カテゴリー別アーカイブ: 校誤

一画の差


名高い泰山の北に済南という町がありますが、後漢から隋にかけての時代、このあたりは山茌県という地名だったそうです。『後漢書』郡国志に「山茌,侯國」(『後漢書』郡國志三、兗州、泰山郡)と見えるのがその早い例。

ところで、さまざまな書物やそのさまざまな伝本において、この「山茌」を「山荏」と誤るものが相当数あり、たとえばちかごろたまたま眼にした『続高僧伝』読誦篇の一文もそうでした。

高麗再雕本『続高僧伝』より
高麗再雕本『続高僧伝』より

釋志湛,齊州山人,是朗公曾孫之弟子也。(『續高僧傳』卷二十八、讀誦篇、魏泰岳人頭山銜草寺釋志湛傳。T50-686a)

『大正新修大蔵経』では、この部分に校勘記がありませんが、しかし「山荏」が「山茌」の誤りであることは確かです。たとえば、CBETASATKANRIPOといったデータベースで、「山荏」と検索してみてください。他にも例を見いだせます。

近年、『続高僧伝』の点校本が出ました(郭紹林點校『續高僧傳』、中華書局、2014年、中國佛教典籍選刊)。この本を見たところ、誤りなく「山茌」となっていたのは好印象でした。底本は磧砂版とのこと、いずれ確認しておきたいと思います。

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『漢代婚喪礼俗考』の引書


このごろ同志社大学大学院の授業で、楊樹達(1885-1956)の著書、『漢代婚喪礼俗考』(商務印書館、1933年)を読んでおります。漢代の習俗を理解するための良い手引きですし、この際、楊樹達の書いたものをもう少し読んでおきたいという気もありました。

もちろん内容はしっかりした書物なのですが、本書の中にたくさん引用されている資料について、少しばかり問題を感じています。『漢書』『後漢書』などについては問題ないものの、それ以外の書物を引用する場合、かなり明白な「孫引き」が存在しているのです。

後漢の鄭衆の『百官六礼辞』、『婚礼謁文』(及び『婚礼謁文賛』)は、後漢時代における婚礼のあり方を伝える重要な文献でありながら、今は失われており、『通典』や『藝文類聚』『初学記』『太平御覧』などに引用された佚文を利用するしか手がありません。

楊樹達も『通典』や類書などの名を挙げて資料を並べますが、実は、直接に資料を見ていない可能性が濃厚です。楊氏の列記する資料に誤字が多いことが気になり、調べてみたところ、その誤りが厳可均(1762-1843)『全後漢文』巻二十二の誤りを踏襲するのではないか、と、思いあたりました。受講生の堀祐輔さんも資料に当たって、その推測を補強してくださいました。

『全後漢文』は、厳可均の『全上古三代秦漢三国六朝文』746巻の一部で、後漢時代の佚文を網羅的に集めた書物。そこには鄭衆の書物の佚文も集めてあるので、どうやら楊樹達はこれをそのまま拝借したようです。その際に誤字まで引き継いでしまったのでしょう。

一例を挙げると、第一章「婚姻」第二節「婚儀」に引く『婚礼謁文賛』に、『太平御覧』巻八百三十からとして、次の資料を載せます。

長命之縷,女工所為。

これは、『全後漢文』も同文ですが、現在、『太平御覧』を読む際によく利用されている四部叢刊三編本では、以下の通りとなっています(句読は私に加えたもの。以下同じ)。

長命之縷,女工所制。縫君子裳,高松為例。

「制」「例」と韻を踏み、こちらこそが完全な文であるはずで、『全後漢文』の引用は文が崩れていることが分かります。

張刻『太平御覧』
張刻『太平御覧』

ちなみに、清朝の『太平御覧』の版本はいくつかありますが、たとえば嘉慶十四年(1809)の張海鵬従善堂刊本では、以下のように作っています。

長命之縷,女工□□□□所為例。

つまり、「所」の上の四文字が闕字になっているのです。おそらく厳可均が見た本にも似たように闕字があったのでしょう。もしかすると、厳可均は張海鵬刊本そのものを見たのかもしれません。そして、苦し紛れに「女工所為」の形に仕立てた、と想像できます。

