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吉川幸次郎の『尚書注疏』跋


吉川幸次郎『尚書注疏』跋
吉川幸次郎『尚書注疏』跋

足利学校遺蹟図書館に蔵する『尚書正義』(『尚書注疏』)二十巻は、宋の紹興(1131-1162)・乾道(1165-1173)の頃に出版されたもので、国宝にも指定されている名高い本です。これについては、阿部隆一氏が「日本国見在宋元版本志経部」(『阿部隆一遺稿集』第一巻、汲古書院、1993年)頁256-269に詳述されています。

この足利学校本には覆刻本があります。、「この足利本は松崎慊堂(1771-1844)の校審により弘化四年(1847)熊本藩時習館に於て覆刻され流布し」た、と阿部氏が言うとおりです。

その版本の一つが、京都大学人文科学研究所にも収められています。これについて、梶浦晋氏が「人文研のアーカイブス4『尚書正義』」と題して、興味深い紹介をなさっています(『漢字と情報』4、2002年)。

この書は,広く流布している一般的なものであるが,書中各所に朱筆による校合が記されていることが注目される。卷第二十末尾に,吉川幸次郎による以下のような跋がある。

その上で跋が引用されていますが、ここに標点を加えて転載いたします。

京都古梓堂文庫有舊鈔本『尚書注疏』、舊林氏讀耕齋書。審其款式、當出自越刻八行本、而與足利學所藏宋本時有異同。蓋其所據之本、印較早、補版少也。又足利闕頁、此皆不闕、則虎賁中郎、誠足貴矣。

原書、今莫知所在。或云、楊惺吾東游時得宋刻一部、後歸黄氏紹箕、張氏之洞、今在天津李氏者即此。未見其書、難可臆定。今就時習館本、細爲挍勘、又留書景三十頁、併存之我庫云。

挍者、佐藤君匡玄、高倉君正三、梅原君慧運、白木君直也、安田君二郎。昭和十二年十一月起十六年二月訖。吉川幸次郎識於經學文學研究室

この吉川幸次郎の跋文について、少々、事実関係を補っておきます。

(1)吉川幸次郎が言う古梓堂文庫は、久原房之助(1869-1965)氏の文庫であり、かつて京都大学附属図書館に寄託されていましたが、1948年、東急の五島慶太氏に譲られ、現在では大東急記念文庫に伝えられています。

(2)林氏讀耕齋とは、林羅山の四男、林靖(1624-1661)のこと。この人が写本のもとの持ち主でした。

(3)吉川氏は、古梓堂文庫の旧抄本『尚書注疏』は、足利学校本と同じ南宋刊の越刻八行本を写した本であり、しかもその底本は、足利学校本に比して補版が少なかったらしい、と述べています。その写本は、現在、大東急記念文庫に収められていますが、阿部氏によると、近世初期の写本、とのことです(「本邦現存漢籍古写本類所在略目録」、『阿部隆一遺稿集』第一巻、所収)。そうであるとすると、羅山か読耕斎が写させた写本かも知れません。

(4)大東急本の底本は宋版であるはずで、その宋版は楊守敬(1839-1915)の手により中国に持ち帰られ、黄紹箕(1854-1908)、張之洞(1837-1909)の手を経て、李盛鐸(1859-1937)の有に帰したという話を吉川氏は伝えていますが、吉川氏自身はそれが事実なのか否か、判断を保留しています。これについて、阿部氏は足利学校本を論じる中で次のように言っています。

本版には他に、楊守敬が大阪にて購得して後に南皮の張制府に譲り、今、北京図書館に架蔵される存十六巻(巻七・八、一九・二〇の欠巻は足利学校本による影鈔本を配して完具、楊守敬の跋を附し、楊志・中版録69著録)が知られるにすぎず、中版録は同本を「補版絶少」と記している。(「日本国見在宋元版本志経部」)

「南皮の張制府」は、張之洞のこと。楊守敬が持ち帰り、いま中国の国家図書館(旧、北京図書館)に蔵するその本は、「中華再造善本」というかたちにより、2004年、影印、複製されました。

吉川幸次郎が『尚書正義』を校訂し、翻訳したことはよく知られています。数名の学者の力を借りて書き入れられた異文を持つ本書は、その時の「共同研究」の一過程を伝えるものといえそうです。

『読書の学』の読みがたさ


吉川幸次郎『読書の学』(筑摩書房、1975年)を若い漢学徒に読んでもらいたいと願っています。しかしその一方で、「本書は読みがたい」という思いもあります。

20代の頃、初めて本書を読んだ時、「たいへんに面白く、しかも重要な著作だ」と感じました。今、あらためて読みかえしてみると、「たいへんに面白く、しかも重要ではあるけれども、難しい」という印象です。授業の必読書リストに追加するなら、いくつかの但し書きがいるかも知れません。試みに、ここに列記してみます。

