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羊の子のように


最近、『毛詩』大雅「生民」の詩を読みました。『毛詩正義』に当たって、毛伝と鄭箋との説の違いを確かめるのは、いつも私にとって興味深いことです。しかも「生民」の詩は、周の始祖である后稷の事蹟を褒め称えたものであるだけに、なかなか読み応えがあります。

その詩に、后稷の出生を歌い、「誕彌厥月,先生如達」の二句があります。毛伝と鄭箋の説は以下のとおり。

〔毛伝〕誕,大。彌,終。達生也。姜嫄之子先生者也。

誕とは、大いに。弥とは、終える。【達生也。】姜嫄(后稷の母)の子のうち、先に生まれた者、ということ。

〔鄭箋〕達,羊子也。大矣后稷之在其母,終人道十月而生。生如達之生,言易也。

達とは、羊の子。偉大なることよ、后稷はその母の胎内にいるころ、人の道である十ヶ月を終えて生まれた。その生まれ方は、まるで羊の子が生まれるようであった。安産であったということ。

「達」字から「しんにょう」を除いた「羍」字には、生まれたての羊、という意味があります。それゆえ鄭箋は、后稷の出生は、子羊のように安産だった、と理解するわけです。

毛伝が「達生也」と言うのは、意図がよく分かりませんので、訳せません。正義によれば、「まるで子羊が生まれるようだ、ということ(言其生易如達羊之生)」と。そうすると、鄭箋と同説ですが、果たして「達生也」のみから、そこまで読み取れるものかどうか。

そんな疑問を抱いていたところ、ちょうど点注会(我々が参加する、段玉裁『説文解字注』を標点する読書会)で「羍」字の部分を読み、上記の問題について、段玉裁に独自の説があることを知りました。

毛曰:「達生也。姜嫄之子先生者也」,此不可通。當是經文作「羍」,傳云:「羍,達也。先生,姜嫄之子先生者也」。……凡生子始生較難,后稷為姜嫄始生子,乃如達出之易,故曰「先生如羍」。(『説文解字注』第四篇上、羊部)

毛伝は「【達生也。】姜嫄の子のうち、先に生まれた者、ということ」というが、これは通じない。きっと(毛詩の経文はもともと「達」ではなく)「羍」字に作っており、毛伝は「羍とは、達すること。先生とは、姜嫄の子のうち、先に生まれた者、ということ」、とあったはずである。……一般に、子どもを産む時には第一子はやや難産であるが、后稷は姜嫄の第一子でありながら、出生が簡単であるかのようだったので、だから(経文に)「先生如羍」といったのだ。

さらに段玉裁は鄭箋について、次のように言います。

鄭箋如字,訓爲「羊子」,云如羊子之生,媟矣。尊祖之詩,似不應若是。且嘼類之生無不易者,何獨取乎羊。

(毛詩の本文は「羍」字に作り、)鄭箋はその字の通りに「羊子」と訓じ、羊の子が生まれるよう、といったが、それは下品だろう。(「生民」の詩は、周の)祖(である后稷)をたっとぶ詩であるのに、そんなことは言うはずがないと思う。しかも哺乳類が生まれる場合はいずれの動物でも安産だが、なぜ羊だけを取り上げるのか。

言われてみれば、自分たちの始祖である后稷を「羊の子のように安産だった」と言うのは不謹慎かもしれませんね。かくして、段氏は鄭玄の説を否定し、本文を独自に変更した上で、毛伝の説を支持します。段玉裁の説に理があるのかどうか、即断はしがたいのですが、確かに毛伝をそのまま読むこともできません。

簡潔に過ぎる毛伝のことばをめぐって、鄭箋・正義・段玉裁、それぞれが思惑をもって解釈しました。私は、その間に横たわる緊張感自体を味わってゆこうと思います。

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人名と『説文解字』


陳垣『中国仏教史籍概論』巻二には、『続高僧伝』(巻十一、法侃伝)の次の文を引きます。

侃初立名,立人安品。後値內道場沙門智騫曰:「侃之為字,人口為信,又從川字。言信的也」。因從之。

法侃は、初め名前を付けたとき、人偏に品を置く形(「偘」の字)にしていた。後に内道場の沙門智騫に会った所、「侃という字は、人の口を信となし(人に口と書くのは信という意味であり)、また川の字に従う。言葉に信頼性があり明らかなことである」と言うので、これに従った。(知泉書館版、p.71)

