カテゴリー別アーカイブ: 雑談・雑感

リビネーションとは何ぞや?


狩野直喜『漢文研究法』(みすず書房、1979年)所収の「経史子概要」という文章を読んでいたところ、「リビネーション」という語に出会いました。

易を説くもの、古来幾百家なるかを知らず。……要するに、易は卜筮の書にして、天道を推して人事を明にするにあり。其の起原多くの野蛮人種に行はる「リビネーション」の類にして、極めて、単純なるものなりしならん。(本書、p.124)

「野蛮人種」云々の偏見についてはいま問わないこととしても、「リビネーション」とは何でしょうか?聞いたことのない言葉です。

色々考えて、やっと思い当たりました、英語のdivinationのことだ、と。占い、予言の類のことです。

答えが分かれば何ということもないのですが、しばらく頭を悩ませたのでした。

EKI

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『学術書を書く』


最近、京都大学学術出版会の編集者、鈴木哲也氏とお話しする機会があり、2年ほど前に鈴木氏が書かれた『学術書を書く』を読みました。

『学術書を書く』
鈴木哲也・高瀬桃子 著
A5並製・160頁・税込 1,836円
ISBN: 9784876988846
発行年月: 2015/09

京都大学学術出版会では、博士論文をベースにして全面的にリライトした書物を収める叢書、「プリミエ・コレクション」を出版しており、その編集の豊富な経験を基に、本書は書かれています。

博論を書籍化するためばかりでなく、学術的な著作を目指す多くの人の参考になる書物だと感じました。出版点数ばかり増加して、本が読まれなくなっている今の時代、どうやって読者に読ませるか、そのアイディアが満載されている、楽しい一冊です。

同じ領域を研究している数少ない専門家に読ませるためにではなく、「二回り外、三回り外」にいる読者に読ませる。本書の中に繰り返し説かれていることです。著者にとっては難しいことですが、それをしなければ、広く読まれることはないでしょう。大いに感銘を受けました。

コラムや用語集などを充実させ、書名や章節のタイトルにも気を配るように促すなど、思いもしなかったことが指南されており、参考になります。

学術書というわけではありませんが、現在、学術的な内容を含む書物を書こうとしているので、この『学術書を書く』がよい刺戟になりました。

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日本のことは勉強したくない、という考え


齋藤智寛氏「『万葉集』と中国の思想」(『わたしの日本(ニッポン)学び』東北大学出版会、2017年、所収)を読みました。 個人的に、共感する部分が多く、かつての同僚である齋藤氏への敬愛の念が深まりました。

内容も素晴らしかったのですが、「はじめに」のところで特に心をとらえられました。長い引用になりますが、ご紹介させてください。

筆者は日本で生まれ育ち日本の大学に勤務しているのですが、これまでずっと母語や自国の文化に正面から向き合うことを避け続けており、大学で中国思想という専攻を選んだのも一つには日本のことは勉強したくないという思いがあったからです。筆者にとって、前近代の中国知識人がそうしたように儒家や道家の古典をひもとき、今の中国人が子どもの頃にそうしたように中国の児童書……などを読み、そうして習得した中国語で中国やその他海外の研究者らと議論することには、人生をもういちど生き直すような喜びがあります。中国の伝統思想に関心を持つには人それぞれの動機があり、日本人であれば自らの文化の源流を知りたいという欲求から漢文を読むことも大いにあり得るでしょう。でもわたしは、出来ることなら日本人として中国の古典を読みたくはありません。そうでなく、むしろ日本語が読める中国人のような驚きをもって日本の古典を読みたいと願っています。

齋藤氏のごく個人的な思いなのですが、私にも大いに思い当たるところがあります。決して、中国文化に関心を持つ日本人がみなそうあるべきだ、といった話ではありません。ただ、齋藤氏や私はそうだ、というだけです。

そのことは、ごく個人的な思いなので、わざわざ人に言ったり書いたりする必要もないと思って生きてきましたが、齋藤氏がずばり書いてくださったので、こうして、私の思いを代弁するものとして紹介しました。

