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ブックガイドとしての『読書雑志』第六章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第六章は「裴松之のこと」。『読書雑誌』の「初出一覧」によると、もと、ちくま学芸文庫の一冊『正史三国志』第二冊(1993年、筑摩書房)の解説として書かれたものである、とのことです。

 この文章は、もっぱら『三国志』の注釈者、裴松之(372-451)について綴られた文章です。その構成は、第1節から第3節に分けられています。

  • 第1節は、裴松之注(裴注)の特徴。この一節は、以前、筑摩書房の「世界古典文学全集」所収の『三国志』Ⅰの月報(1977)に「裴松之のこと(一)」として載せられたもの。
  • 第2節は、陳寿が個人的理由で筆を曲げて『三国志』を書いたか否か(吉川氏の言う「陳寿私怨著書説」)の検討。この一節は、以前、筑摩書房の「世界古典文学全集」所収の『三国志』Ⅱの月報(1982)に「裴松之のこと(二)」として載せられたもの。
  • 第3節は、裴松之の家族、「河東の裴氏」の家系と学風について。

 第1節では、中国の注釈学の二大系統「ことばに関する注釈とことがらに関する注釈」が紹介され、裴松之注が後者、「ことがらに関する注釈」に属することが説明されます。「ことがら」を述べたい裴松之が語る「極端な例」として、『三国志』魏書、第十、荀彧伝が引かれています。ここは、注まで日本語訳してある、次の訳で読んでみてください(言うまでもなく、原文で読める方は中華書局版で)。

今鷹真[ほか]訳『三国志』2,筑摩書房(世界古典文学全集;24B),1982年。のち、井波律子訳『蜀書』(『正史三国志』第五冊),筑摩書房(ちくま学芸文庫),1993年。

 荘重であったという「荀彧の風姿」をしつこく引用する裴松之の態度は、彼と同時代の『世説新語』の興味と一致することが多いように思われます。

 さらに吉川氏が例示する『三国志』魏書、卷四、高貴郷公紀の記事も裴注とともに読んでみましょう。

 第2章に紹介される「陳寿私怨著書説」は、「『三国志』に示された陳寿の見解はゆがんでいる」というものですが、これが、陳寿の死後、ちょうど裴松之の生きた時代にそうとう広まっていたことが、かなり詳しく紹介されており、そして、裴松之がそれにどう対処したのかも記されています。その問題に絡んで、吉川氏は、孫盛という人物の書いた『異同記』などの書物が「裴松之の貴重な史料源であ」る、という推測を述べられているのは、実に興味深いところです。

裴松之注に丹念にあつめられている諸記録は、孫盛がすでに集成していたものをひきうつしにするか、ないしは多少のものを補足したにとどまる場合がすくなくないのではないか、つまり孫盛をぬきにして裴松之注はありえなかったのではないか、とさえ想像されるのである。(本書、p.95)

このような吉川氏の洞察には、他の追随を許さぬものがあります。そういう目で見てみると、『三国志』注はさらに面白いかもしれません。

 第3節に紹介される、裴松之の家系、「河東聞喜の裴氏」。『三国志』魏書、第二十三には、裴松之の先祖、裴徽の兄である、裴潜が立伝されています。注とともに読めば、裴松之が自分の家族を誇る気分を見て取ることができるでしょう。

 魏晋時代の名族であった裴氏。裴氏のその後について、吉川氏は、次のように語ります。

河東の裴氏が琅邪の王氏とあいならぶ盛名を誇り得たのは、西晋時代までのことであった。晋室南遷以後の東晋時代になると、琅邪の王氏がいっそうの輝きをましたのとは異なり、河東の裴氏は往事の盛名を失ったごとくである。

 このような、魏晋南北朝時代の貴族の家系についての考察は、次の書物に収める諸論考、特に丹羽兌子氏「魏晋時代の名族:荀氏の人々について」が参考となることでしょう(吉川氏も「沈約の思想」という論文を寄せられています)。