陳垣はこの一節を根拠として、智騫という僧が小学に詳しかったことを証しています。まことに注意深い読書というべきです。

当時、南北朝時代から唐代にかけての頃、「侃」の字はしばしば「偘」とも書かれました。しかしながら、智騫は「侃」と書く方が、「偘」と書くよりもよいと考え、用字を変えることを法偘に助言した、というわけです。智騫のこの説、実は『説文解字』に拠っているのです。

侃,剛直也。从㐰,㐰,古文信;从川,取其不舍晝夜。『論語』曰:「子路侃侃如也」。(『説文解字』十一篇下、川部)

侃とは、剛直のこと。㐰に従い、㐰は「信」の古文、(さらに)川に従い、昼夜を問わずに流れることをいう。『論語』に「子路は侃侃如たり」とある。

「侃」は「㐰」(=信)と「川」とを組み合わせた「会意」の字であるから、「偘」と書いてしまってはその原義が伝わらない、と智騫は考えたのでしょう。当時、『説文解字』が実用されていたことを示す興味深い例です。

ただ、智騫が言ったという、「言信的也」の言葉はよく理解できません。「的」字は何らかの誤字なのでしょうか。

史記という熟語


同じ韻部に属する二字を合わせた熟語を「畳韻語」と呼んでいます。古い漢語には、おびただしい数の畳韻語が存在しており、そのうち、「丁寧」「辟易」「芍薬」「沐浴」などの熟語は、今の日本語にも遺っているほどです。

「史記」の上古音について、王力氏は*ʃǐɘ kǐɘと推定しています。二字とも「之部第一」と呼ばれる韻部に属しています。「史記」という語は、「史官の記録」というほどの意味ですが、現在では司馬遷の著作の書名(もとは『太史公』『太史公書』といいました)として、より広く知られています。「史記」という語も、(ゆるやかに言えば)よく熟した畳韻語のひとつのようです。

『説文解字』(三篇下、史部)で「史」の字を見ると、次のように説かれています。

史,記事者也。从又持中。中,正也。

この「史,記事者也」のところを、試みに王力氏の推定する上古音で示してみましょう。

*ʃǐɘ, kǐɘ dʒǐə ȶiɑ ʎia.

「史」「記」「事」の三文字が、すべて「之部」に属することが分かります。「記事」もまた、畳韻語です。

これはおそらく偶然ではなく、『説文解字』を書いた許慎が、あえて似た音を持つ字を用いて、「史」を説明したものと考えられます。

『説文解字』では、しばしば同部の字を用いて文字の説明をおこなっています。たとえば一篇上(一部)に見える「吏,治人者也」の「吏」「治」はともに「之部第一」に属し、また三篇上(共部)に見える「共,同也」の「共」「同」はともに「東部第十」に属します。

このような文字どうしを「畳韻の関係にある」といいます。

畳韻。漢語を学ぶ上で、かなり重要な手がかりであるように思っています。

鳳凰出版社版『説文解字注』


数年ほど前、段玉裁『説文解字注』の標点本が出版されました。『説文解字注』、上下冊、許惟賢整理、鳳凰出版社、2007年。これまでは『説文解字注』といえば、嘉慶二十年(1815)に段氏自身が刻した経韵楼本やその影印本ばかり利用してきましたが、何と言っても標点本は手軽です。

この鳳凰出版社版の『説文解字注』、かなりよい出来で、通読のためにふさわしい本と言えましょう。 この数年、我々のグループ「点注会」は、『説文解字注』を会読しており、先週、三篇下までを読み終えました。鳳凰版の標点本を時々、参照しているのですが、いくつか鳳凰版の誤りが目につきましたので、三篇下についてのみ、備忘のために記しておきます。亀甲括弧の中が段玉裁注です(適宜、省略してあります)。校誤は漢語で記します。

  • 㱾,㱾,大剛卯也,㠯逐精鬽。从殳,亥聲。(鳳凰版第215頁,經韵樓本第二十七頁)

按:「㱾改」,經均樓本亦同,然宜作「㱾攺」。『説文解字注』第三篇下,攴部云:「攺,㱾攺,大剛卯㠯逐鬼鬽也。从攴,巳聲。讀若巳」,音余止切(鳳凰版第225頁,經韵樓本第四十頁)。

