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『辞源』第3版、出ました!


ciyuan待っておりました!待ちに待った『辞源』第3版が昨年10月に出版され、ようやく入手することができました。

辭源
何九盈, 王寧, 董琨主編 ; 商務印書館編輯部編,商務印書館, 2015.10
第3版

過去にこのブログでも何度か書いたとおり、わたくしは『辞源』修訂版(すなわち第2版)の愛用者です。第2版が出たのは1979年のこと。それから36年後、こうして第3版が刊行されたことは、実に喜ばしいことなのです。

第2版と第3版との比較については、しばらく利用してみてからご報告することになりそうですが、音に関する改善があったのは、確かなようです。中古音の反切と現代音との対比が、第2版では不明瞭なところがありました。

たとえば第2版では、「易」字の場合、yìという現代音に対し、まず「羊益切,入,昔韻,喻」という中古音を示し、その下に幾つかの義項を並べ、さらに「以豉切,取寘韻,喻」という中古音を示し、その下にまた幾つかの義項を並べています。字義の解説のあと、「易」から始まる熟語を列挙しますが、それが入声音なのか去声音なのか、区別がなされていません。

中古音が異なっても現代音では合流している場合には区別しない、という方針だったわけですが、これは不適切な処置といえましょう。第3版では、この問題点が解消され、中古音の反切と現代音との関係が明瞭になっています。前言に、「設立審音組,專司其職」とあるように、音に関してかなりの向上が見られるようです。

weiyu.JPGまたこれまで『辞源』は百科辞典的な項目について、若干弱く、ライバルの『辞海』に譲るところがありましたが、これも力を入れて増強してある様子です。同時に、これまで少なかった挿絵もかなり増やしてあり、眺めて楽しい本に仕上がっています。

214の部首、14210の字、92646の詞で、1200万字、4767ページの巨冊で、1000幅の挿絵を入れたとのこと(「第三版前言」より)。しばらく、楽しい時間を過ごすことができそうです。

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父か子か


 田忠侠氏のひそみにならい、昨日気づいた『辞源』の誤りを一つ。

 愛用の『辞源』(合訂本)で「鴻荒」の語を調べました。意味は「謂太古,混沌初開之世」とあり、さらに書証が二つ、揚雄『法言』と、そして「魯靈光殿賦」が挙げてあります。

『文選』王文考(逸)「魯靈光殿賦」:“鴻荒朴略,厥状睢盱。”

 さて、『文選』は先秦から六朝までの名家によって著された、韻文・散文の珠玉を集めたものですが、作家の名前は、基本的に姓と字(あざな)で記してあります。姓と名でしか、その人物の名前を知らない場合、案外、不便です。そこで、唐の李善がとても丁寧な注を付けてくれています。たとえば、『文選』冒頭の作品は「班孟堅」による「兩都賦」ですが、この人物に対し、李善は「范曄『後漢書』曰:班固,字孟堅,北地人也。……」と『後漢書』を引いて解説します。これで、「班孟堅」が班固であることが分かるという算段です。

 では、『文選』巻十一に収められる「魯靈光殿賦」の作者、「王文考」は誰なのか? 李善注を見てみましょう。

 范曄『後漢書』曰:王逸,字叔師,南郡宜城人也。子延壽,字文考,有雋才,遊魯作「靈光殿賦」。後蔡邕亦造此賦,未成,及見延壽所為,甚奇之,遂輟翰而止。後溺水死,時年二十餘。
 范曄『後漢書』に曰く:王逸,字は叔師,南郡宜城の人也。子の延壽,字は文考,雋才有り,魯に遊びて「靈光殿賦」を作る。後に蔡邕も亦た此の賦を造るも,未だ成らず,延壽の為す所を見るに及びて,甚だ之を奇とし,遂に翰を輟めて止む。後に水に溺れて死す,時に年二十餘なり。

 落ち着いて読めば、「魯靈光殿賦」の作者が、王逸の息子の王延壽という人物であることが分かります。ところが、『辞源』のこの条を書いた人が慌てていたのか、出だしに「王逸」とあるのに飛びつき、「王文考(逸)」という事実に反する記載が生じたのでしょう。

 この「魯靈光殿賦」はたいへんに有名な作品で、建築を描写した作品としては、中国史上、最高のものです。王延壽は早くに亡くなったため、わずかにこの賦によって知られるのみですが、それさえも有名な父親の手柄とされてしまっては、さぞかし無念なことでしょう。

