カテゴリー別アーカイブ: 章学誠

地面に散乱した硬貨


Zeni1kanbun
日本語版wikipedia「貫」より

昔の硬貨には、孔の開いたものがありました。それを何枚も集め、「貫」と呼ばれるひもに通して束にして利用するのです。現在我が国の五円玉や五十円玉に孔が開いているのはその名残ではあるものの、ひもに通す習慣はいまや廃れてしまいました。

そういった硬貨が、まとまりもなく地面に雑然と積まれている。まとまりを欠いた学問は、そのようなものである。章学誠の手紙に見えたその言葉に、不意を突かれてしまいました。

学問や文章といったものは、家法を成す必要があり、広く見渡して材料を集め、秩序立てて手中に収めるものですが、書物は大量にあって究めがたく自分の力にも限界があります。集中的に熱心に力を尽くすところがなければ、硬貨が地面に雑然と積まれ、(硬貨の孔に)ひもを通して貫けずにあるようなものです。

大抵學問文章,須成家數,博以聚之,約以收之,載籍浩博難窮,而吾力所能有限,非有專精致力之處,則如錢之散積於地,不可繩以貫也。(「章氏遺書」本『文史通義』外篇三「與林秀才書」)

章氏が林秀才なる人物に宛てた手紙の一文です。この林氏が誰なのか、これがいつ書かれたものか、知る手がかりはありません。ともかく、その林さんは、中国古典に関する学術的な札記、『三餘筆録』を執筆し、章学誠に送ってよこし意見を求めたらしく、この「与林秀才書」なる手紙がそれに対する章氏の回答であることは間違いありません。

章学誠は何の忌憚もなく、この『三餘筆録』という書物が体系性を欠く雑然としたメモに過ぎず、とても「著述」の名に値しないことを指摘するのですが、そこで「如錢之散積於地,不可繩以貫也」といって引き合いに出されたのが、この硬貨なのです。

それを貫くひももなく、地面に雑然と積まれた硬貨。『史記』平準書が「京師之錢累巨萬,貫朽而不可校」と伝えるのは、前漢の武帝時代の国庫の豊かさでもありますが、同時に、その使い道のなさでもありましょう。

このブログも、それなりに何とか書きついでいますので、少しばかりボリュームも出てきたものの、とりとめがなく、まさにこの銭の譬喩にぴたりと当てはまります。そもそも著述を目指したわけではなく、体系性への志向はいまだ芽生えませんが、章氏のこの言葉を心に刻み、いずれ「貫」に通した作品にまとめ上げられはしないものかと夢想してしまいます。

 

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著作を磨くこと


章学誠(1738-1801)が年下の友人である胡虔(あざなは雒君、1753-?)に宛てた手紙に、なかなか面白いことが書いてあります。

大抵攻辨文字,義蘊惟恐有所不暢,有蘊不暢,便留後人反詰之端;而措辭又不欲其過火,過火亦開後人反詰,所謂太過反致不及也。(『章學誠遺書』卷9「與胡雒君」)

自分の書いた文章の意図を人に伝えるのは難しいことで、言い足らないと後世の人に伝わらず、さりとて言い過ぎるとかえって非難を浴びる。過ぎたるは及ばざるがごとしだ、と。

そこで、自分の書いた文章を信頼のおける友人たちに読んでもらい、批正を受けて改稿し、何とか後世の人に理解される文章にすることが必要だと章学誠は考えます。

 鄙意欲將生平撰著為師友所正定者,仍注正定之人及未正定之原文與所以正定之故於其下方,明示後人,非敢為矯情也。一則不沒人善,且恐其人不幸不傳,而鄙著幸存,其人可附而傳;一則文辭增減改易,字句小異,意義懸殊,實有補於後學之推尋研究。二者關係皆非淺鮮,故雖冒矯情之嫌而不自阻也。(同上)

友人たちに修正意見をもらい、その結果を反映させた本文を浄書し、原稿の下方には、「正定」してくれた人の名前、「正定」する前の本文、「正定」した理由などを書いておく。これは「矯情」ではなく、必要あってすることだ、と章学誠は言います。「矯情」とは『後漢書』逸民傳に「或高棲以違行,或疾物以矯情」と見えることばで、ことさら奇矯な振る舞いをして高潔を気取ることだそうです。

こうした章学誠の清書稿が遺っていれば愉快なのですが、その存否については知りません。

清朝において、著作に関する意見の応酬は主に書簡のやりとりを通してなされたことが、当時の人たちの手紙からわかります。章学誠が素直に他人の意見を聞く人であったとは思えませんが、それでも、他の学者から寄せられた意見を非常に大切にしていたことが伝わるようです。

前撰「婦學」之篇請正,而賜正頗略,恐尊意有所嫌而不盡其辭,故言此以解尊疑,如何如何?(同上)

胡虔に「婦學」篇(いま、『文史通義』内篇に収めます)を送り、書評を求めたところ、どうやら生ぬるい返事が返ってきたらしく、あらためて意見を述べるよう督促したもので、現代の論文査読者もひるむような勢いがあります。

章学誠が胡虔と知り合ったのは、乾隆五十六年(1791)であり、「婦學」篇を書いたのは嘉慶二年(1797)以降—すなわち章氏六十歳以降—であるらしい、とのこと(いずれも胡適『章實齋先生年譜』によります)。老境にさしかかってもなお自分の文章を少しでもよくしようと尽くす情熱。それがにじんでいるように感じます。

『文史通義注』


文史通義注
文史通義注

葉長青撰、張京華点校『文史通義注』 (華東師範大学出版社、歴代文史要籍注釋選刊、2012年)を購入しました。

章学誠(1738-1801)が著した『文史通義』は、経書などの中国古典をひとつの「るつぼ」に入れて煮溶かして、それを精製して創り上げた、斬新な作品であると言えます。

「六経皆史」説(「すべての経書は、もともと古代の史官の実用的な書物であった」とする説)のみが突出して有名ですが、そればかりでなく、中国古典の一大総括として読むことができる著作です。

その『文史通義』の注釈書としては、すでに葉瑛撰『文史通義校注』(中華書局、1985年)があります。それとは別に、本書、葉長青『文史通義注』が存在することは知っていたのですが、葉長青(1899-1946?)の成果はすでに葉瑛(1896-1950)の注釈に取り込まれているものと思い込んでおり、『文史通義注』を見ずに済ませていました。

ところが、本書に冠せられた張京華氏の「整理弁言」を読み、認識を一新しました。

この59ページにも及ぶ「整理弁言」に述べられたことは、重要かつ多岐にわたっており、簡単にまとめることはできませんが、特に驚いたのは、葉長青の説を葉瑛が多数、剽窃している、という指摘です。たとえば、44ページから始まる第9節には、葉長青の誤りを葉瑛がそのまま引き写している例が挙げられています。

その上、葉長青『文史通義注』は章学誠に対する独自の批判を行っており、いかにも志の高い人の書いた文章と見えます。少し目を通した印象としても、大いに読み応えのある注釈と感じられました。

となると、葉瑛『文史通義校注』のみに依拠して『文史通義』を読解するわけにはゆかず、是非とも、この葉長青『文史通義注』を読まねばならぬ道理です。

この本は、この11月に福建省のアモイを訪れた際、厦門大学校門近くの名刹、南普陀寺の向かいにある書店で見つけて購入しました。前言によると、葉長青は福建閩県の人、厦門大学の教育系を卒業後、同大学の国文系の助教、金陵大学の国文系教授、無錫国学専修学校の教授を歴任したとのこと。アモイのバスにゆられながらその前言を読み、深い縁を感じました。