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『辞海』編纂雑談


『辞書研究』1979年2期号に載せられている「《辞海》编纂杂谈」は、『辞海』の修訂にたずさわった方々が寄稿した短文を集めたものです。

  • 综合性辞书浅谈 舒池
  • 辞书编纂中的平衡问题 严庆龙
  • 从一枚金币看作者的辛勤劳动 肖岚
  • 编辞书和查资料 陈光裕
  • 关于”中国”一词的含义 朱方
  • 要让客观事实讲话 陈炳
  • 这也是”水分”! 王自强
  • 怎样介绍科学家 秦振庭
  • 从”福”字说起 卢润祥

面白いもの、面白くないもの、入り交じっていますが、この中で最も印象深かったのは、陳炳氏の「客観事実に話をさせるべし」という一文です。四人組が「堅持革命大批判」のスローガンのもと、『辞海』にきわめて劣悪な影響を与えたとして、「四人組の極左路線の暴威のもと、『辞海』修訂稿には、むやみに批判が加えられるという現象が出現し、「穿靴戴帽」(他人に罪を着せること)がきわめてひどかった」と言い、さらに次の例を挙げます。

たとえば、「劉復(劉半農)」条の釈文の、その中の一段に、「未定稿」では「若い頃には『新青年』の新文化革命運動に参加した。初期の詩作には反封建の傾向があり、詩の形式は民歌の模倣を狙うものであった。後に、思想が保守に向かった」とあった。

しかし、1974年に「語言文字分冊」を修訂した時、時勢に迫られ、「後に、思想が保守に向かった」という部分を「後に思想が後退し、孔子を尊敬し経書を読んだ」と変更した。

もともとは「保守に向かった」といったに過ぎず、とても軽いものであり、「保守」というのも、彼が若い頃に敢えて露骨に革命活動に参加したことや革命の同志たちとともに闘争の前列に立ち、突撃して敵を倒したことと、比較してそういったに過ぎない。それなのに、彼に「孔子を尊敬し経書を読んだ」などというレッテルを貼り、「後退した」などと汚名を着せたことで、性質が変化したのだ。

この変更に、劉復(1891-1934)の娘、劉小蕙が反応して手紙をよこし、「一字の違いには、万鈞の重さがあり、その影響は莫大だ!」と批判した、ということです。そして、父親が決して「後退」していなかったことを、証拠立てて主張した、とその内容を伝えています。

『辞海』の修訂作業において、政治の影響を最も露骨に受けたのは、「穿靴戴帽」の面であったらしく思われます。「穿靴」(「穿小靴」)とは、無理矢理に小さな靴を履かせること、つまり無理に貶めて政敵を苦しめること。「戴帽」(「戴帽子」)は、帽子をかぶせる、つまりレッテル貼りをすること。これらの言葉は、『辞書研究』のこの号に頻出します。それが、『辞海』修訂の一面であったことは疑えません。

それに対して、実害を被ったのは、立項された人物の親族、学生、関係者であったにちがいありません。劉復の例は、そのことを如実にあらわしています。

この陳氏の文以外にも面白いものがありました。単に「中華人民共和国の略」と言って済ませられない「中国」の語の記載をめぐる朱方氏の考察。また、「福」の字に迷信的な要素があるからといってそれを隠すべきでない、風俗を乱すことを恐れて「面首」(意味は各自、お確かめください)という語を載せないのは誤りだ、と述べた盧潤祥氏のものなどが勉強になりました。特に後者には、気骨を感じました。

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『辞海』はどのように修訂されたか?


羅竹風「《辞海》怎么修订的?」(『辞书研究』1979年第2期)は、『辞海』修訂の経緯を記録した歴史の証人です。羅竹風氏(1911-1996)は、中国の言語学者、『辞海』修訂の常務副主編で、後に『漢語大詞典』の主編も務められた、とのことです。

1957年に毛沢東が修訂を命じて以来、22年の時を経て、『辞海』修訂本は1979年に完成しました。羅氏は、この22年を次の3期に分けることができると言います。

  • 第1期(1958-1965):16冊からなる「試行本」が出版される。さらに全国から意見を集め、2巻本の「未定稿」(内部発行)が出版される(1965年)。作業は順調に進んだが、一部、「極左思潮」による妨害をうけ、正式出版にこぎつけることはできなかった。
  • 第2期(1966-1976):文革期。「『辞海』未定稿は古今内外の封建思想、資本主義、修正主義を集大成した大毒草だと誣告され、十八層の地獄となり、すべての罪名がその書にかぶせられ、あたかも人間界の罪悪の淵藪となってしまったかのよう」であったという。四人組及びその手下たちの陰謀による被害は甚大なものであった。
  • 第3期(1977-1979):華国鋒による四人組粉砕の後、『辞海』出版の希望も見えてくる。1978年12月、上海市委は「辞海編委会」の恢復と充実を決定し、予定より早く、9ヶ月の作業を経て、『辞海』修訂本が完成する。