横書きゆえの誤り


 先日、このブログで取り上げた『辞源通考』(福建人民出版社, 2002)には、「技術失誤挙例」という部分があり、『辞源』第1冊には64条、第2冊には47条、第3冊には97条、第4冊には66条と、『辞源』の単純な誤りを指摘しています。

 この「技術失誤挙例」を使って、愛用の『辞源』を訂正してみました。「吉」の音が”ji4″となっている(正しくは”ji2″)ことなど、はっきりとした誤りも多く、訂正は有益でした。そこでひとつ、『辞源』の面白い誤りを知りました。

 それは、「産業」の項目に引かれている『史記』六九、蘇秦列傳の引用です。正しくは「今子釋本而事口舌,困不亦宜乎」とあるべきなのに、「口舌」の二字が、なんと「咶 (口偏に舌)」一字となっているのです!

 これは、縦書きならば決して起こらない類の誤りです。横組みでは、しばしば生じる誤りですが、まさか『辞源』修訂本にそれがあるとは思いませんでした。

 ちなみに、「口舌」の項にも蘇秦列傳の同文が引用されていますが、そこでは誤っていません。

『辞源通考』


田忠侠氏(1938-)の『辞源』研究は、『辞源考訂』(東北師範大学出版社,1989)、『辞源続考』(黒龍江人民出版社,1992)の二書を経て、『辞源通考』(福建人民出版社,2002)へと結実しました。

 第一の『辞源考訂』で指摘された『辞源』の問題点は、1103点。
第二の『辞源続考』では、1722点。
第三の『辞源通考』では、7175点。

このうち最も新しい『辞源通考』は、前二書の成果を取り入れ、新たに4350点の考証を加えて、集大成としたものです。

田氏の方法は、『辞源』の誤りや不適切な部分を指摘し、入念に検討するというものです。「これを愛することいよいよ深く、これに求むることいよいよ切なり」(『辞源通考』緒論)というわけで、愛するがゆえのことです。問題の条数は7175条ですが、まとめていうと次の15点、とのことです。

  1. 「立目失当」。立項が不適切。
  2. 「音項残缺、致音義不符」。音の項目が欠けており、音と義とが符合しない。
  3. 「釈義欠妥」。釈義が適切でない。
  4. 「釈義不全、或義項闕失」。釈義が完全でない、あるいは義の項目が欠けている。
  5. 「徒挙書証、或概述典故、而失注語義」。ただ書証を挙げたり、あるいは典故を大体述べるだけで、語義の説明がない。
  6. 「溯未及源」。源にまで溯っていない。
  7. 「書証与詞目、釈義不相応」。書証と詞目、釈義とが符合していない。
  8. 「書証時代、作者、書名、巻次、篇目誤称」。書証の時代・作者・署名・巻次・篇目が誤っている。
  9. 「妄改古書、強経合己、不務我注六経、乃欲六経注我」。勝手に古書を改め、本文を自分に合わせて、自分が書物に注釈するのでなく、書物の方が自分に注するような態度をとっている。
  10. 「書証引文不確」。書証の引文が不正確。
  11. 「引書軽視虚詞、時或奪誤」。書物を引用する際、虚詞を軽視し、時として誤りがある。
  12. 「引古書誤施標点」。古書を引用する際、誤って標点を施している。
  13. 「行文失于縝密」。文章が緻密さを欠く。
  14. 「釈文体例不一、亟待厳明」。釈文の体例が一貫しておらず、すぐにも厳格化・明確化する必要がある。
  15. 「技術失誤」。技術上の過誤。

これだけの数の「誤り」があるとすると、『辞源』とはたいへん問題の多い辞書なのではないか、と思われるかもしれません。しかし、それは本書『辞源通考』を見ていただければ分かることですが、すべてが『辞源』の誤りというようなものではなく、むしろ、中国文献学の豊穣さゆえ、多くの問題が潜んでいることを浮き彫りにしていると思われます。

田氏の考証も、すべてが絶対に正しいというわけにもいかぬようですが、これほど多くの問題点を指摘できるだけでも、特異な才能と言うべきでしょう。

*『辞源考訂』(東北師範大学出版社, 1989) Webcat所蔵図書館は11館。
*『辞源続考』(黒龍江人民出版社, 1992) Webcat所蔵図書館は28館。
*『辞源通考』(福建人民出版社, 2002) Webcat所蔵図書館は12館。