もし楊樹達が『太平御覧』を直接に見たのであれば、この闕字についての言及があってしかるべきでしょう。直接に見ていないからこそ、このような誤りが出たのです。また『婚礼謁文賛』「九子之墨」の出所を『太平御覧』巻六百二(正しくは六百五)と誤るのも、『全後漢文』の誤りの踏襲です。

楊樹達が厳可均の誤りを引き写してしまったという推測は、まず間違いありません。この種の誤りが多いところが『漢代婚喪礼俗考』の信頼性を傷つけてしまっており、これは残念なことです。『漢代婚喪礼俗考』の版を新しく作る際には、こういった誤りを是非とも修正すべきでしょう。

空格ひとつ


光緒二十一年本『墨子閒詁』
光緒二十一年本『墨子閒詁』

名著として知られる、孫詒讓(1848-1908)の『墨子閒詁』。

孫氏は光緒二十一年(1895)、木活字本として本書を出版しました。この版は三百部しか印刷されず(後述する光緒三十三年の孫氏識語に「以聚珍版印成三百部」と見えます)、流布は少ない本です。

墨子閒詁十五卷 目錄一卷 附錄一卷 後語二卷
淸 孫詒讓 撰 光緒二十一年 瑞安孫氏 活字印本

ただ孫氏自身、誤りが多いことを気にしたらしく、後にあらためて木板本を作り、光緒三十三年(1907)の四月にそのための識語を書いています(宣統二年本の總目の後ろに見える)。その木板本は孫氏の亡くなった後、宣統二年(1910)になって出版されたもののようです。

ある研究会で、この光緒二十一年活字本と宣統二年整版本とを比較しました。光緒二十一年本には、たくさんの訂正があります。その多くは誤字をホワイトで消したうえで、毛筆で訂正するか、スタンプを押して訂正するか、あるいは紙を貼り付けて訂正してあります。おそらくこれらは、孫詒讓自身の指示で行われた訂正であろうと想像します。

見たところ、その訂正の結果は宣統二年本によく反映されているようでした。しかし、訂正が反映されていない部分をひとつ見つけました。それは、黄紹箕(1854-1908)の跋文中の次の一節にあります。

備城門以下二十□篇,今亡九篇。(宣統二年本による)

光緒二十一年本黄跋
光緒二十一年本黄跋

光緒二十一年本では、「二十二篇」と誤り、そのうえで下の「二」字に縦の線二本を書き加え、□の形に書き直しています。これは空格であり、光緒二十一年本の訂正のしかたを見ると、衍字を削除する記号(現在の校正でいうトルツメ)であると判断できます。

そうであるならば、改めて版を作る場合には「備城門以下二十篇」とするのが正しい道理です。宣統二年本が、「備城門以下二十□篇」と空格を残したのは小さな瑕疵でありました。

この誤りは、現在もっとも流布している新編諸子集成所収の点校本にも引き継がれています。お手もとの本を一度、ご確認ください。

鳳凰出版社版『説文解字注』


数年ほど前、段玉裁『説文解字注』の標点本が出版されました。『説文解字注』、上下冊、許惟賢整理、鳳凰出版社、2007年。これまでは『説文解字注』といえば、嘉慶二十年(1815)に段氏自身が刻した経韵楼本やその影印本ばかり利用してきましたが、何と言っても標点本は手軽です。

この鳳凰出版社版の『説文解字注』、かなりよい出来で、通読のためにふさわしい本と言えましょう。 この数年、我々のグループ「点注会」は、『説文解字注』を会読しており、先週、三篇下までを読み終えました。鳳凰版の標点本を時々、参照しているのですが、いくつか鳳凰版の誤りが目につきましたので、三篇下についてのみ、備忘のために記しておきます。亀甲括弧の中が段玉裁注です(適宜、省略してあります)。校誤は漢語で記します。