  • 尋,繹理也。〔……《方言》曰:「尋,長也。海岱大野之閒曰尋,自關而西,秦晉梁益之閒凡物長謂之尋。」《周官》之法,度廣爲尋。古文《禮》假尋爲燅。《有司徹》:「乃燅尸俎。」注:「燅,温也。」古文燅皆作尋,《記》或作尋。《春秋傳》:「若可尋也,亦可寒也。」……〕(鳳凰版第216頁,經均樓本第三十頁)

按:「《周官》之法,度廣爲尋」一文,《方言》(第一)文,引號有誤,當改。

又按:「古文燅皆作尋,《記》或作尋。《春秋傳》:「若可尋也,亦可寒也。」」,此亦《儀禮・有司徹》鄭注文,當改引號。

  • 寇,暴也。〔暴當是部之曓,……。〕(鳳凰版第223頁,經韵樓本第三十七頁)

按:「本」當作「夲」。本書十篇下,夲部:「夲,進𧼈也。从大十」,音土刀切(鳳凰版第869頁,經均樓本第十五頁)。

  • 斆,覺悟也。从,尚矇也。〔下曰:「覆也。」尚童矇,故敎而覺之。此說從之意。……〕聲。(鳳凰版第226頁,經韵樓本第四十一頁)

按:「冂」字四見,均當作「冖」。本書七篇下,冖部:「冖,覆也。从一下垂也」,音莫狄切(鳳凰版第617頁,經韵樓本第三十六頁)。

又按:「臼」當作「𦥑」。本書三篇上,𦥑部:「𦥑,叉手也」,音居玉切(鳳凰版第189頁,經韵樓本第三十九頁)。

これらの誤りは、すべてメンバーの指摘によるものであり、特に白須裕之先生がお気づきになったものが多いこと、ここに明記します。 標点本は確かに便利ですが、全面的には依拠できるわけではありません。経韵楼本を主とすべきことは、今後も変わらないようです。

千慮の一失


「一曰相臣」
「一曰相臣」

昨日、土曜日の午前中に、同好の人が集まって段玉裁『説文解字注』の読書会を開き、その席で、白須裕之先生にたいへん面白いことを教えていただきました。

『説文解字』三下、攴部「徹」字は、段注本では次のようになっています。

通也。从彳、从攴、从育。一曰相臣。

末尾の「一曰相臣」に注をつけて、段玉裁は「疑有譌。鉉本無此四字」と言います。

そもそも段氏が『説文解字』を校訂した際、徐鉉が校訂した「大徐本」と呼ばれる本文を基礎とし、徐鍇『説文解字繫傳』(「小徐本」)などの本文を参照して、定本を作りました。大徐本や小徐本の詳細につきましては、頼惟勤『説文入門』(大修館書店、1983年)の第1章をご参照ください。

この部分につき、大徐本(鉉本)に「一曰相臣(一説によると、徹とは大臣のこと)」の句がない、というわけです。確かに様々な大徐本は、ただ「通也。从彳、从攴、从育」とのみ作っています。

この部分、段氏が小徐本によって補ったものと推測できるのですが、なんとなんと、確認してみると、小徐本では「一曰相」とするのみで、「臣」は下の文に続いているのです。

以上の指摘を白須先生からいただき、驚いた次第です。ケアレス・ミスに属する誤りであり、普通の学者ならばしばしば犯す失敗なのですが、綿密な考証を得意とする大学者、段玉裁には実に似つかわしくないものと感じられました。

『説文解字注』影印本、謎の改悪


段注経均楼本03b-28a
早稲田大学蔵、段注経均楼本

段玉裁(1735-1815)の『説文解字注』、嘉慶二十年(1815)の原刻本を手元に置くわけにもゆきませんので、皆さん、普段は影印本をお使いのことと思います。私も台湾芸文印書館版・上海古籍出版社版など、いくつかの影印本を愛用しています。

ここに困ったことがあります。影印本ごとに、内容が違う場合があるのです。影印本は、底本の写真によっているので、原則的に内容は違わないはずですが、修正を加えられた時にはそのかぎりではありません。

