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『インド哲学10講』


インド哲学についてはほとんど知るところがなく、常々それを恥じていたのですが、赤松明彦先生からご新著をいただき、これはよい機会だと思い読んでみました。

『インド哲学10講』
赤松明彦著
岩波書店 2018.3 岩波新書, 新赤版 1709

  • 講義をはじめる前に
  • 第1講 インド哲学のはじまりと展開―ウッダーラカ・アールニの登場
  • 第2講 存在と認識―新しい思想家たち
  • 第3講 存在の根源―「一者」をめぐって
  • 第4講 二元論の展開―サーンキヤ派
  • 第5講 因果論と業論―世界を動かす原理
  • 第6講 現象と存在―シャンカラの思想
  • 第7講 生成と存在―「なる」と「ある」の哲学
  • 第8講 言葉と存在―言葉はブラフマンである
  • 第9講 存在と非存在―言葉と普遍
  • 第10講 超越と存在―ヴァイシェーシカ派とニヤーヤ派
  • あとがき
  • 読書案内
  • 略年表

講義形式で書き進められていて、ヴェーダの正統から、文法学派、仏教、ジャイナ教まで論じられており、時代的にも紀元前7世紀から紀元後15世紀までに及んでいます。インド哲学の歴史をただ時間軸に沿って記述するのではなく、インドの哲人たちが「存在の根源」を如何に理解したか、また「因果」の問題をどのように考えたか、言語をどのようにとらえたか、など、哲学的なトピックを取り上げて、それに沿って著者の見解をお示しになった一冊です。

もちろん初学者にも十分ついて行けるよう、配慮はなされているのですが、インドの固有名詞や様々な概念が散りばめられており、門外漢にはなかなかフォローしづらいところもあります。

しかし個人的には、よく分かる(と思える)ところもありました。たとえば、第3講で語られている「根源的一者」なるものが、現象界の多様な個物とどのような関係にあるかについて、次のような整理があります(本書、p.60)。

  1. 根源的一者から多様な事物が産出される[増殖説]
  2. 根源的一者によって多様な事物が作り出される[創作説]
  3. 根源的一者が変容して多様な事物(実在)が実際に現れてくる[開展(転変)説]
  4. 根源的一者が変容して多様な事物(非実在)が幻影的に現れてくる[仮現説]

「根源的一者」とか「多様な事物」などと言われても、どうも得体が知れないと感ずる方もいらっしゃるかもしれませんが、私には分かりやすく思われたのです(勘違いかも知れませんが)。それは、「”根源的一者”とは、つまり老荘思想でいう”道”のことだな」「”多様な事物”とは、つまり中国の”万物”のことだな」というように、自分自身がある程度知っている中国思想の述語に置き換えて理解することができたからなのでした。

このような理解は、類似を手がかりとした類推に過ぎないので、危険と言えば危険なのですが、何も前提がないよりは分かりやすい、というわけです。

しかし、これだけでうまくゆくはずがありません。第9講「存在と非存在」というタイトルを、私は「”有”と”無”かな?」と早合点してしまったのですが、どうもしっくりときません。読み進めてみると、”非存在”とは、”はっきりと存在すると言えるに至る手前の状態の何か”、というような意味合いであって、中国でいう”無”ではないことが分かりました。そういう意味では、インド思想を中国風に理解する「格義」の限界を思い知らされもしました。

後半部分には、井筒俊彦のインド哲学理解に関する議論もあり、興味深く読みました。井筒の語った内容を、今の学者がさらに活性化させ、どんどん展開してゆく必要があると思っていたところなので、とりわけ印象深く感ぜられました。

それにも関連して「文法学派」の紹介があることなど、とても面白そうなのですが、全貌が十分にはつかめなかったのは残念で、少なくとも第8講・第9講くらいはよく分かるようになりたいと願っています。そのためには私の場合、本書に附せられた「読書案内」を手がかりとして、外堀から埋めてゆく必要がありそうに思われました。

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