羅氏は言います。

二十二年来、『辞海』の修訂作業は、曲がりくねった「之」字形を進んだ。それはまったく、祖国と人民が歩んだ曲がり道を反映してもいる。しかし何であれ、真実がこの手中にあるならば、向かうところ敵なしなのであり、戦って負けなしの偉大な力となるのだ。悠久の歴史の発展という観点からはかるなら、「四人組」の災いなんてごくごく短い一瞬に過ぎず、蟷螂の斧が車に立ち向かうように、うまくゆくはずはなかったのだ。

興味深いのは、羅氏自身の自問、「毛沢東同志は、なぜ『辞海』修訂の任務を上海に委ねたのか?」という問題です。これに対する羅氏の自答は、必ずしも明瞭なものではありません。しかし完成に及んで、羅氏の心に去来するのは「毛沢東の意図」であった、それが根深く内面化されていた、このことの重みを読み取るべきでしょう。四人組の跋扈の背後に存在したのは毛沢東であったはずなのに、羅氏の思考は、「善き毛沢東と悪しき四人組」、という構図から離れることはなさそうです。そして、それは羅氏に特有なものではなく、『辞書研究』を見る限り、多くの人に共有された思考のようです。これは微妙な問題ですから、部外者が騒ぐことではないかも知れませんが。

それにしても、純然たる学術著作と見えるひとつの辞書の背後に、これだけ大きな「政治」の問題が存在していたことに、あらためて驚きの念を禁じ得ません。中国において知識人であることの難しさを考えさせます。

『辞海』修訂始末


民国時代、上海にあった中華書局から出版された辞典、『辞海』。1915年から編集が開始され、1936年に至って完成を見ました。時は移って、解放後の1957年、毛沢東は、上海に命じて『辞海』の修訂をさせる決断をしました。

それから22年後の1979年、『辞海』修訂本は完成し、上海辞書出版社から出版されました。その後も定期的に内容の更新がなされていますが、1979年修訂版こそ、我々が日用している『辞海』のもとです。

『辞海』修訂の経緯について、恥ずかしながら、私はまったく無知でした。それが、先日、唐作藩氏の論文を調べるために『辞書研究』(上海辞書出版社)という雑誌のバックナンバーを見ていたところ、唐氏の論文も載る『辞書研究』1979年2期号こそ、『辞海』の修訂を記念した特集号であることを知りました。

  • 出好辞书,为四个现代化服务:祝贺《辞海》1979年版诞生 本刊评论员
  • 《辞海》怎么修订的? 罗竹风
  • 解放思想是加速《辞海》出版的推动力 束纫秋 徐寿明
  • 尊重历史,实事求是 郭加复
  • 《辞海》编纂杂谈
    • 综合性辞书浅谈 舒池
    • 辞书编纂中的平衡问题 严庆龙
    • 从一枚金币看作者的辛勤劳动 肖岚
    • 编辞书和查资料 陈光裕
    • 关于”中国”一词的含义 朱方
    • 让客观事实讲话 陈炳
    • 这也是”水分”! 王自强
    • 怎样介绍科学家 秦振庭
    • 从”福”字说起 卢润祥
  • 试论辞书的政治性 巢峰
  • 坚持辞书的科学性 徐庆凯
  • 知识性:辞书的中心 杨祖希
  • 谈辞书的稳定性 冯英子
  • 辞典要有简明性 池哲
  • 选词十忌 王芝芬
  • 综合性辞书的体例 严霜 王自强

ここに挙げたもの以外にも、唐氏の論文を含め、直接間接に『辞海』修訂を記念した論文が並んでいます。これらを通覧すると、上海の知識人たちがどのような思いで『辞海』を修訂したのか、その間の22年、彼らがどのような苦難を体験したのか、如実に知ることが出来ます。

なかでも、羅竹風氏の「『辞海』はどのように修訂されたか?」は、それをもっともはっきりとつづった文章です。次回、その内容をご紹介します。

ついでながら、『辞書研究』の創刊号は、1979年1期ですから、この雑誌自体、自社で出版した『辞海』修訂本の出版を契機としていることが分かります。この雑誌は、今もなお刊行が続けれらています。

*『辞書研究』(《辞书研究》)、上海辞書出版社、1979-。 Webcat所蔵館は42館。