今日、仲間と段注の読書会をしたところ、第三篇下「殺」字(その第四の「古文」)の段注の内容に問題があることに気がつきました。ここに写真をお示ししたのは、早稲田大学が公開している原刻本の写真ですが、その第三篇下、二十八葉表の第八行目に「當云從殳從杀」とあります。ところが、影印本によっては、なぜかこの「云」が「去」になっているものがあるのです。

同じ『説文解字注』の影印本を見て議論しているつもりでも、話がかみ合わないので、そのことが発覚しました。

瑣細な事ではありますが、これはちょっとしたミステリーといえましょうか。一概に、台湾版はもとのままで、上海版が改悪してあるというわけでもありません。皆さんもぜひ、ご愛用の『説文解字注』にあたって確かめてみてください。

段玉裁のひと工夫


嘉慶二十年(1815)に出版された段玉裁『説文解字注』は、漢字学の金字塔です。読めば読むほど面白い本なのですが、使い方によっては問題も生じます。

段玉裁は自分の考えに基づいて、『説文解字』の内容をいろいろと改めました。そのため、一般的な『説文解字』と違いが生じているのです。ですから、『説文解字注』の本文=『説文解字』の本文ではないので、『説文解字注』に依拠して『説文解字』を引用するのは危険です。『説文解字注』以外にも、四部叢刊所収の大徐本『説文解字』などを手元に置いて比較するとよいと思います。

さて『説文』第一上、上部の「上」字について、段玉裁が大改修を行っていることはよく知られています。すなわち、大徐本などでは、まずTを上下逆さにしたような字、「丄」を「古文」として掲出し、次に縦の画に歪みのある「上」字を「篆文」としているのですが、一方で段氏は、まず「二」に似た「𠄞」という字を「古文」として掲出し、次に「丄」字を「篆文」として掲げています。お手持ちの方は、段注本と大徐本とを比べてみてください。

2011年以来、信頼のおける電子版『説文解字注』を作りたいと考え、「点注会」というグループを組織して、月に二度ほど読書会をしています。その読書会の席でも、段玉裁の改変にはしばしば遭遇するのですが、昨日の点注会でも、面白い発見がありましたので、ご紹介します。

段注、臧字籀文
段注、臧字籀文

それは三篇下、「臧」という字の「籒文」として掲げてある字でした。その字について、段玉裁は、次のように注をつけています。

按:宋本及『集韵』、『類篇』皆從二。今本下從土,非。

段氏の掲げる籒文には、「臧」の「臣」の部分の下に二本の線が見えます。段玉裁がいうとおり、『集韵』や『類篇』には、「臣」の部分の下に二本の線がある楷書「𢨑」が確認できます。

しかし他の大徐本を見ると、「臣」の部分の下には、二本の線ではなく、縦の画に歪みのある「上」字があるのです(ここでは便宜上、藤花榭版の大徐本の写真を挙げましたが、他の大徐本もおおむね同様だろうと思います。)。これは一体どういうことでしょうか?

大徐藤花榭本、臧字籀文
大徐藤花榭本、臧字籀文

おそらく段玉裁は、『説文』「臧」字の籒文の「臣」の下にある、歪んだ「上」字を、いったん(数字の「二」ではなく「上」の古文の「𠄞」として理解し、その上で『集韵』や『類篇』を参考に、籒文の「𢨑」字を作ったのでしょう。

他の『説文』諸本とは一致しませんが、『集韵』や『類篇』に見える形に通じます。『集韵』や『類篇』に見える「𢨑」字を見つけた段玉裁は、さぞ嬉しかったことでしょう。縦画の歪んだ「上」字を、「臧」字の籒文についても『説文』から排除できたのですから。

はじめて段注のこの部分を読んだ時、「皆從二」は、数字の「二」にしか見えなかったのですが、読書会の席で、白須裕之先生のお話をうかがっていろいろと考えてみて、数字の「二」ではなく、上下の「上」の(段玉裁説における)古文「𠄞」なのだと納得できました。白須先生に深く感謝する次第です。

許慎の「各」理解


許慎は「各」を、「口」と「夂(zhǐ、漢音はチ)」とを合したものと考えます。「口」はものを言う口のことで、「夂」とは両足の足並みがそろわずに、前に進まない様子。そのようにとらえます。