中国中世史研究会編『中国中世史研究:六朝隋唐の社会と文化』東海大学出版会, 1970。

 なお、本章によると、裴氏の「盛名」を復活させたのは、裴松之その人に他なりません。彼の息子の裴駰は『史記集解』を書き、その息子の裴昭明は『南斉書』良政伝に伝が立ち、その子の裴子野は『宋略』により知られました。吉川氏はそこで筆を止めません。それなのに、こともあろうに、『宋書』の著者である沈約は、裴氏の子孫について冷たくこう書いたというのです、「松之より已後は聞こゆるもの無し」と。その後、『宋略』において裴子野が沈約への反撃を試みる…。これについては、本書の読者の楽しみにとっておきましょう。

 こうしてみると、裴松之の『三国志』注というのは、家系と家系のせめぎ合い、嫉妬と羨望とライバル意識の産物であることが分かります。このような魏晋南北朝時代の「貴族」、それも一流とは言い難い貴族たちが、なぜこのようなことに意をそそぎ続けたのかについては、当時の社会構造を知る必要があるでしょう。それを知るための、もっともよい手引きは、今なお、次の書物であると思えます。

宮崎市定『九品官人法の研究―科挙前史』中央公論社(中公文庫;み-22-13), 1997。

 当時の「家」は、我々の想像を絶するところにあるようです。その時代の社会や制度を度外視して、思想や文学のみを語るのは、賢明な態度とはいえません。

ブックガイドとしての『読書雑志』第五章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第五章は「陳寿と譙周」。もと、ちくま学芸文庫の一冊『正史三国志』第六冊(1993年、筑摩書房)の解説として書かれたものです。

 『三国志』の著者、陳寿は蜀の巴西郡安漢県、今の四川省南充市の人。

陳寿が生を享けた蜀の地は、すでに三国時代に先だつ漢代において、司馬相如や厳君平や揚雄など、その時代を語るさいに名をおとすことのできぬ文学者や思想家を輩出し、かくしてその地には、中原と十分あい拮抗しうるに足るだけの濃密な文化的伝統が培われていた。

 吉川氏は、以上のように語ります。昨今、中国史研究においても、特定の地域に的を絞る人文地理学的な手法が注目をあびていますが、巴蜀の地に向けられた吉川氏の関心は、その先駆けともいえそうです。

 漢代以来に培われた蜀の伝統、それを濃縮してみずから学者として体現したともいうべき二人の史家、譙周と陳寿。譙周が師で陳寿はその学生、という師弟関係ですが、しかし、譙周の著作である『古史考』『法訓』『五経善否論』などが、後世、失われてしまったため、陳寿の側から譙周を望む、といった趣向です。

 まず読みたいのは、その陳寿が書いた譙周の伝記、『三国志』蜀書の譙周伝です。吉川氏によると、「『三国志』のなかに著者の陳寿本人が登場するのは、蜀書第五・諸葛亮伝中の『諸葛亮集』を撰定して上呈するにあたっての上表文、それとこの譙周伝だけ」との由で、ここに陳寿の強い思いを読み込むこともできそうです。中華書局本の『三国志』にて裴松之の引く注を含めて精読するのが理想的ですが、日本語訳ならば、吉川氏が解説を寄せたところの筑摩版によるのもよいでしょう。この訳本にも、裴松之注が訳出されています。

今鷹真[ほか]訳『三国志』2, 筑摩書房(世界古典文学全集 ; 24B),1982年。のち、井波律子訳『蜀書』(『正史三国志』第五冊),筑摩書房(ちくま学芸文庫),1993年。

 また、譙周がみずからの死期を予言したと伝える陳寿が、「疑うらくは譙周は術を以て之れを知る」といったことに関連して、吉川氏は次の論文の参照を求めます。

吉川忠夫「蜀における讖緯の学の伝統」,安居香山氏編『讖緯思想の綜合的研究』(国書刊行会, 1984)所収。

 蜀の学問に対する吉川氏の深い関心を知ることができる論文です。なお『讖緯思想の綜合的研究』について、この「学退筆談」で以前、戸川芳郎氏の「〈礼統〉と東漢の霊台」を紹介したことがあります。

