長谷部英一先輩の逝去を悼む


 2022年11月24日、長谷部英一氏が逝去なさいました。享年、五十九歳でした。

 長谷部さんは、大分県日出(ひじ)町の出身で、東京大学文科三類に入学、その後、同大学、文学部中国哲学研究室に進学され、さらに同大学院、人文科学研究科中国哲学研究室に学ばれました。1993年から1997年まで東京大学文学部(のち同大学院人文社会系研究科)の助手をつとめ、そして1997年からご逝去にいたるまで、横浜国立大学教育人間科学部にて講師・准教授をつとめられました。専門は中国科学史、特に前近代中国の暦学と医学です。

 長谷部さんは、私にとって素晴らしい先輩でした。私が東京大学の中国哲学の研究室に進学したのは1991年でしたが、その直後から1998年に東京を離れるまで、ずっと長谷部さんのお世話になり通しでした。

 中国の古典を学ぶためには、知るべきこと、学ぶべきこと、読んだり調べたりすべき書物が、あまりにも多くあります。授業時間のうちにそのすべてを吸収することは、学部と大学院修士・博士を通して学んだとしても、到底できることではありません。授業以外の方法で、補う必要があるのです。それゆえ当時、私たち下級生は研究室の大机で予習などの勉強をして、わからないところは、すべて先輩や助手のひとに質問し、教えてもらいながら、一歩一歩進んで行ったのです。そこで私が一番頼りにしていたのが、長谷部さんでした。

 私が何か質問するたびに、非常に親切な先輩である長谷部さんは、研究室や、そこからすぐ近くにあった「漢籍コーナー」から必要な書物を取り出し、ページを開き、指をついて疑問点に答えて、私の蒙を啓いてくださいました。このような毎日の蓄積がなければ、私には中国古典に近づく道すらなかったでしょうし、当然、『中国注疏講義』も書けなかったはずです。

 それ以外にも、たくさんの悩みを打ち明け、愚痴を聞いてもらい、相談に乗ってもらっていました。同じ九州人同士、私は気やすさを感じていました。いまから思えば、非常に得難く、ありがたいことです。大恩人です。先輩は先輩で、なすべきことがほかにいくらもあったのに、私ども後輩のために時間を惜しみなく割いてくれたのですから。

 この感謝の気持ちを十分に表すこともできず、長谷部さんを失ってしまい、本当に残念に思います。昨日、11月27日、お通夜に参列してきました。印象的な美声を聞くことも、もうできません。このようなかたちでの再会となったことは、甚だ苦しいことです。

 長谷部英一さんのご冥福を心から祈っております。

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