講演の記録ですが、その内容も立派なものです。文学・宗教・文化といったものへの繊細な目配りがあり、感慨深く読みました。

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朕の姓は源


清王朝(1644-1912)の皇帝たちは、わが源義経の子孫なのだ。そういう俗説があるそうです。

讃岐の学者、森長見(もり・ながみ、通称は森助右衛門、1742-1794)に、『国学忘貝(こくがくわすれがい)』(天明七年刊本1787)という著作があり、その巻下に、問題の一節があります。

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西土今ノ清編集アリシ『圖書集成』ト號スル書、一萬卷アリ、新渡ニテ、其部ノ内、『圖書輯勘』ト云ヘル百三十卷アリ、清帝自ラ序ヲ製作アリ、其略文トテ「朕姓源、義經之裔、其先出清和、故號國清」トアリ、「清ト號スルハ清和帝ノ清ナリ」ト、或儒、考ヲ加ヘ書ルヲ前年見テ、不審ナリシ。去々丑ノ年、新刻セシ『古文孝經序跋』ノ序二、「『古今圖書集成』一萬卷、寶曆庚辰歲、清客汪繩武齎來其書全套。明和甲申、納之官庫」ノ文アリ。猶亦其書渡リシ實事傳承ノコトアレド、爰二記セズ。サレド右清帝自序アルコトハ、其真偽ヲ不知。kai02

『古今図書集成』に収める『図書輯勘』という書物に、その説が見える、というのですが、上記の文を見れば、長見自身は「清帝自序アルコトハ、其真偽ヲ知ラズ」と、学者らしく態度を保留しています。むしろ、疑っている口吻が感じられます。

これに続く文では、関連する『金史別本列将伝』を引用していますが、それについても長見は「好事虚談」と切って捨てています。そしてこの一節の末に「彌今ノ清ハ、義經ノ後胤ナラバ西土ヲ掌握アリシコト實二快然タル哉」と言います。あくまで「後胤ナラバ」と仮定して言っており、「もしこの説が本当だったら面白い」というにすぎず、長見がこの説を真剣に信じていた形跡はうかがえません。

以上の事を、『国学忘貝』の版本について読んでみたわけですが、種明かしをすれば、狩野直喜『漢文研究法』(みすず書房、1979年、p.61)に、次のような『古今図書集成』へのコメントがあるのを確かめておきたかったのです。

此書は昔は大切なりき。日本にては幕府の紅葉山文庫にありしのみなり。雍正の序に源義経がその祖先なりとありと云ひ、人信じたりき。

ウェブで調べてみると、人気のある俗説らしく、賛成派も反対派もこの『国学忘貝』を盛んに引用していますが、残念ながら転引に転引を重ねているらしく、ほとんどが不正確です(『図書輯勘』の巻数を「三十」とするとか、「清帝」を「乾隆帝」とするとか、森長見がこの説を信じている思っているとか)。一応、原文を引用し、写真もあわせて載せました。考証の一助になれば幸いです。

もとより『古今図書集成』に『図書輯勘』などという書物は引用されておらず、清帝の序も存在しないわけですが、一万巻の大部の書である『古今図書集成』の中にあるのだと、江戸時代の人がでっち上げた法螺話でしょう。

『孝経』を買う人


阿部隆一・大沼晴暉「江戸時代刊行成立孝経類簡明目録」(『斯道文庫論集』14、1977年)は、江戸時代に多数出版された『孝経』の目録として今なお有用なものですが、その緒言に面白いことが書かれています。

『孝経』はたいへんに広く蔵されていて、図書を蔵する機関のみならず、「個人の蔵書家の中にも孝経の蒐集家はかなり見うけられる」として、次のように言います。

その蒐集の動機は必ずしも孝経研究を目的として発しているとは限らない。書物好きは古本屋を廻っては本の山をいじり、店の主人と話し込む、さて引き上げる段になって何も買うものがないと気がひけるので、少し前までは店にごろごろして値の安かった孝経を御愛想に買って帰る。それが幾部かたまると一体孝経にはどの位の版本があるかと蒐集慾が刺戟されて積極的に集め出すわけである。