 この章では、陳寿の一生についても触れられています。『晋書』の陳寿伝をお読みください。同じ『晋書』巻九十一「儒林伝」の記事として、蜀の太学では譙周を孔子に見立て、陳寿を子游に見立てた、という故事が本章に紹介されていますので、あわせて儒林伝も読みたいところです。

ブックガイドとしての『読書雑志』第四章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第四章は「范曄と『後漢書』」。もともとは、訓注本『後漢書』第一冊の解題(岩波書店、2001)として書かれたものです。構成は以下の通り。

 1.史書の伝統を継ぐ范曄『後漢書』
 2.范氏の先人たち―范汪、范寧、范泰
 3.さまざまの後漢時代史
 4.「反逆者」范曄
 5.范曄の心の軌跡―「諸甥姪に与うる書」
 6.范曄『後漢書』以後
 7.刊本の時代を迎えて

 范曄の人となりと『後漢書』とが周到に述べられており、本書『読書雑志』の中でもひときわ長い一章となっています。特に面白いのは、第4節と第5節。第4節では、劉宋の文帝に対して謀反を起こすという、だいそれたことをして処刑されるにいたった范曄の一生が描かれています。

 本書の52ページにこう書かれています。「私は今から四十年ほども昔、中央公論社の『歴史と人物』誌、昭和四十六年十一月号に「史家范曄の謀反」と題する一文を寄せているので、今ここではそのあらましを叙するにとどめよう」。確かにあらましはこの「解説」にも述べられていますが、『歴史と人物』、一読に値します。

吉川忠夫「史家范曄の謀反」(『歴史と人物』、昭和四十六年十一月号、中央公論社)

 冒頭に置かれた、范曄らが処刑場へと引き立てられてゆくシーン。沈約『宋書』范曄伝が伝える范曄の最期をこなれた日本語で描ききり、のっけから読者を引き込みます。王鳴盛がすでに指摘し、吉川氏もそれを踏まえるとおり、沈約は范曄に対して「忌心」があったといいます。つまり、沈約の書く范曄伝は公平でないということになります。そうであるからこそ、吉川氏は特に念入りに沈約の文章を追うのです。事柄を誇張して語る者の口元に生ずるゆがみを見逃すことは決してありません。

 范曄その人を謀反計画へと引き入れた孔熙先、彼のことばも如実に再現されます。孔熙先の口からもれる、范一族の忌まわしい風聞、近親相姦。そのことばに逆上し、まともな判断力を失い、謀反の企みに身を投じてゆく范曄。実に巧みな手さばきで、資料が紹介されてゆきます。詳しくは、どうぞ雑誌にて。

 本書本章の第5節では、范曄の遺書、「諸甥姪に与うる書」が紹介されます。素晴しい筆の走りぶりで、范曄というこの複雑で屈折した人の思いを描き尽くします。本書中の圧巻と称すべきでしょう。

 それにしても、『歴史と人物』、たいへんに面白い雑誌です。吉川氏が同誌に寄稿された他の三本、「南風競わず―侯景の乱始末記」「徐陵―南朝貴族の悲劇」「後梁春秋―ある傀儡王朝の記録」は、すべて中公新書『侯景の乱始末記』に収められました。

吉川忠夫『侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運』中央公論社(中公新書; 357), 1974

 いずれも秀逸の作品であるのに、「史家范曄の謀反」だけ、なぜ『侯景の乱始末記』に収録されなかったのでしょうか。それはそれとして惜しいことですが、ただ、多くの作家・学者たちが健筆を振るう昭和時代の歴史雑誌を手にとり、その中で若き吉川氏の名文を楽しむのも、これまたひとつの贅沢と言わざるをえません。

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ブックガイドとしての『読書雑志』第三章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第三章は「顔師古―班固の忠臣」。初出は日原利国編『中国思想史』上(ぺりかん社, 1987)です。

