一画の差


名高い泰山の北に済南という町がありますが、後漢から隋にかけての時代、このあたりは山茌県という地名だったそうです。『後漢書』郡国志に「山茌,侯國」(『後漢書』郡國志三、兗州、泰山郡)と見えるのがその早い例。

ところで、さまざまな書物やそのさまざまな伝本において、この「山茌」を「山荏」と誤るものが相当数あり、たとえばちかごろたまたま眼にした『続高僧伝』読誦篇の一文もそうでした。

高麗再雕本『続高僧伝』より
高麗再雕本『続高僧伝』より

釋志湛,齊州山人,是朗公曾孫之弟子也。(『續高僧傳』卷二十八、讀誦篇、魏泰岳人頭山銜草寺釋志湛傳。T50-686a)

『大正新修大蔵経』では、この部分に校勘記がありませんが、しかし「山荏」が「山茌」の誤りであることは確かです。たとえば、CBETASATKANRIPOといったデータベースで、「山荏」と検索してみてください。他にも例を見いだせます。

近年、『続高僧伝』の点校本が出ました(郭紹林點校『續高僧傳』、中華書局、2014年、中國佛教典籍選刊)。この本を見たところ、誤りなく「山茌」となっていたのは好印象でした。底本は磧砂版とのこと、いずれ確認しておきたいと思います。

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