各,異䛐也。䛐者,意內而言外。从口夂。夂者,有行而止之,不相聽意。
各とは、「詞」を異にすること。「詞」とは、意が内にあり言が外に現れること。口と夂とに従う。「夂」とは、進もうというのを引きとめ、互いの思いを聞かない、ということ。(『説文解字』二篇上。『説文解字注』2篇上、26葉右)

足と口とを一緒に示されても、なかなか一つの状景を思い浮かべられませんが、「思うこと、言うことに関して、足がもつれるように、食い違うこと」、そのような解釈を許慎は与えました。

「各,異䛐也。䛐者,意內而言外」は分かりやすくありませんが、段玉裁は「人が別々に「意」をもち、それぞれ「言」を口にする、ということ」と釈しています。

「夂者,有行而止之,不相聽意」というのが問題です。『説文解字』夂部の、「夂」字の説解と矛盾があるからです。これについて、段玉裁は次のように説きます。

夂部曰:「從後至也。象人㒳脛後有致之者」。致之止之,義相反而相成也。
夂部には「(夂は)後ろからやって来る形に従う。人の両足のはぎで、後ろ足が前足に追いつく様子を表す」とある。「追いつく(致)」と「引きとめる(止)」)とは、義が反対でありながら、補いあって意味をなす。

「夂」は「後ろ足が前足に追いつく様子」も示すし、同時に「両足の足並みがそろわない様子」も示す。両者をあわせて、「夂」の意味が完成する、というわけです。「義が反対でありながら、補いあって意味をなす」とは、一見すると思いつきの説明のようですが、実は訓詁学でいう「反訓」の考え方を用いたもので、いかがわしい説ではありません。もちろん、「夂」字、「各」字についてそれが当たっているかどうかは、別問題ですが。

前回お話しした通り、「各」の下部を口そのものととらえる古文字学者は、すでにほとんどないようです。そういう意味で、この場合、許慎の説を信じることは危険であるかもしれませんし、私もそこに固執するつもりはさらさらありません。

しかしながら、「夂」が両足の足並みのそろわないさまを表す、という一点は、正しいように思われます。「単語家族」説を唱えた藤堂明保氏は、「各」は「「ひっかかる」さまを表わす」といいました。これは決して偶然ではありません。「右文説」の考え方をもとに、「各」を声符に持つ字を集めてみても、それが決定的に誤っているとは思われないのです。

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「各=ひっかかる」


前回、紹介したとおり、藤堂明保氏の『漢字語源辞典』(學燈社,1965年)は「単語家族」という考え方に基づき、漢字の古義を考察したものです。

同書にはあわせて223の「単語家族」が列挙されていますが、「各」の字は、そのうち第101の家族に入っています。

第101の家族:「古・固・各・行・亢・岡・京・庚〔かたい,まっすぐ〕」。古い音はKAG, KAK, KANG。

そして、「各」の字は、次のように説明されています。

各は、「夂あし+口」の会意文字である(この足を引きずる形は、愛や憂の下部に含まれている)。□印はクチではなくて、石のごとき物、またはある地点を示す記号であろう。各の字は、金文や甲骨では、「いたる」(格)という意味に用いられる。しかし原義は、足先が固い石に届いて、「ひっかかる」さまを表わすといってよい。つまずく姿と考えてもよい。のちひっかかることを「支格」という。「某処にイタル」との意味は、そこからの派生義である。ところで、柔らかい物には、ひっかからない。つかえるのは固い物に限る。各の系列は、その点で古の系列と縁が深い。(pp.386-387)

つまり、各とは、石のような何かに足先が「ひっかかる」様子だというわけです。

なお藤堂氏は、さらに次のように注記しています。

各は固くゴロゴロした小石状の物を意味する。小石状の物は固まって別々に存在する。ところで、箇は固い竹であり、個は別々に固く領域を分かって孤立する物である。個別の個(箇)と、各別の各とは、きわめて縁が近い。各が副詞となってオノオノという意味を表わすようになるのはそのためである。なお各〔k-〕―落・洛〔l-〕のように、この諧声系列は、k,lの双方に関係するので、Karlgren氏は各*klak、落*glakという語形を推定している。(p.387)