これはなかなか穿った見方ではないかと思いました。江戸時代から明治時代にかけて、各種各様の『孝経』が出版され、その多くが一冊の薄い本で、手に取りやすく、買いやすい本です。しかもすでに持っている本と同版かと思って買って帰って比べると、版が違う、というようなこともしばしばです。こうしていつの間にか『孝経』のコレクターとなってしまう。あり得ない話でもないようです。

最初は数百円の『孝経』から買いはじめた人も、自分でも気づかぬうちに、古活字版を欲しがるような、そんなコレクターに変貌している。そういうものかもしれません。

日本漢文のなかの固有名詞


『論語義疏』の標点本はいくつかあるようですが、私が最近読んだのは、高尚榘氏のものです。『論語義疏』高尚榘校點,中華書局,2013年。

武内義雄が整理した懐徳堂本に依拠した本であり、かなりよく懐徳堂本の本文を伝えています。附録として、大正十二年(1923)五月に西村天囚(1865-1924)が漢文で書いた序まで載せてあるのもありがたいことです。

その序のなかに、「暨應神朝,百濟獻《論語》,孔子之書,始入我國」とあります。もちろん、応神というのは我が国の天皇の名ですが、標点を見ると、整理者はそれに気づいていないようです。

また、「謹按先皇教育勅語示法後世,炳如日月,其所謂忠、孝、友、和、信,與智能、德器、恭儉、博愛、義勇等條目,皆符於孔子之教」ともありますが、どうも「教育勅語」が固有名詞であることを知らなかった様子です。

標点者はほぼ正確に著者の意図をくみ取っているものの、ちょっとした知識のギャップもうかがわれて、何となく面白く思われました。

さてこそ


前漢の劉安が人を集めて編纂させた『淮南子』(紀元前139年に成書)には、幾つかの邦訳がありますが、その中に、恩師、戸川芳郎先生が、木山英雄氏・沢谷昭次氏とともに訳されたものがあり、平凡社の「中国古典文学大系」に収められています(『淮南子・説苑(抄)』、平凡社、1974)。

この翻訳、文章が個性的で、読む楽しみがあります。虚詞の訳出に工夫があり、たとえば、「是故」を「さてこそ」と訳しています。

泰古二皇,得道之柄,立於中央。神與化遊,以撫四方。是故能天運地滯,轉輪而無廢,水流而不止,與萬物終始。(『淮南子』原道訓)

太古の二皇(伏羲・神農)は、道の急所を把(と)って中央に君臨し、精神を造化とともに游ばせつつ四方を安んじた。さてこそ、あたかも天と運(めぐ)り地と静まり、休みなく流転しつつ万物と消長をともにした。

この「さてこそ」という訳語、前文を受けて、強い語気でもって後文を導く接続の言葉であり、「このゆえに」や「だから」のように、純粋な論理関係を示すものではありません。

日本語の表現としては、古語としてはともかく、現代語であまり見かける表現ではありませんが、古漢語「是故」の一面をうまく伝える訳語だと思い、学生時代、膝を打ったものです。

最近、気晴らしに円城塔氏の小説『道化師の蝶』(講談社文庫、2015。単行本は、講談社、2012)を読んでいると、思いもかけず、その「さてこそ」に出会ったのです。

 「さてこそ以上、さてこそ。まさしくそう思ったとおりに。果たしてやはり。まさしくそう思ったとおりに以上。果たしてやはり以上。さてこそ、の響きがなければ、私はこう書いたりはしなかった。さてこそは何故ここにある。何故こんな機能をもった響きがある。そんな要素が何故許されて、わたしの邪魔をし思考を繋ぎ留め、考えてもいないことを書かせるのか」

これは、本書に登場する友幸友幸という人物の「日記帳の文章からの抜粋」として引用された一節。この部分以外にも、「さてこそ」が繰り返し文中に現れていたので、私は驚きました。それこそ、「さてこそは何故ここにある」と、こちらが言いたいくらいです。「さてこそ」と、こうして再会を果たしたのでした。

友幸友幸のテクストを発見して整理研究し、翻訳する話が、この『道化師の蝶』に見えるのですが、これは私のような文献学の徒には馴染みのある内容です。たとえば次の一節。

これから先も研究が進展するたびごとに新たな発見が行われ、また忘れ去られていくのだろう。友幸友幸の作品群とは、発見されることにより駆動を続ける性質を備えた巨大な装置なのではと考えたくなる。