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『辞源』を三度、通読した男


世の中、すごい人がいるものです。今日は、『辞源』を三度も通読した人のお話です。

その人は、田忠侠氏(1938-)、現職は黒竜江省文史研究館の館員とのことです。彼は、『辞源』(修訂本)を熱愛し、次のように語っています。

 人の生命、以て誕育し成長し興旺し発達し、乃至は延続するを得て、須臾も或いは離るべからざる者は、布帛菽粟、是(これ)なり。学人、既に学術の王国に居り、新知を求めんが為に、異境を探索し、而して宝山に往き、乃ちその源を究め、その委を竟(きわ)めんと欲さば、必ず『辞源』を検す。則ち『辞源』なる者は、学人の布帛菽粟にして、須臾も或いは離るべからざる者なり。
 その滋養に頼りて、乃ち勇力を獲、宝山に至り、その璞を得るなり、その璞を理(おさ)めて宝を焉に取る。是を以て学術文化、これが為に進歩するなり。則ち『辞源』の人類文化の進歩事業を促進せんが為の功、亦た大なるかな!(『辞源通考』自序)

「人類文化」というのは、いかにも大げさであるにせよ、少なくとも中国文化を学ぶ「学人」にとって、『辞源』が不可欠の「布帛菽粟」であるとは、私も首肯するところです。

しかし、この田忠侠さん、ただ『辞源』を愛用する一読者たるにとどまりませんでした。

 固(もと)より然り、師は完人に非ず、経典も亦た完帙には非ざるも、真理は尤も完善たるを須(もち)いる。後学(わたくし)の『辞源』修訂本、その書におけるや、朝夕に誦悉し、未だ嘗て廃離せず、嘉恵を恭承する者は固より多し、然れども亦た偶々その失を見、即ち幽眇を張皇し、罅漏を補苴し、その逮(およ)ばざるを匡(ただ)し、その完善を臻(いた)さんと欲す。(『辞源通考』自序)

こうして、ついに田氏は『辞源』を通読しつつ、『辞源』のキズを修理しようと思い立ちます。そして、実に三度の通読を果たされたというのです。一度目の通読(1979-1986)の成果として『辞源考訂』(東北師範大学出版社, 1989)を、二度目の通読(1987-1990)の成果として『辞源続考』(黒龍江人民出版社, 1992)、そして三度目の通読(1991-1999)の成果として『辞源通考』(福建人民出版社, 2002)を著されたのです(『辞源通考』緒論による)。

『辞源』を愛し、そして『辞源』を愛しているからこそ、人生の多くを『辞源』の考正に捧げられた、田氏の生き様に、同じ『辞源』修訂本を愛用する者として、深い敬意を抱かずにはおれません。

『辞源』合訂本の思い出


私がもっとも愛する辞書として前回、その名を挙げた『辞源』ですが、これは民国時代に商務印書館が出して以来、長い歴史がありますから、買う時には注意が必要です。

私の推薦している『辞源』は、1979年に出た「修訂本」のことです。それ以前の版、及び台湾から出ているそれらを影印した版は、買わないでください。

1979年の「修訂本」は4冊でしたが、その内容を1冊本にしたのが、くだんの「合訂本」です(1988年が初版。一足早く、香港から1987年に同じ内容の「合訂本」が出ました)。

私はこの「合訂本」を2冊引きつぶし、現在、3代目を使っていますが、製本面から言うと、香港版が一番、長持ちしました。もしコンディションのよい香港版が入手できそうでしたら、お勧めできます。

学部生の頃、初めてこの「合訂本」を買い嬉しくて嬉しくて、毎日、大学に持参していました。ある先生に「『辞源』の1冊本?それだと老眼になった時に困るよ。かさばるけど、4冊本を買うべきだった」と言われました。しかし、当時から、私はその辞書を引きつぶすことを確信していました。

「引きつぶす」といっても、ピンとこないかも知れません。まず、かかっているカバーが破れ、捨てざるを得なくなります。そのうち、堅い表紙が表裏とも外れます。すると、表側の「難検字表」とか、裏側の付録類が1枚1枚外れてゆきます。だんだん薄くなってくるんです。さらに「一」の字の説明とか、索引がとれはじめ、同時に、本が手垢で汚れ、汗臭くなります。こうなると、もう「引きつぶした」状態です。新しい本を購入すべきタイミングと言えましょう。

製本屋に頼んで、ビニールのカバーに付け替えてもらうと、長持ちするかも知れません。一度、試してみるつもりです。

ただ、もしかすると、製本にはこだわらなくてもよいかも知れません。私みたいに『辞源』ばかり引いている人間をあまり見たことはなく、私の使用頻度が多すぎるだけかも知れないので。

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