  • 㱾,㱾,大剛卯也,㠯逐精鬽。从殳,亥聲。(鳳凰版第215頁,經韵樓本第二十七頁)

按:「㱾改」,經均樓本亦同,然宜作「㱾攺」。『説文解字注』第三篇下,攴部云:「攺,㱾攺,大剛卯㠯逐鬼鬽也。从攴,巳聲。讀若巳」,音余止切(鳳凰版第225頁,經韵樓本第四十頁)。

  • 尋,繹理也。〔……《方言》曰:「尋,長也。海岱大野之閒曰尋,自關而西,秦晉梁益之閒凡物長謂之尋。」《周官》之法,度廣爲尋。古文《禮》假尋爲燅。《有司徹》:「乃燅尸俎。」注:「燅,温也。」古文燅皆作尋,《記》或作尋。《春秋傳》:「若可尋也,亦可寒也。」……〕(鳳凰版第216頁,經均樓本第三十頁)

按:「《周官》之法,度廣爲尋」一文,《方言》(第一)文,引號有誤,當改。

又按:「古文燅皆作尋,《記》或作尋。《春秋傳》:「若可尋也,亦可寒也。」」,此亦《儀禮・有司徹》鄭注文,當改引號。

  • 寇,暴也。〔暴當是部之曓,……。〕(鳳凰版第223頁,經韵樓本第三十七頁)

按:「本」當作「夲」。本書十篇下,夲部:「夲,進𧼈也。从大十」,音土刀切(鳳凰版第869頁,經均樓本第十五頁)。

  • 斆,覺悟也。从,尚矇也。〔下曰:「覆也。」尚童矇,故敎而覺之。此說從之意。……〕聲。(鳳凰版第226頁,經韵樓本第四十一頁)

按:「冂」字四見,均當作「冖」。本書七篇下,冖部:「冖,覆也。从一下垂也」,音莫狄切(鳳凰版第617頁,經韵樓本第三十六頁)。

又按:「臼」當作「𦥑」。本書三篇上,𦥑部:「𦥑,叉手也」,音居玉切(鳳凰版第189頁,經韵樓本第三十九頁)。

これらの誤りは、すべてメンバーの指摘によるものであり、特に白須裕之先生がお気づきになったものが多いこと、ここに明記します。 標点本は確かに便利ですが、全面的には依拠できるわけではありません。経韵楼本を主とすべきことは、今後も変わらないようです。

藝文印書館本『十三經注疏』について


「十三経注疏」は、儒家の経典(けいてん)たる「十三経」の本文と、標準的な注釈を示すものとして重んじられています。そして「十三経注疏」と一口に言う場合には、阮元(1764-1849)が嘉慶二十年(1815)に整理、出版した通称「阮元本」(文選本、南昌府学本などとも)をもっぱら念頭に置くことが多いようです。その書誌を掲げておきます。