 『漢書』の注釈を書いて中国史上に名を残した顔師古(581-645)。代々儒者であった、彼の家族を描き、その中における顔師古の学問を語っています。

 まずは吉川氏が紹介する、顔師古の祖父、顔之推(531-?)の『顔氏家訓』を読みたいことろです。特に、「序致」「教子」「兄弟」「後娶」「治家」の諸篇と「勉学」篇を。原文で読まれる方には、以下のものをおすすめします。圧倒的な学識を誇る王利器氏の注もよいです。

王利器『顔氏家訓集解』増補本、中華書局(新編諸子集成第1輯)、1993。

 日本語訳ならば、以下のものを。

森三樹三郎・宇都宮清吉訳『世説新語・顔氏家訓』平凡社(中国古典文学大系)、1969。東洋文庫版もあります。

 眼目の『漢書』注は、やはり、原文を読むしかありません。中華書局本の第一冊に「漢書叙例」がありますから、ご覧下さい。長いものではありません。吉川氏が引く「近代注史,競為該博,多引雜説,攻撃本文」の文句も見えます。

 顔師古のもう一つの著作である『匡謬正俗』を読むとすると、次の注釈がよい出来です。

劉曉東『匡謬正俗平議』山東大學出版社、1999。

 たとえば、『詩経』や『礼記』に見える「衡」字に関する考証がその巻一にあります。徐邈という学者が「衡の音は横」というのに対し、「衡即横也,而徐氏並音為横,皆失之矣」と顔師古はケチをつけます。「不勞借音」と似た言いまわしが、『漢書』注の鼂錯伝・賈捐之伝・高帝紀などにも見えること、劉氏がつぶさに指摘しています。そこに、顔師古の個性をかいま見ることができます。

 なお、この章の記述は、吉川氏が書かれた二篇の学術論文がもとになっており、いずれも次の著書に収められています。

吉川忠夫『六朝精神史研究』同朋舎出版 (東洋史研究叢刊)、1984。 そのうちの第9章「顔之推論」と第10章「顔師古の『漢書』注」がそれに当たります。前者は、吉川氏の修士論文がもとになっているとのことです。

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『史記』封禅書


『史記』八書のうちの「白眉」と吉川忠夫氏が推す「封禅書」。この機会に、読み直してみました。この一巻を読むだけで、一冊の長い書物を読んだかのような読後感です。圧巻の一語に尽きます。「東のかた巡狩し、岱宗に至」った舜に始まり、司馬遷の主たる漢の武帝に終わる、中国古代の帝王たちと神秘世界との関わりが描かれます。

次々と降臨する神々や仙人と、入れ替わり立ち替わり現れる方術の使い手たち。そういうものが、果てしもなく帝王たちを魅了してゆきます。「封禅書」は、そのような神秘の世界に没入してゆく帝王たちの記録です。

帝王が関わるということは、そのような神秘の世界の力が政治を決定的に左右してゆくということでもあります。その意味で、「封禅書」は、「裏側から見た中国古代の政治史」として読むこともできます。神の助けなくして、中国の統治はありえないと考えたのが、秦の文公であり、斉の桓公であり、秦の始皇帝であり、漢の高祖・文帝であり、そして武帝でした。彼らは尋常ならざる執念をもって神を祀りました。「元号」というものも、天から与えられた瑞祥にこたえるため、漢の武帝が創始したものなのです。

大局的に見ると、西方の秦では雍(現在の陝西省鳳翔)の地に、「畤」と呼ぶ施設を作って祭祀を行い、一方、東方の斉では、海上にあるという三神山を求めて方士たちがさまざまに活動しました。また各地にあった山岳信仰も大きな背景として存在しました。帝王たちはさらにその先にある究極の祭祀として、古代の聖王たちが行ったと伝えられた「封禅」の祭りを熱望しました。

