日本の便當


蘇軾が劉攽にこう言った、「私が弟と一緒に制科の試験勉強をしていた頃、毎日、「三白」を食したものだが、食べてみるととても美味かった」。「三白」とは何か?劉攽が問うと、蘇軾は「ひとつまみの塩、一皿の生の大根、一碗の飯。これが「三白飯」というもの」と答えた。劉攽は大笑いしたとのこと。

これは余嘉錫が朱弁『曲洧舊聞』巻六を引用して紹介する話です。「読已見書斎随筆」24「三白飯」(『余嘉錫論学雑著』、中華書局、1963年、p.673)。この話には続きもあるのですが、今は全文を引かずにおきましょう。

余嘉錫はこれを紹介した上で、こんなことを言っています。

いま日本人には彼らが「便當」と呼んでいるものがあり、塩をした大根数片に小魚を数尾、そして飯を数匙分ばかり、(それらを)木製の容器のなかに入れるのだが、全国の人のうち、これを食する者が八割九割にもなる。おそらくは我が国の唐宋時代の「三白飯」の遺風であろうが、ただ彼らは塩漬けの大根を用いて生の塩を使うことはない。それに彼らの国は浜辺に魚を多く産するので、小魚という一品を足すのが、少し異なるだけだ。

「便當」といえば、いまも台湾でよく食されるものですが、それは日本人が伝えた「弁当」(かつては「便當」とも表記したそうです)に由来する。そんな話を聞いたことがあります(中国大陸では「盒饭」、箱に入れた食事、というのが一般的なようです)。

余嘉錫はどのようにして日本の「便當」を知ったのでしょうか。ことによると、「便當」そのものを見たことがあるのかもしれません。いずれにせよ、どこかで日本の「便當」のことを見聞きして、余嘉錫が唐宋時代の「三白飯」を想起したことは確かでしょう。

古い中国の「遺風」が日本に伝存している、という考え方は、中国の伝統的知識人にわりあいとよく見られ、程樹徳が『論語』の「明衣」の名残を日本のゆかたに見出したことなどとも、軌を一にするものと言えそうです。

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