重栞宋本十三經注疏 坿校勘記

清 阮元 撰校勘記 清 盧宣旬 摘録   嘉慶二十年 南昌府學 據儀徵阮氏文選樓藏宋本重刊  184册

  • 周易兼義九卷 坿音義一卷 坿注疏校勘記九卷 坿釋文校勘記一卷 魏 王弼 注 晉 韓康伯 注 唐 孔穎達 疏 唐 陸德明 撰音義
  • 附釋音尚書注疏二十卷 坿校勘記二十卷 漢 孔安國 傳 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音毛詩注疏二十卷 坿校勘記二十卷 漢 毛亨 傳 漢 鄭玄 箋 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音周禮注疏四十二卷 坿校勘記四十二卷 漢 鄭玄 注 唐 陸德明 音義 唐 賈公彥 疏
  • 儀禮疏五十卷 坿校勘記五十卷 漢 鄭玄 注 唐 賈公彥 疏
  • 附釋音禮記註疏六十三卷 坿校勘記六十三卷 漢 鄭玄 注 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 附釋音春秋左傳注疏六十卷 坿校勘記六十卷 晉 杜預 注 唐 陸德明 音義 唐 孔穎達 疏
  • 監本附音春秋公羊注疏二十八卷 坿校勘記二十八卷 漢 何休 學 唐 陸德明 音義 □ 闕名 疏
  • 監本附音春秋穀梁注疏二十卷 坿校勘記二十卷 晉 范甯 集解 唐 陸德明 音義 唐 楊士勛 疏
  • 論語注疏解經二十卷 坿校勘記二十卷 魏 何晏 集解 宋 邢昺 疏
  • 孝經注疏九卷 坿校勘記九卷 唐 玄宗李隆基 注 宋 邢昺 校定
  • 爾雅疏十卷 坿校勘記十卷 晉 郭璞 注 宋 邢昺 校定 □ 闕名 音
  • 孟子注疏解經十四卷 坿校勘記十四卷 漢 趙岐 注 宋 孫奭 疏

しかしながら、阮元本の原刻版本そのものは貴重なものですから、多くの場合、一般の学者や学生は、この版本を影印出版という技法により複製したものを用いています。台湾の藝文印書館本が代表的なものでしょう。1955年に出版されたのち、何度も再版され、さらに2001年、新たに「初版」として出版されました。

  • 『十三經注疏』藝文印書館, 1955年(中華民国44年)
  • 『十三經注疏』藝文印書館, 2001年(中華民国90年) ISBN 957-520-029-2
90年版
90年版
49年版
49年版

最近、『礼記正義』を読んでおり、気になるところがあるので、中華民国44年版の再版である民国49年版と、中華民国90年とを比較してみたのですが、内容が完全に同一ではないことに気がつきました。

『礼記正義』巻32、第6葉表、8行b、2文字目を見ると、前者では「由」、後者では「出」となっているのです。私は「由」が正しいと思っています(原刻本が手元にないので、確認できませんが)。

この間の事情は判然としませんが、影印本といっても、手が加えられていることは確かです。実は、この種の改変については、以前から知ってはいたのですが、「影印本の危うさ」はもっと広く認識されてもよい、と考え、今回ご紹介してみました。

同書をお持ちの読者におかれましては、当該部分、お手元の藝文本がどのように作っているか、ご教示くだされば幸いです。また、原刻の阮元本に当たって確かめてくだされば、なお助かります。

「帯」は無用である


『礼記』喪服小記に、次の経文があります。

齊衰,惡筓以終喪。

斉衰(しさい)の場合、(女性は)粗末な髪飾りを着け、(そのまま)喪を終える。

近しい人が亡くなった時の定めである喪服(そうふく)には、五種類あります。

  • 斬衰(ざんさい)。最も重い喪服で、子が父に服したり、父が長男に対して服する場合のもの。
  • 斉衰(しさい) 。斬衰に次いで重く、子が母に服したりする場合のもの。
  • 大功。斉衰に次いで重く、男子がすでに嫁いだ姉妹に服したりする場合のもの。
  • 小功。大功に次いで重く、男子が伯祖父母に服したりする場合のもの。
  • 緦麻(しま)。最も軽い喪服で、男子が族曾祖父母に服したりする場合のもの。

『礼記』喪服小記には、二番目に重い服である斉衰の場合、女性は粗末な髪飾りを着け、喪を終える、と書いてあるわけですが、なぜか、これに対して鄭玄の注は、髪飾りだけでなく、帯をも説明しているのです。

筓所以卷髮,帶所以持身也。婦人質於喪,所以自卷持者,有除無變。

髪飾りは髪をまとめるための道具であり、帯は身を持するためのものである。婦人は喪においては簡素であり、それゆえみずから髪をまとめたり身を持したりするものには、(喪を終えて)やめることだけが定められており、途中で変更することはない。