秦漢による中国統一が実現すると、このような各地の祭祀がすべて融合される形で、多種多様な祭祀が行われ、そしてその最終的な結実として秦の始皇帝、漢の武帝の「封禅」が決行されたのです。司馬遷こそは、漢の武帝に随行してその封禅に参列し、感激をもっとも熱く訴えた人物に他なりません。

ただし、封禅書が伝えるのは、そのような輝かしい成功ばかりではありません。次々と目の前に現れる怪しい人物たちにだまされ、翻弄され続けたのも、他ならぬ秦の始皇帝と漢の武帝でした。

顧頡剛(1893-1980)『秦漢的方士与儒生』は、近代的な観点から、秦漢の帝王を取り巻いた「方士」「儒生」たちを描いたものです。日本語訳もありますので、封禅書とあわせて読めば理解が深まります。

顧頡剛『秦漢的方士與儒生』上海古籍出版社、1978。
顧頡剛著、小倉芳彦等訳『中国古代の学術と政治』大修館書店、1978。

『史記』封禅書は、古代中国を理解するために、むろん不可欠の文献ですが、後漢時代以後の歴史において、いよいよ存在感を増してゆく中国の宗教を考えるうえでも、同じく必読の文献であるにちがいありません。

ブックガイドとしての『読書雑志』第二章


吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

その第二章は「『史記』の十表と八書」、ちくま学芸文庫に収められた『史記』2の解説として書かれたものです。

小竹文夫、小竹武夫訳『史記 書・表』筑摩書房(ちくま学芸文庫『史記』2)、1995。

『史記』には、本紀・世家・列伝のほかに、「八書」「十表」と呼ばれる部分があります。吉川氏の解説も、これを対象としたものです。

吉川氏はまず「表」の説明から始めます。『史記』の「十表」、すなわち、「三代世表第一」「十二諸侯年表第二」「六國年表第三」「秦楚之際月表第四」「漢興以來諸侯王年表第五」「高祖功臣侯者年表第六」「惠景間侯者年表第七」「建元以來侯者年表第八」「建元已來王子侯者年表第九」「漢興以來將相名臣年表第十」については、中華書局本をお持ちならば、ぱらぱらとめくってみるだけでもよいでしょう。一見、右から左に「横書き」されたかのような体裁もあり、興味深く感じられます(ただし、翻訳について言うと、小竹氏の『史記』訳が優れたものだとは、私にはどうも思えません)。

次に是非とも読みたいのは、『史通』表暦篇と書志篇です。原文でお読みになるなら、次のものは如何でしょう。

張振珮箋注『史通箋注』貴州人民出版社、1985。

邦訳はお二方の手になるものがあります。

増井経夫訳『史通-唐代の歴史観』平凡社、1966。
増井経夫訳『史通』研文出版、1981。

西脇常記訳註『史通内篇』東海大学出版会、1989。
西脇常記編訳註『史通外篇』東海大学出版会、2002。

どちらも、大体の内容をつかむにはよいかと思います。日本語訳で読まれるなら、冒頭の六家篇から、書志篇までを通読されるとよいかも知れません。

続いては、内藤湖南の『支那史学史』を読みます。

内藤湖南『支那史学史』1・2、平凡社(東洋文庫、557・559)、1992。

全集版も、もちろんよいのですが、ここは吉川忠夫氏が解説を書き、索引も付いている東洋文庫版を選択しましょう。その第1冊は、中国史の起源から宋元時代までを論じています。不朽の名作ですので、この機会に如何でしょうか(第2冊の清朝史学の説明は専門的に過ぎるように思われますので、ひとまずここまで)。吉川氏の解説も卓抜です。

『史記』の「八書」、すなわち「禮書第一」「樂書第二」「律書第三」「暦書第四」「天官書第五」「封禪書第六」「河渠書第七」「平準書第八」の中では、吉川氏が「白眉」と推す「封禅書」を読んでみましょう。やや長いので読むのに苦労しますが、できれば原文で、そうでなければ上記の訳書でもよいでしょう。