ここで「各は固くゴロゴロした小石状の物を意味する」というのは、おそらくは各の字の下にある四角形についていうものと思われます。そうであるならば、「個」や「箇」と近いというのは、むしろ、「各」の派生的な意味であろうと考えられます。

藤堂氏は「客」字についても、「ひと所に住んで動かぬ人を主人といい、たまたま訪れて、そこにひっかかって寄留する人を客という。客は格(いたる、つかえる)と同系のコトバであり、各の原義(足がつかえる)をよく保存したコトバである」といっています(p.387)。

さらに「閣」字を説いて、「あけた扉をひっかけて固定させるくい。とじた扉を行きすぎぬよう止める臬をも閣という。北京語の擱(おく)という動詞はその系統を引くことば」ともいっています。

「各」(ひっかかるさま)、「客」(ひっかかって寄留する人)、「閣」(ひっかけて固定させるくい)というように、個別に字について、藤堂氏は「ひっかかる」様子を強調しています。では「ひっかかる」意と、「かたい」を意味する「古」の系列の字とが、どのように意味的につながるのか。前述のように、「柔らかい物には、ひっかからない。つかえるのは固い物に限る」と藤堂氏はいいますが、これでは十分に理解できません。kを声母とし「各」を含む字を、藤堂氏は「ひっかかる」と理解した。ひとまず、その点だけを確認しておきたいと思います。

「各」とは「ひっかかる」さまである。この解釈は、藤堂氏独自のものではなく、明らかに『説文解字』の「各,異辭也。从口夂。夂者,有行而止之,不相聽也」に基づくものでありましょう(上述の通り、「各」の下部を、藤堂氏は口でないと考える違いはあるものの)。

私自身としては、ここであらためて『説文解字』に立ち戻り、許慎の意図を探りたいのですが、それは先のこととさせていただきます。

単語家族の考え方


すべての漢字のうち、その多数を占めるのが、形声字です。形声字は、カテゴリーを示す「意符」と発音を示す「声符」との組み合わせから成る字です。

『説文解字』の説解においては、形声字が「なになにの声」と表記されており、それが形声字であると容易に分かります。

そして、「声符」(「諧声符」とも)は単に発音を表すだけでなく、その語の持つ感覚をも表すことが知られています。それゆえ、同じ「声符」を持つ複数の字は、たがいに共通する感覚をもっています。

『説文解字』に見える、「声符」を共有する字のグループを網羅的に抽出した学者がいます。清の朱駿声(1788-1858)です。彼の著作、『説文解字通訓定声』は、『説文解字』収録字を発音に基づいて18のグループに分け、さらにそれぞれのグループを「声符」ごとに整理したものです。声符の持つ意味を探ろうとする時に、たいへん有効な道具となります。

前回のエントリ、「閣の字義」では、「閣」字に含まれる声符「各」に注目しました。いま、『説文解字通訓定声』を見ると、その「豫部弟九」に、「各」を声符に持つ字、37字を並べています。以下にそれらを掲げます(括弧の中は、『説文解字』の篇数、部。及び大徐本に見える反切です)。