まるで、中国出土文献の研究状況についての記述かと疑うほどです。

随所にさまざまな洞察も盛り込まれており、久しぶりに楽しい小説を読んだものだと満足しました。

「創造性」を超えて


斯波六郎・花房英樹訳『文選』(筑摩書房、「世界文学大系」、1963年)の月報を眺めていると、高橋和巳「詞華集の意味」という短文に目がとまりました。

私たちは普通、文学という場合、創作を第一義的なものと考えて、古典の注釈やその集大成、詞華集の編纂や民歌採集、あるいは翻訳などを、創作に比肩する重大な表現行為とは考えない。それは文学を表現者の側から、しかもその創造性に重点をおいて考察するヨーロッパ・ローマン主義以後の一つの習性であって、それ自体、近代の精神的特徴の一つとして充分意味をもっているけれども、大きな文化の流れの中に位置する人間のいとなみとして文学を理解する立場からみれば、それはいささか偏狭であるといわざるをえない。

作者の独創性にばかり着目する狭い文学的な価値観に異を唱え、古典の注釈、古典の集大成、詞華集の編纂、民歌の採集、翻訳などの意義に光をあてるものです。高橋氏は、中国文化における「創作以外の表現」につき、漢代にその源流を求めています。

私の考えでは中国文学にあっては漢代においてすでに表現者のありうべき態度はほぼ出揃ったと思う。その一つは、自らの主張を『列女伝』をはじめ、既存の故事逸話の類を再編成することによって主張しようとした劉向の態度、その二は、古典に擬しつつ自らの時代には自らの作りなせる『論語』や『老子』があるべきだと考えそれを実践した揚雄の態度、第三には述べて作らざる志向の極限としての古典注釈およびその体系の中に自己の思念をひそめさせた鄭玄の態度。そしてこれらは、みずからの感受性と才能によって詩文を創作した司馬相如ら文人たちの文学活動と同等に尊い表現行為と見なすべきなのである。

読者論とか受容史とか、小難しいことをいうまでもなく、確かに中国文化の伝統にあっては、古典に新たな力を与えて生き返らせることは、はっきりとした意義を認められてきたものです。その源を漢代に求めたとしても、誤りではないでしょう。ただこれはひとり文学に限った話ではなく、文化全体に及ぶものといえます。

文化の伝統とは要するに、一般読者にとって極端な困難さなく理解しうる精神的遺産と、それぞれの時代における新たな創造の幅であって、古典をそれぞれの時代に蘇らせ、新しい解釈をほどこし、あるいは特定の人にしか見られない厖大な資料を、一つの基本的教養たるべき詞華集にあむことも、ともに秀れた表現行為なのである。

「古典をそれぞれの時代に蘇らせ」ること、これこそ自らの仕事、と、大いに膝を打ちました。

郁達夫の采石磯


田中慶太郎(1880-1951)『羽陵餘蟫』に、郁達夫(1896-1945)の小説が紹介されていました。

郁達夫作の短篇小説『采石磯』は、安徽提督學政朱竹君の幕客として、黄仲則・洪稚存の兩人が竹君の知遇を得て居つた時に、當時考據の大家として盛名隆隆たる戴東原先生が京師から紀曉嵐等諸要人の推薦狀を携へて、長江南岸太平府の學政衙門に朱竹君を訪ね、竹君が大に戴氏を厚遇したのはよかつたが、戴氏が黄仲則の詩を「華而不實」と言つたとか言はぬとかで、黄仲則が大大的犯脾氣して、滿腹の牢騒は發して一篇の名詩となり、それが大江の南北に風誦されるといふ一寸風變りな小説である。

邦文譯もあるから考證考證で肩の凝つた時には讀んで見るのも一興であらう。

但し此小説は戴氏に取つては御迷惑千萬なことであつて、おそらく戴東原先生を胡適博士にたとへ、黄仲則を郁氏自身にたとへたものの樣にも思はれる。 (『羽陵餘蟫』甲部、「禮記正義六十三卷」p.48)