ブックガイドとしての『読書雑志』第一章


 吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を導きとして、中国学の書物の林に踏み入ります。

 その第一章は「史書の伝統―『史記』から『帝王世紀』まで」。『史記』『漢書』『東観漢記』『古史考』『帝王世紀』といった、初期の史書を紹介したものです。初出は『しにか』6-4(1995)。

 まだ本書をお読みになっていない方に配慮し、内容をまとめることはせず、さっそく、本章に触発されて読んでみたくなる諸書をご紹介しましょう。

 まず『史記』太史公自序です。この「自序」は中国で最も有名な序文で、『史記』第一百三十篇として、その末尾に置かれています。文言文を自在に読みこなせる方は、中華書局の点校本を読んでいただけばよいのですが、「日本語で」という方は、次の訳書を。

小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』1-5、岩波書店、岩波文庫(青(33)-214-1-5)、1975。

 『史記』列伝、七十巻のうち、「扁鵲倉公列伝」「亀策列伝」を除く六十八巻を訳したものです。太史公自序はその第5冊目に収められています。

 「太史公自序」から、司馬談・司馬遷父子が史書撰述によせた、熱烈な使命感を知ることが出来るでしょう。

 史官の伝統を語り、本書には『左伝』宣公二年と襄公二十五年の記事への言及がありますので、これも読んでみます(二年分、読むわけです)。現代中国語訳としては、次のものが適当です。

沈玉成訳『左伝訳文』、中華書局、1981。

 この沈氏の訳本は、次の書物と併用できるので便利です。両方、併せて読めば、力がつきます。

楊伯峻『春秋左伝注』修訂本、中華書局、1990。

 日本語訳ならば、次のものを。これも楊伯峻の注本と併用可能です。

小倉芳彦訳『春秋左氏伝』上・中・下、岩波書店、岩波文庫、(青(33)-216-1,2,3)、1988。

 『漢書』は、班彪・班固の父子が作ったものですが、これをめぐっては、本書に引用される、『後漢書』の班彪伝・班固伝(列伝三十、上・下)を読みたいところです。日本語訳をということならば、次のものをお勧めします(高価ですから、図書館などでご覧になれば十分です)。

吉川忠夫訓注『後漢書』第1冊-別冊、岩波書店、2001。

 班彪伝・班固伝は、訓注本の第5冊に見えます。ただし、班固の伝に引かれている「両都賦」や「典引」は『文選』にも収められる名文ですが、何しろ長いので、挫折しないよう、ここでは読み飛ばす方が賢明でしょう。班固が死に至った経緯が書かれる伝の末尾は、哀れをさそいます。

 『東観漢記』『古史考』『帝王世紀』については、『隋書』経籍志を開いて確認したいところです。中華書局の点校本『隋書』を見てもよいですが、次の本はあると便利です(古い本なので、購入は難しいと思います)。

『新校漢書芸文志・新校隋書経籍志』世界書局、中国学術名著、1963。

 『隋書』経籍志で『帝王世紀』を探すと、史部の「雑史」の分類中にその名を見いだすことが出来ます。吉川氏は「正史の概念にはおよそなじまない性格の史書」と同書を解説しますが、それを実感できるのではないでしょうか。

 2点のみ、補わせていただきます。

 1.日本語訳は、いつか卒業しましょう。
 2.『史記』などの大部の書物や、『左伝』などの難読の書物を読むときは、全巻読破を目指すのではなく、一篇を読み終えることを目指しましょう。全巻読破は、読み終えること自体が目的化してしまいがちで、しかも挫折しやすいものです。

ブックガイドとしての『読書雑志』


 中国学の成果として書物を見る場合、学術論文であれ、一般向けの書物であれ、私の考える「よいもの」の条件は、「さらなる読書を導くか否か」にあります。

 「面白かった」「新説が示されていた」「知らない話が紹介してあった」「文章がよかった」だけでは、どうにも、もの足りません。たとえそれらすべてが満たされていたとしても。

 「書物をさらに読みたい!」と刺激するようなものでなければ、「よいもの」、読む価値のあるものとは思えないのです。感想を過去形で語れてしまうものではなく、未来の読書へとつながるものをこそ、と思うのです。

