『中国古代史研究の最前線』


佐藤信弥氏から、近著『中国古代史研究の最前線』一冊を頂戴し、さっそく拝読しました。

佐藤信弥
『中国古代史研究の最前線』
出版社:星海社(星海社新書)/講談社発売
2018年03月

  • 序章
  • 第1章 幻の王朝を求めて
    第1節 殷墟の発見と甲骨学の発展
    第2節 夏王朝の探究
    第3節 古蜀王国としての三星堆
  • 第2章 西周王朝と青銅器
    第1節 西周紀年の復原
    第2節 非発掘器銘をどう扱うか
    第3節 周は郁郁乎として文なるか?
  • 第3章 春秋史を「再開発」するには
    第1節 『左伝』が頼りの春秋史研究
    第2節 東遷は紀元前七七〇年か
    第3節 盟誓の現場から
    第4節 春秋諸侯のアイデンティティ
  • 第4章 統一帝国へ
    第1節 陵墓と死生観の変化
    第2節 竹簡インパクト
    第3節 竹簡から何が見えるか
  • 終章
  • あとがき

佐藤氏は中国古代史を専攻しておられ、以前には『周 : 理想化された古代王朝』(中央公論新社 2016.9 中公新書 2396)という新書もお書きになっています。それを拝読した時も、知識の豊かさと健筆に舌を巻きましたが、今回も期待通り、大いに勉強させてもらいました。

中国古代史の全体がカバーされ、多くの新資料に基づき、近年の学術成果が紹介されているのが、本書の美点です。しかし、それにもまして私が興味深く読んだのは、日本の学者と中国の学者とでは考え方が異なる点への指摘や、また方法論の面への言及でした。単に最新情報を提供するのではなく、研究者が資料を如何に理解しているのか、何が問題とされているのか、そういったことが丁寧に述べられています。

たとえば、王国維(1877-1927)が提唱した「二重証拠法」という研究方法があります。伝世文献と出土史料、その両者によって古代史を証拠立てようという手法で、今なお強い影響力があります。それに対し、近年、西山尚志氏が批判を加えており、本書にその西山氏の議論を紹介しています。

関係する出土文献が現れなければ、伝世文献の記述は、取り敢えずは真実として扱わなければいけないということで、西山はこうした態度を、反証可能性を拒否・放棄し、反証によって真理に近づいていこうとするアプローチを閉ざすものだると批判する。そして、近代において二重証拠法は、多くの研究者がさほど重視していなかった出土文献の史料としての有用性を喧伝するという効果はあったが、一方で「伝世文献の内容は必ずしも偽ではない」「疑いすぎてはいけない」と、伝世文献に対する文献批判・史料批判を封じるという役割を担ったとし、反証不可能な命題をもって反証を封じることがどのような結果をもたらしたのかと、戦前の日本の歴史学の状況を想起させつつ問い掛ける(本書、pp.271-272)。

このような方法論上の問題が、一般読者に向けて語られていることは、とても得がたいことです。一般読者には敬遠されかねない話題ですが、それをすんなりと読ませてしまうところに佐藤氏の力量を感じました。これからもたくさんの本を書いて、我々を楽しませてくれそうです。

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“『中国古代史研究の最前線』” への 4 件のフィードバック