  1. 各 異辭也。从口夂。夂者,有行而止之,不相聽也。(2篇,口部。古洛切)
  2. 茖 艸也。从艸各聲。(1篇,艸部。古額切)
  3. 路 道也。从足从各。(2篇,足部。洛故切)
  4. 詻  論訟也。《傳》曰:「詻詻孔子容」。从言各聲。(3篇,言部。五陌切)
  5. 𩊚 生革可以爲縷束也。从革各聲。(3篇,革部。盧各切)
  6. 䀩 眄也。从目各聲。(4篇,目部。盧各切)
  7. 雒 鵋䳢也。从隹各聲。(4篇,隹部。盧各切)
  8. 鵅 烏鸔也。从鳥各聲。(4篇,鳥部。盧各切)
  9. 骼 禽獸之骨曰骼。从骨各聲。(4篇,骨部。古覈切)
  10. 胳 亦下也。从肉各聲。(4篇,肉部。古洛切)
  11. 𠲱 枝𠲱也。从丯各聲。(4篇,丯部。古百切)
  12. 觡 骨角之名也。从角各聲。(4篇,角部。古百切)
  13. 笿 桮笿也。从竹各聲。(5篇,竹部。盧各切)
  14. 格 木長皃。从木各聲。(6篇,木部。古百切)
  15. 賂 遺也。从貝各聲。(6篇,貝部。洛故切)
  16. 客 寄也。从宀各聲。(7篇,宀部。苦格切)
  17. 頟 顙也。从頁各聲。(9篇,頁部。五陌切)
  18. 貉 北方豸穜。从豸各聲。孔子曰:「貉之爲言惡也」。(9篇,豸部。莫白切)
  19. 駱 馬白色黑鬣尾也。从馬各聲。(10篇,馬部。盧各切)
  20. 䶅 䶅鼠,出胡地。皮可作裘。从鼠各聲。(10篇,鼠部。下各切)
  21. 洛 水。出左馮翊歸德北夷界中,東南入渭。从水各聲。(11篇,水部。盧各切)
  22. 𩂣 雨𩂣也。从雨各聲。(11篇,雨部。盧各切)
  23. 鮥 叔鮪也。从魚各聲。(11篇,魚部。盧各切)
  24. 閣 所以止扉也。从門各聲。(12篇,門部。古洛切)
  25. 挌 擊也。从手各聲。(12篇,手部。古覈切)
  26. 絡 絮也。一曰麻未漚也。从糸各聲。(13篇,糸部。盧各切)
  27. 垎 水乾也。一曰堅也。从土各聲。(13篇,土部。胡格切)
  28. 略 經略土地也。从田各聲。(13篇,田部。烏約切。段注作离約切)
  29. 鉻 𩮜也。从金各聲。(14篇,金部。盧各切)
  30. 輅 車軨前橫木也。从車各聲。(14篇,車部。洛故切)
  31. 璐 玉也。从玉路聲。(1篇,玉部。洛故切)
  32. 鷺 白鷺也。从鳥路聲。(4篇,鳥部。洛故切)
  33. 簬 箘簬也。从竹路聲。《夏書》曰:「惟箘簬楛」。簵,古文簬从輅。(5篇,竹部。洛故切)
  34. 潞 冀州浸也。上黨有潞縣。从水路聲。(11篇,水部。洛故切)
  35. 露 潤澤也。从雨路聲。(11篇,雨部。洛故切)
  36. 愙 敬也。从心客聲。《春秋傳》曰:「以陳備三愙」。(10篇,心部。苦各切)
  37. 落 凡艸曰零,木曰落。从艸洛聲。(1篇,艸部。盧各切)

これらの37字は、いずれも「各」を声符として持っており、何らかの共通性があると、一応、考えることができます。

しかしこれだけでは、それらの字が共有する基本的な意味は明らかになりません。そこで有効なのが、近代になってから発達した、「単語家族」の研究です。

「単語家族」とは、伝統的な「声符」研究を基礎としつつ、さらに音韻論に基づいて漢字の古音を研究することにより、字音ならびに意味の共通する複数の字を「家族」として認める考え方です。その代表的な成果は、藤堂明保氏の『漢字語源辞典』(學燈社,1965年)であろうと思います。

「単語家族」の考え方は、伝統的な「声符」研究と重なる面も大きいのですが、同一ではありません。詳しい内容は、前掲書の「序説」をご覧いただくとして、「声符」との関連において、次の2点だけ、ここで指摘しておきたいと思います。

  • 同じ声符を持たない字でも、字音に共通性があれば、「単語家族」を構成する。
  • 同じ声符を持つ字でも、声母(語頭の子音)が異なれば、分けて別の「単語家族」と考える。

「各」字を声符として持つ字は、『漢字語源辞典』を見ると、次の二つのグループに分かれています。

  • 第94の家族:「両・量・梁・略・路〔ふたつ対(つい)をなす〕」。古い音はLANG, LAK。
  • 第101の家族:「古・固・各・行・亢・岡・京・庚〔かたい,まっすぐ〕」。古い音はKAG, KAK, KANG。

このふたつの家族は、大分類上、同じく「V 魚部・陽部」のグループに属しており、互いに近い関係にありますが、藤堂氏によれば、ふたつに分けて考えられる、というわけです。

なお、『漢字語源辞典』は、すべての字について「家族分け」を行っているわけではなく、この辞典を調べればただちに漢字の原義が分かるというものではありません。しかしながら、「字音が語義を表している」という考え方自体は、ゆるぎないものであるように、私には思われます。