 もちろん、これは私の偏った判断基準に過ぎず、読者それぞれが好きに読書を楽しめばよいのは言うまでもないことです。しかしながら、こと中国学について言うと、それは「数冊の書物を読めば、その全体像がつかめる」ような分野ではありません。ある研究なり概説なりを評価するにせよ、大量の古典や厖大な先行研究との関係においてしか、接することも評価することもできない、そのようなものです。長い伝統を有するが故に、そういう難しさがあります。

 昨日、吉川忠夫『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)を紹介して、私は同書を「さらなる書物の林へと読者を誘う」と書きました。伝統中国の歴史・宗教に関心を持つ方にとっては、絶好のブックガイドともなりうる、ということです。

 そこで、この「学退筆談」では、同書に収められた十二章をすべてブックガイドとして読んでみようと思います。

 『史記』の解説があれば『史記』そのものを読んでみる、関連する吉川氏の他の著作も読んでみる、という程度の紹介しか出来ませんが、『読書雑志』から始まる「書物の林」の広がりをお示しできれば、と思います。

読書の学、新『読書雑志』


読書雑志 中国の史書と宗教をめぐる十二章

吉川忠夫氏『読書雑志-中国の史書と宗教をめぐる十二章』(岩波書店、2010)が刊行されました。このブログで初めて新刊書を取りあげます。

『読書雑志』というと、中国学を知る人ならば必ず王念孫(1744-1832)の名著を思い浮かべますが、吉川氏の新著はあえてそれと同名の題を用いたものです。「あとがき」に明らかにされているとおり、これは著者ご自身のご命名ではなく、ご本人は「立派な書名だが、あまりにも立派すぎてとても気恥ずかしい」と語っていらっしゃいます。

この命名については、賛否両論あるに違いありません。はじめ私もいくばくかの違和感をもったのですが、さっそく通読してみて、その上で『読書雑志』という書名をあらためて眺めてみると、これはこれでよいのではないかと感ずるようになりました。

それはどういうことか。王念孫の「読書の学」が、「小学」という宝剣を手にとってひたすら通行本の誤りを正し続け、校勘学に新境地を開いたものであるとするならば、対する吉川氏の「読書の学」とは、史料を博捜した上でそれを丁寧に吟味し、ことばの襞を読み解く、そのような読書を通じて対象を立体的に浮かび上がらせるものと言えそうです。

また、王念孫の文章が明快な考証文であるのに対し、吉川氏の文章は時に陰影に富み、時に熱くほとばしる美しい文学です。

これら鮮やかな対比は、王念孫『読書雑志』と吉川忠夫『読書雑志』の違いを際だたせます。つまり書名が同じであるにもかかわらず、吉川氏の新著は王念孫のものと似ても似つかぬものであるがゆえに、かえってさわやかさを感じさせます。清朝考証学に対する屈折した嫉妬や媚態などは微塵もなく、決して二番煎じではない明朗さを示しているのです。「読書」も「雑志」もそもそも固有名詞ではありませんし、王念孫のものでない「読書雑志」があっても当然よいのだ、と思えてきます。

中国の文学・史学・思想に通じ、さらに仏教・道教にも造詣の深い当世随一の碩学である著者が、博識をひけらかすことは決してせず、それでいて、時にさりげなく、時にはっきりと読書の喜びを表現し、さらなる書物の林へと読者を誘います。ここには吉川幸次郎の「読書の学」が深く根を張っており、家学の確かな存在を感じさせますが、そこにとどまることなく、読書を心から喜ぶ著者の姿が、紙面を通じて読者に迫ることでしょう。これまた読者にとっての、読書の喜びです。「最上の読書のたのしみがここにある」とある帯の文句は、誇張ではありません。

以前に執筆された解説や記事などを集めたものであり、すでに読んだことのあるものが多かったのですが、こうしてあらためて一冊にまとめられた本書を手に取ると、読書の嬉しさがまたしみじみと湧き上がります。