  1. 古勝隆一先生

     いつも面白く拝見しております。久しぶりにお邪魔いたします。
     ご紹介の著書で、西山尚志氏が王国維の二重証拠法に批判を加えていらっしゃるとのことですが、その前提となるところの王国維の説に対する理解におきまして、浅学のこれまでの認識とは若干一致せず、賦に落ちない部分がございましたため、コメントさせていただきます。
     確かに、おっしゃる通り、王国維の考えでは、「伝世文献の内容は必ずしも偽ではない」「疑いすぎてはいけない」とはいえ、「関係する出土文献が現れなければ、伝世文献の記述は、取り敢えずは真実として扱わなければいけない」あるいは、「伝世文献に対する文献批判・史料批判を封じる」とまで言えるものでしょうか。
     そもそも、王国維の「二重証拠法」は、「古史新証」などにおいて提唱された研究方法ですが、当該論文(講義内容)では、伝説と史実の区別は困難であることが冒頭に述べられ、「信古」「疑古」両方に対する批判的立場が示されております。王国維の立場を、このいずれにも属さない「釈古」とする研究者もいるようです。
     また、論点がズレるかもしれませんが、たとえ、地下資料が存在しなくとも、王国維の念頭には別の次元での二重証拠法が何らかの形で存在していたのではないでしょうか。井波陵一氏『紅楼夢と王国維』朋友書店、2008年、639頁では、以下のように記されております。
       二重証拠法とは、冷静かつ客観的な態度で事実考証を行いつつ、  中国史における「変化のダイナミズム」を探り当てる、当時として  は最新の方法論だったのである。しかも「二重」とは決して「紙上  の材料」と「地下の材料」に限定されるものではない。再び「国学  叢刊序」に戻ろう。
         学問の意味が天下に明らかでなくなって久しい。現在、学問    については新旧・中西・有用無用の争いがある。だが私は宣言    する。学問には新旧も、中西も、有用無用も無いのだ、と。
       新旧なり中西なり有用無用なりが、お互いを相対化し、一種弁証  法的な動きを示しながら、それぞれを新たな次元へ導いていくので  ある。しかしそれは既存の史料を次々と使い捨ててひたすら先へ突  き進むことでは決してない。様々な史料が一定の解釈を施されるこ  とによって必然的に蒙る束縛を絶えず解き放ち、まったく思いがけ  ない視点から、その史料が持つ別の潜在的可能性を見出すことであ  る。
    (ただし、このような文脈で引用されることは、著者ご本人にとり不本意であるかもしれません。)
     史学方面に関しましては、若輩はまったく不案内ですので、これを機に勉強させていただきたいと存じます。
     以上、大変失礼いたしました。 匿名希望

    1. 匿名希望様

      コメントくださいまして、ありがとうございます。

      引用した趣旨は、この本は一般書であるにもかかわらず、学界における先鋭的な議論をも紹介しているということです。

      ご注目いただきたいのは、私はこの議論に対して、如何なる評価も下していないことです。また、この件については、今後もこのブログで私見を披露することはないものとお考えください。

      佐藤氏の著書には、議論の出所が明らかにされていますので、ご参照いただければ幸いです。せっかくのご質問にお応えできず、申し訳ございません。

      古勝隆一

      1. 古勝隆一先生

         ご回答いただき、ありがとうございます。
         ご紹介の佐藤氏著を拝見しておりません立場で、大変失礼いたしました。
         いつも早速購入させていただきたい衝動に駆られるのですが、経済状況が逼迫しておりますので、所属大学図書館へ購入希望を提出し、許可が下りれば半年後を目途に入手できるといった状況です。
         何卒ご容赦くださいませ。 匿名希望

  2. 古勝隆一先生

     度々お邪魔いたします。
     先ほどコメントを投稿させていただきましたところ、井波陵一氏『紅楼夢と王国維』朋友書店、2008年、639頁引用箇所の随所に、想定外の空欄が発生してしまいました。再度掲載させていただき、著者にもご無礼をお詫び申し上げます。(以下引用)

     二重証拠法とは、冷静かつ客観的な態度で事実考証を行いつつ、中国史における「変化のダイナミズム」を探り当てる、当時としては最新の方法論だったのである。しかも「二重」とは決して「紙上の材料」と「地下の材料」に限定されるものではない。再び「国学叢刊序」に戻ろう。   

      学問の意味が天下に明らかでなくなって久しい。現在、学問については新旧・中西・有用無用の争いがある。だが私は宣言する。学問には新旧も、中西も、有用無用も無いのだ、と。
     
     新旧なり中西なり有用無用なりが、お互いを相対化し、一種弁証法的な動きを示しながら、それぞれを新たな次元へ導いていくのである。しかしそれは既存の史料を次々と使い捨ててひたすら先へ突き進むことでは決してない。様々な史料が一定の解釈を施されることによって必然的に蒙る束縛を絶えず解き放ち、まったく思いがけない視点から、その史料が持つ別の潜在的可能性を見出すことである。 

     匿名希望

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