一般的に『礼記正義』は、阮元が整理して校勘記を付けた南昌府学本が用いられていますが、この部分、次のような校勘記が付けられています。

齊衰惡笄以終喪 閩、監毛本同。石經同。岳本同。嘉靖本同。衞氏集說同。《考文》引古本、足利本,齊衰下有帶字。段玉裁挍本云:「惡笄下應有帶字。按注云:笄所以卷髮,帶所以持身。先釋笄,後釋帶,是脫帶字,不當在惡笄上。正義亦云:此一經明齊衰婦人笄帶終喪無變之制,亦先言笄,後言帶。是皆惡笄下應有帶字之確證。段玉裁是也。正義出經文此句二見,並脫帶字,亦當補。○按:段玉裁又云:《儀禮》喪服布總箭笄疏引《喪服小記》云:「婦人帶惡笄以終喪」,有帶字而在惡笄之上,是各本不同也。

段玉裁の説に基づき、「齊衰,惡筓帶以終喪」と、「筓」の下に「帶」字があるのが正しい、という判断です。鄭玄が「筓」と並べて「帶」をも解いているのが主たる根拠とされています。

しかしこれに対し、ひとつの反証があります。先日、ご紹介した『礼記子本疏義』に、鄭注「筓所以卷髮,帶所以持身也。婦人質於喪,所以自卷持者,有除無變」を釈して、次のようにいうのがそれです。

艷言帶耳。

この短い一文はなかなか難解ですが、「修辞を美しくして帯にも言及しただけである」の意ではないかと思うのです。少なくとも、「耳」とは、経文にない「帶」字に注が言及したことに対する、疏義の説明ではありましょう。

そうであるとすると、少なくとも皇侃(488-545)、鄭灼(514-581)らが見た『礼記』の経文には、「帶」の字がなかった道理です。字を補うのは性急に過ぎるように思われます。

なお、北京大学出版社版『礼記正義』(1999年、横排簡化字版)では、次のような経文を掲出しています。

齊衰,惡筓,帶以終喪。(p.956)

阮元校勘記を引用して、それを根拠に字を補ったわけです。さらにまた、この経文に対応する疏の部分にも、経文の引用があるのですが、そこでも同様に「帶」字を補って標点しています(p.957)。

字を補うことが無根拠というわけではないのですが、上記の句読は問題です。これでは意味をなしません。少なくとも、「筓」の後の読点は削除すべきでしょう。

北京大学出版社標点本『礼記正義』巻三十二の校誤


1999年、李学勤氏を主編とする「十三經注疏」の標点本が、北京大学出版社から刊行されました。まず簡体字版が刊行され、翌年に繁体字版が出版されました。私は簡体字版を利用しており、重宝しております。

古典籍を読む時に、どのような本を選んで読むのか、というのは、人により考えの大きく異なるところですが、私は、比較的満足できる整理のなされた本があるならば、なるべくそれを選ぶのがよいと思っております。手際よく整理された本に基づいてこそ、最もはやく、多く読むことができる、そのように考えるからです。

北京大学出版社版の「十三經注疏」も、なかなか便利な本であると思っておりますが、『礼記正義』については、少々、首を傾げるところが出てきました。この頃、『礼記子本疏義』という写本を読んでみたのが契機です。これは、梁の皇侃の説を本として、その弟子の鄭灼という学者がさらに補った、『礼記』の義疏であり、その残巻一巻(巻59)が早稲田大学に蔵せられており、国宝にも指定されています。『礼記』の喪服小記の解釈に当たる部分で、『礼記正義』と照らし合わせることにより、さまざまなことが分かります。

対照するまでもなく分かる誤りもありますが、対照してはじめて気がつく誤りもありました。以下の通り、標点本の誤りを数条指摘いたします。まず北京大学出版社本の標点を示し(表記は繁体字に変更しています)、次に私が正しいと考える標点を示します。標点については青色で、誤字・脱字については赤色で強調しています。

