『経典釈文』の一字が読めました


高橋均先生の『経典釈文論語音義の研究』(創文社、2017)を読んでいたところ、版本の『経典釈文』と正和本『論語集解』(東洋文庫蔵、重要文化財)に書き入れられた『経典釈文』との間には差異があるという話がありました(同書、p.53)。微子篇「身中清,廢中權」の釈文です。

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  • (廢,)方肺反。馬云:棄也。鄭作發,動貌。(通志堂本『経典釈文』巻24、第21葉表)
  • (廢,)方肺反。馬云:棄也。鄭作癈,江熙同,謂:癈,。(正和本『論語集解』の書き入れ)

高橋先生の議論の重点は、『論語』注釈者の江熙が基づく本文が鄭注と一致する、というところにあり、それももちろん重要なのですが、私はどうも「馬云棄」の下にもう一字あるのが気になりました。

「旦」を上下に二つ重ねるような字です。いま、かりにという記号で表した部分ですが、高橋先生はこれを読んでおられません。

ふと、「置」字の異体字ではないかと思い当たりました。つまり、正和本の書き入れに引かれた『経典釈文』によると、馬融の訓詁は「廢,棄置也」となります。「棄置」とは、人材が用いられずにいることなので(たとえば曹植「贈白馬王彪」の詩に「心悲動我神,棄置莫復陳」とあります )、この文脈によりよく合います。『経典釈文』通行本の「棄也」というのよりも、由緒正しい本文であろうと思います。

「置」をこのように書く例については、史料編纂所の「電子くずし字字典」から、似たものをいくつか見出すことができます。

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『春秋説題辞』は「春秋説」の題辞にあらず


『春秋説題辭』は、『春秋』という経書に付会された「緯書」のひとつで、前漢末ごろにできたもののようです。

有名な緯書として、『易(緯)乾鑿度』などの「易緯」、『尚書(緯)考靈曜』などの「書緯」、『詩(緯)推度災』などの「詩緯」、『禮(緯)含文嘉』などの「禮緯」や「樂緯」、『春秋(緯)元命包』などの「春秋緯」、『孝經(緯)援神契』などの「孝經緯」、そして「論語緯」などがあります。緯書の題は、普通の書物と少し異なり、経書の名称を除くと、「推度災」「援神契」など、三文字でつけられるのが一般的です。

shuoticiそういうわけで、『春秋説題辭』も、もちろん春秋緯である『説題辭』という書物だと理解していたのですが、中国から出版されたある点校本に「《春秋說・題辭》」となっていたものですから、驚いてしまいました。虚をつかれたという感じでしょうか。

網羅的に緯書の佚文を集めた安居香山・中村璋八編『緯書集成』(明徳出版社、1971-1992)などを見ると、確かに、『春秋説題辭』などの「春秋緯」を「春秋説」として引用した例は少なからず存在します。

しかし、たとえば『春秋公羊傳疏』(序の疏)に「故《說題辭》云:傳我書者公羊高也」とあるように、「春秋」を冠せずにただ「説題辭」に云う、として引用した例もまた少なくないことを考えれば、「《春秋說・題辭》」の標点は誤りであることが分かりましょう。

「説題辭」も、「推度災」「元命包」「援神契」などと同様、三文字の書名であるはずなので、「《春秋說・題辭》」はいただけません(写真下段の「𣏟」字の段注に見えます)。