原宗子氏の『環境から解く古代中国』(大修館書店、2009年、 あじあブックス 65)を読みました。まずは、目次をご覧ください。

  1. 「象」という字は、なぜできた?-殷周期の気候変動
  2. 「七月」が詠う冬支度-西周期の黄土高原
  3. 孔子の愛弟子・子路のバンカラの秘密-春秋~漢の毛皮観
  4. 「株を守る」のウラ事情-戦国期中原の開発と鉄器
  5. ホントは怖い(?)「一村一品」政策-春秋~漢代の斉の特殊性
  6. 合従連衡は、異文化同盟?-戦国秦漢期、北方・燕の環境
  7. スパイ鄭国の運命-秦の中国統一と大規模灌漑
  8. 司馬相如のカノジョはイモ娘?-秦漢期・四川に生きる心意気
  9. 「公共事業」は昔も今も……-漢・武帝期の大規模灌漑と後遺症
  10. “帰順”匈奴のベンチャービジネス-漢代の「ペットボトル」と大狩猟イベント
  11. 海と女と酒と「叛乱」-王莽・新の税制と環境
  12. 戦国男の夢実現(?!)-漢代シルクロードを支えた「内助の功」
  13. 曹操も手こずった黄河の凍結-魏晋南北朝の気温変化と戦法
  14. 均田制、もう一つの貌-五胡から唐宋期の樹木観
  15. 「貧困の黄土高原」はなぜできた-明清・中華帝国の光と影

目次を見ただけでも、実に面白そうではありませんか?読んでみると、文章もよくこなれており、読者が楽しく読めるような工夫が施された一冊でした。

このところ、授業では学生諸君とともに『孟子』を読んでおり、古代にもあらためて関心が向いているのですが、ただ古典を淡々と読むだけでなく、先秦時代の人々が、人類の一員として、どのような環境のなかで何を考えながら暮らしたのだろうか、と、彼らの生活に思いを馳せるようになりました。

そのためには、古典漢語に関する知識や書物についての理解が必要なことはもちろんですが、それだけでなく、人類学・考古学の知見をある程度まで理解し、人々が気候変動や自然環境の変化に対処しつつ、食料獲得の習慣をどのように変え、そうした環境に応じて生活したことこそが、中国思想が生まれて育まれた条件となっている以上、中国の環境史に対して理解を深めることが、自分が古書を読む際に欠かせないのではないか、と考えるようになりました。

環境について学ぶ目的は、もちろん現在、人類が直面している環境問題の深刻さを一方では意識したものではあるのですが、他方、中国の歴史、それ自体を知るためにも、自分自身、これまであまりにこの方面について無頓着であったのではないか、といった反省を背景としてもいます。

本書、『環境から解く古代中国』は、主に殷代から漢代までの環境史を対象としており、日本人にも比較的よく知られたエピソードを取り上げて、中国の地に生きた人々の生活と環境、そして思想を語っています。

本書から一例を挙げるなら、『韓非子』に見える「守株」のエピソードは、殷が滅びた後に建国された宋の地では、新たに森林を伐採して農地としたのではないか、そうであるからこそ、はたけに切り株が残されており、しかも森林を住処とするウサギが近くに棲んでいたのだ、と原氏は推測しています。たいへんに刺激的な考察です。

こうして、環境というものを念頭において古書を読み直すと、確かに、古書はこれまでとかなり異なった面貌をもって我々の前に現れてくるように思うのです。肩のこらない書物ですから、中国史を専門としない方にも勧められそうです。