貝原損軒


貝原益軒は(1630-1714)は、福岡出身の偉大な学者です。『国史大辞典』から少し引用します。

江戸時代前期の儒学者、本草家、庶民教育家。筑前国福岡藩士。寛永七年(一六三〇)十一月十四日、寛斎とちくの五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、通称ははじめ助三郎、二十六歳で剃髪して柔斎と称すること十余年、結婚し蓄髪してのち藩主より久兵衛(祖父の通称)を賜わった。以後損軒と号し、晩年致仕後に益軒と改めた。
“かいばらえっけん【貝原益軒】”, 国史大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-06-21)

福岡藩に仕えていたころは「損軒と号し」、「致仕後に益軒と改めた」とあります。彼の致仕、つまり退職が認められたのは、『益軒先生年譜』(国会図書館蔵)によれば、元禄十三年(1700)、七月十日、七十一歳のことだそうです。少なくとも致仕する以前は、「益」軒ではなく、「損」軒と号していたわけですね。

さて彼には、元禄十年(丁丑、1697)に執筆した『初学知要』という著作があります。儒教のエッセンスを凝縮した便利な本といったおもむきのものですが、その自序をご覧ください。写真が二つありますが、上が京都大学人文科学研究所の蔵本、下が国会図書館の蔵本です。子ども向けの間違い探しのようで恐縮ですが、字が違うところが一箇所だけあります。お分かりになりますか?

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京大人文研蔵『初学知要』
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国会図書館蔵『初学知要』

お気づきのように、署名の部分、上には「損」軒、下には「益」軒とあります。このころはまだ損軒と名乗っていたはずですから、正しいのは上です。種明かしをすると、上は元禄時代に彫られた版木をそのまま使って印刷した本で、一方の下はその版木を使いつつも、一部にだけ変更を加えて江戸時代後期に印刷した本(後印本)なのです。

江戸後期の人にとって、損軒というのは馴染みの薄い名であって、それで有名な益軒に代えてしまったものかもしれません。そういう眼で眺めてみると、どうも「益」の字だけが少し太く、しかも左に寄っており、妙だとお気づきになると思います。

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