  1. (誤)「“男子免而婦人髽”者,吉時首飾既異,今遭齊衰之喪,首飾亦別,當襲斂之節,男子著免,婦人著,故云“男子免而婦人髽免”者,鄭注《士喪禮》云:“以布廣一寸,自項中而前,交於額上,却繞紒也,如著幓頭矣」。(p.956。台湾芸文本p.589-2)
    (校)「“男子免而婦人髽”者,吉時首飾既異,今遭齊衰之喪,首飾亦別,當襲斂之節,男子著免,婦人著,故云“男子免而婦人髽。”免者,鄭注《士喪禮》云:“以布廣一寸,自項中而前,交於額上,却繞紒也,如著幓頭矣」。
  2. (誤)「婦人之髽,則有三,別其麻髽之形,與括髮如一」。(p.956。台湾芸文本p.589-2)
    (校)「婦人之髽,則有三別,其麻髽之形,與括髮如一」。
  3. (誤)「又鄭注士喪禮云:“始死將斬衰者,雞斯是也”」。(p.957。台湾芸文本p.590-1)
    (校)「又鄭注士喪禮云:“始死將斬衰者,雞斯”,是也」。
  4. (誤)「男子婦人畢去屨無絇」。(p.957。台湾芸文本p.590-1)
    (校)「男子婦人,皆吉屨無絇」。
  5. (誤)「其斬衰,男子括髮齊衰。男子免,皆謂喪之大事斂殯之時」。(p.958。台湾芸文本p.590-2)
    (校)「其斬衰,男子括髮;齊衰,男子免,皆謂喪之大事斂殯之時」。
  6. (誤)「事事得,如父卒為母,故三年」。(p.959。台湾芸文本p.590-2)
    (校)「事事得,如父卒為母,故三年」。
  7. (誤)「今大夫弔士,雖是緦麻之親,必亦先稽顙而後拜,故皇氏載此稽顙,謂“先拜而後稽顙”,若平等相弔,小功以下,皆不先拜後稽顙;若大夫來弔,雖緦麻,必為之先拜而後稽顙,今刪定」。(p.960。台湾芸文本p.591-1)
    (校)「今大夫弔士,雖是緦麻之親,必亦先稽顙而後拜,故皇氏載此稽顙,謂“先拜而後稽顙,若平等相弔,小功以下,皆不先拜後稽顙;若大夫來弔,雖緦麻,必為之先拜而後稽顙”,今刪定」。
  8. (誤)「故略其相親之也」。(p.961。台湾芸文本p.591-2)
    (校)「故略其相親之也」。
  9. (誤)「既義須繼,言不繼祖自足」。(p.965。台湾芸文本p.593-1)
    (校)「既義須繼,言不繼祖自足」。
  10. (誤)「云“此二者當從祖祔食。己不祭祖,無所食之也者」。(p.966。台湾芸文本p.593-2)(校)「云“此二者,當從祖祔食,己不祭祖,無所食之也者」。
  11. (誤)「庾氏云:“此殤與無後者所祭之時,非唯一度四時,隨宗子之家而祭也」。(p.966。台湾芸文本p.593-2)
    (校)「庾氏云:“此殤與無後者所祭之時,非唯一度,四時隨宗子之家而祭也」。
  12. (誤)「“從服”者,按服術有六,其一是“徒從”者,徒,空也,與彼非親屬,空從此而服彼。徒中有四」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「“從服”者,按服術有六,其一是“徒從”者,徒,空也,與彼非親屬,空從此而服。彼徒中有四」。案ずるに『礼記子本疏義』には「徒,空也。與彼非親屬,空從此而服也。彼從中有四」とあります。「彼從」の方がよいように思いますが、『礼記正義』の諸本に「從」と作るものはなさそうです。
  13. (誤)「“屬從”者,所從雖沒也,服此,明屬從也」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「“屬從者,所從雖沒也服”,此明屬從也」。
  14. (誤)「特云“謂若自為己之母黨”者」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「特云“謂若自為己之母黨”者」。
  15. (誤)「其士既職卑,本無降」。(p.968。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「其士既職卑,本無降」。
  16. (誤)「故鄭注《士虞記》“尸服,卒者之服,士玄端”是也」。(p.969。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「故鄭注《士虞記》“尸服,卒者之服”:“士,玄端”是也」。
  17. (誤)「按《尚書序》云“成王既黜殷,命殺武庚,命微子啟代殷後,是擇其賢者,不立封紂子”是也」。(p.969。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「按《尚書序》云“成王既黜殷,命殺武庚,命微子啟代殷後”,是擇其賢者,不立封紂子,是也」。
  18. (誤)「言親終一期,天道變」。(p.970。台湾芸文本p.595-2)
    (校)「言親終一期,天道變」。
  19. (誤)「“知再祭,練、祥”者,下云:“主人之喪有三年者,則必為之再祭。朋友虞祔而已。”再祭非虞、祔」。(p.971。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「知“再祭,練、祥”者,下云:“主人之喪有三年者,則必為之再祭。朋友虞祔而已。”再祭非虞、祔」。
  20. (誤)「皇氏云:“死者有三年之親,大功主者為之練、祥。若死者有期親,則大功主者為之至練。若死者但有大功,則大功主者至期,小功、緦麻至祔。若又無期,則各依服月數而止。”故《雜記》云:“凡主兄弟之喪,雖疏亦虞之。”謂無三年及期者也」。(p.971。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「皇氏云:“死者有三年之親,大功主者為之練、祥。若死者有期親,則大功主者為之至練。若死者但有大功,則大功主者至期,小功、緦麻至祔。若又無期,則各依服月數而止。故《雜記》云:“凡主兄弟之喪,雖疏亦虞之。”謂無三年及期者也。”
  21. (誤)「而“父稅喪已則否”者」。(p.972。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「“而父稅喪已則否”者」。
  22. (誤)「若此親死」。(p.972。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「若此親死」。
  23. (誤)「若君未除,則從服之」。(p.972。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「若君未除,則從服之」。
  24. (誤)「比反而君親喪」。(p.973。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「比反而君親喪」。