年末から一月いっぱい、苦しんで論文を書いており、先日やっと解放されました。考証、考証で、かなり肩が凝ってしまったので、この『采石磯』を読んでみました。田中氏のいうとおり、まことに「風變りな小説」であり、無理に登場させられた「戴氏に取つては御迷惑千萬なこと」に違いありません。

朱竹君は朱筠(1729-1781)、黄仲則は黄景仁(1749-1783)、洪稚存は洪亮吉(1746-1809)、戴東原は戴震(1724-1777)です。一読して、歴史事実に即したものとはとても思えませんし、戴震が登場するといっても、主人公の黄仲則は戴震に会いもせず、戴氏の言を又聞きして憤っている始末です。何か腑に落ちません。

田中慶太郎と郁達夫。田中氏の方が十数歳、年長ですが、同時代人と言えます。「おそらく戴東原先生を胡適博士にたとへ、黄仲則を郁氏自身にたとへたものの樣にも思はれる」というのも、我々には想像もつかぬことですが、それこそ、おそらく何らかの根拠があることなのでしょう。

なお、小説中で戴震に言わせた「華而不實」という成語は、見ばえはしても中身がない、という意で、『春秋左氏伝』文公五年に基づくもの。甯嬴という人物が陽処父を評して「華而不實,怨之所聚也」と言ったそうです。『国語』晋語五にも似た話が見えています。

古書は古画のごとし


日ごろ愛読している「續積讀日記」に、田中慶太郎(1880-1951)『羽陵餘蟫』(文求堂書店、1938年)についての読書記が載せられました。私も読んでみようかという気になり、いま読み進めているところです。

『羽陵餘蟫』は、書物としての中国古典に関心のある方におすすめできる著作であり、日本語で書かれた漢籍解題として、これほど生き生きとしたものも珍しいのではないでしょうか。ひとつ面白いと思ったのが、偽書について述べられた以下のくだりです。

『左傳』の成立については古來種々の見方があり、殊に清の劉逢祿の『左氏春秋考證』の著述以後、康有爲の『新學僞經考』を始め、或は天文の方面より、或は思想の方面より、或は文法語法の方面より、幾多内外人の研究が發表せられている。

筆者程度の常識だけで本を讀んでゐる者には、どれを讀んでも、讀んでゐる間はいづれも道理が有ると思はれるだけで、判定をする能力が無く見當がつかぬ。

假令ばここに閻立本の繪いた肖像畫が有るとする、古畫のことであるから當然補筆が澤山ある。袖の部分はたしかに元人の筆であると見える。裳から靴のあたりは宋人の筆らしい、しかし顔面はたしかに唐人の筆で、且つ閻立本に非ずともそれに近い年代の人の筆に相違無い。古畫にはこんなものはいくらもある。顔面だけを取あげて唐畫とするのも誤りであらうが、袖だけを取あげて元畫とするのも亦誤りであらう。(甲部、「春秋經傳集解三十卷」、pp.53-54)

『春秋左氏伝』という書物の成立については、さまざまな議論があるが、そんなに簡単に決められるのか、というのが、田中慶太郎の疑問です。

前漢時代以前には、そもそも一つの書物を一人の人物が書くという習慣がありませんでしたから、その成立の過程は入り組んでいます。この点、後世の著作とまったく事情が異なります。書物がいったん成立した後の伝承の経緯はさらにさまざまで、削られたり、書き足されたり、整理されたりということが、しばしば行われました。このような過程をもつ中国の「古書」はかならず慎重にあつかうべきものであり、我々が先般、翻訳した余嘉錫『古書通例』(平凡社、東洋文庫、2008年)には、この事情が詳しく多角的に説明されています。

田中氏が唐の画家、閻立本の絵をたとえ話に出して語るのも、まさしく「古書の複雑さ」です。これは実にうまいたとえだと思いました。古書の成書問題に限らず、単純化された議論にはそれなりの爽快さがあるものですが、本来複雑なものを単純明快にスパッと切ると、そのもの自体が持つよさは損なわれてしまいます。そのような単純化に、田中氏はさりげなく注意を促したわけでしょう。

この一点をもってしても、田中氏の見識の高さをうかがうことができるのです。田中氏のいう「常識」は、当時にあってもまた今日にあっても、得難いものであるように思われます。