  1. 粗雑に読むなかれ。「細心の読者」を目指しましょう。特に引用文は読み飛ばさずに。ただ、丁寧に読むのが難しいのも事実ですから、時間をかけて読みましょう。
  2. 博識に驚くなかれ。著者の博学に目がくらめば、著者の伝えたいこと、思考の軌跡を追いがたくなります。
  3. 知識を得ようとするなかれ。知識を得るための便利本ではありません。考え方を読み取ってください。
  4. 言葉にとらわれるなかれ。著者の用いる概念には明瞭でないものが含まれており、英文学や国文学にも言及が多く、十分に専門的でない場合もありますが、時に、意を汲むことも必要です。批判はむろん結構ですが、そこで投げ出したり、軽んじたりするのはやめてください。

私自身、十分に著者の行論を追い切れないところもありますが、ただ、それはどうやら私の問題ばかりでもなさそうで、第19回に引用されている、島田虔次氏から著者に宛てられた年賀状には、「「ちくま」のご連載、佳境に入るが如く、入らざるが如く、甚だ人をして焦燥せしめます」とあった、とのこと。大学者と引き比べるのは恐縮ですが、著者の思索の行き先の見定めがたさは誰にとってもかわらぬようです。

20代の頃には、なぜ本書を難しいと思わなかったのか?読みに慎重さが足りなかった、というわけです。「読書の学」を分かったつもりで、分かっていませんでした。上に挙げた四つの戒めは、つまるところ、過去の自分に対する苦言に他なりません。

「読書の学」を如何に身につけるか?それが要点です。

『読書の学』


学者が書物を読むのは当たり前のようですが、特に「読書の学」なる書名を与えられた書物があります。吉川幸次郎『読書の学』(筑摩書房、1975年)。

その「読書の学」とは、「一一の書の一一の言語表現そのものに即し、その外に向かってひろげる波紋、更には内に向かってうずまく波紋、つまり一一の言語表現にまつわる無限に複雑なもの、それを静かに追求する仕事」(第39回)を目指す、そのようなものです。1971年の夏から、1975年の春まで、吉川氏が筑摩書房の雑誌「ちくま」に連載した文章がまとめられています。

当時は広く知識層に向けて語りかけられたのですから、中国学徒のみならず、多くの読者があったことでしょう。そして本書は、読書界一般はいざ知らず、日本の中国学の世界においては、今後とも永遠に読み続けられるべき書物だと思われます。

著者自身が「はしがき」にて、「より道は甚だ多い」と述べるとおり、曲折が多く、しかも思索が粘り強いので、決して読みやすくはありません。「書物を読む際、事実のみをとらえるのみでなく、書物の著者が発した言語を徹底的に吟味せよ」という主張自体は分かりにくくないのですが、なぜそのことを語る本書の行文に曲折が多いのか、なぜこのように粘り強いのか、この点を追うのでなくては、本書を読む意味は薄いでしょう。

漢学徒として読むならば、現代中国語の習得はもちろん、一定程度、駢文や古文を学んであることが本書を読む条件になるかも知れません。読み飛ばしは厳禁です、著者は「粗心の人」(第11回)を戒めるために本書を書いたのですから。我々はせいぜい、「細心の読者」となることを目指すべきでしょう。もちろん、漢学徒以外の読者は自由に読めばよいのですが、我々はここから何かを汲むのですから、そうせざるを得ません。

『史記』の一句、「隆準而龍顔」をめぐる思考は、第10回から第16回に及び、実に粘り強く感ぜられます。しかもそこまで粘り強く追究したうえで、「事実として結局どうであったのか」という問いに対する判断は、なお慎重に保留されており、安易に答えを求める割り切りとは正反対です。それでも厳然として連なる古典の文句のリズムを受け止める、それこそが著者の姿勢なのです。

本書はすべて39回の連載をまとめたものですが、特に重要なのは、第1回から第24回まで、それと第39回であると思います。読み物として面白いのは、第31回、第32回の太宰春臺のところなどでしょうが、方法論を学ぶには前半部分を熟読する必要があります。

著者は言います。

私のいう「読書の学」は、すべての書に施さるべきである。しかしそのまずもっとも施さるべき対象、あるいは対象それ自体が「読書の学」を要求するのは、契沖の「万葉集」におけるごとく、文学の言語であり、詩の言語であるとしなければならない。(第29回)

その言に同意しつつ、より広く中国学の方法として、「読書の学」があることを、我々後輩の学徒はあらためて確認する必要があります。最終回である第39回に、契沖の言葉を引用するのは、私にとって、限りない励みです。

よろずの奥義は誰かはきはむる人あらん、此理ありと信じて、いつはりをすてて、心のをよふ所まことにつかは、神明もこれをうけたまふへし。

*吉川幸次郎『読書の学』(筑摩書房、1975年)(筑摩書房、1988年、筑摩叢書)(筑摩書房、2007年、ちくま学芸文庫)。