まだ作業の途中ですが、備忘のために書いておきました。この記事は、随時、内容を追補する予定です。

北京大学出版社標点本『礼記正義』巻三十二の校誤 の続きを読む

『旧唐書』経籍志の標点一則


中華書局から出版されている校本『旧唐書』の標点に誤りを見つけたので、メモしておきます。

『旧唐書』経籍志の叙に次のようにあります。

煚等撰集,依班固藝文志體例,諸書隨部皆有小序,發明其指。近史官撰隋書經籍志,其例亦然。竊以紀錄簡編異題,卷部相沿,序述無出前修。(『旧唐書』,中華書局,1975年,p.1964)

これでは、意味が通りませんし、平仄も合いません。以下のように変更するのが適切です。訳文も付しておきます。

煚等撰集,依班固藝文志體例,諸書隨部皆有小序,發明其指。近史官撰隋書經籍志,其例亦然。竊以紀錄簡編,異題卷部,相沿序述,無出前修。
煚〔毋煚を指す〕たちの撰した目録は、班固『漢書』芸文志の体例にのっとり、諸書の部ごとにいずれも小序があり、その部の趣旨を明らかにしようとしている。近頃、史官が『隋書』経籍志を撰したが、それの体例も同様であった。私が思うに、書籍を著録する際、分類名に異なる題をつけてみたところで、前の目録を踏襲して叙述するばかりで、先行の著作以上のものとはなっていない。

余嘉錫『目録学発微』(中華書局,1963年)を翻訳していてこのことに気づいたのですが、余嘉錫が引用するこの旧唐志の一節(五「目録書之体制」三,p.58)、何と中華書局『旧唐書』と同じように句読しています。両者、同様に誤っているのがやや不可解です。

しかし、同じページに余嘉錫みずから「相沿序述,無出前修」と再びその二句を引いているのですから、余氏が標点本のように読んだはずはありません。最近、『目録学発微』はさまざまな形で版を重ねていますが、いずれの標点本も誤っています。誤りが50年も踏襲されているのは、嘆かわしいことです。