間色をめぐって


QmQの日記」というブログに、とても面白い記事がありました。「中国の色彩論――紫は「青と赤」か、それとも「黒と赤」か」というものです。

その記事には、「紫」字の『説文解字』ならびにその段玉裁注への言及がありました。

「紫」の項目の段玉裁(1735-1815)による注が目に入った。これによると、紫は青赤ではなくて黒赤のはずで、青とあるのは誤りだという。

そこで私も段玉裁注を確かめてみました。『説文解字』十三篇上、糸部に「紫,帛青赤色也」とあり、その段玉裁注に、次のようにあります(鳳凰出版社整理本、p.1132)。

「青」當作「黑」。穎容『春秋釋例』曰:「火畏於水,以赤入於黑,故北閒色紫也」。『論語』皇疏、「玉藻」正義略同。此作「青」者,葢如「禮器」注所云秦二世時語,民言從之,至漢末猶存與。許說必無誤,轉寫亂之耳。

段玉裁は、後漢の穎容(あざなは子厳。『後漢書』に伝あり)の『春秋釋例』から引用しています。この書物は中国でも日本でも失われましたが、日本にたまたま残った隋の蕭吉『五行大義』巻三に引用されており、それが寛政十一年(1799)に林衡(はやし・たいら。林述斎。1768-1841)が刊行した『佚存叢書』に収められ、長崎経由で中国に渡ったので、段玉裁が見た穎容『春秋釋例』というのは、その『五行大義』の引用でしょう。

その穎容は、「北の方角に配当される間色は、黒に赤を混ぜた紫である」と言っているわけです。

また、段玉裁が『論語』皇疏といっているのは、『論語』郷党「紅紫不以為褻服(紅や紫のような間色では、普段着さえ作られなかった)」につけられた皇侃『義疏』のことです。ここでは、新しく見つかった写本(慶應義塾大学蔵)から引用しておきます(『慶應義塾図書館蔵 論語疏巻六 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫蔵 論語義疏 ーー影印と解題研究』、勉誠出版、2021年、p.47)。

侃案:
五方正色,青赤白黒黃。
五方間色,綠為青之間,紅為赤之間,碧為白之間,紫為黒之間,流黃為黃間也之【應作流黃為黃之間也】。
故不用紅紫,言是間色也。
所以為間者,穎子嚴云:
「東方木,木色青,木克於土,土色黃,以青加黃,故為綠,綠為東方之間也。
又南方火,火色赤,火克金,金白色,以赤加白,故為紅,紅為南方間也。
又西方金,金色白,金克木,木色青,以白加青,故為碧,碧為西方間也。
又北方水,水色黒,水克火,火色赤,以黒加赤,故為紫,紫為北方間也。
又中央土,土色黃,土克水,水色黒,以黃加黒,故為流黃,流黃為中央間也。」
流黃,黃黒之色也。

これを見ると、皇侃は、穎容の説を引用して間色を論じていることがわかります。

さらに段玉裁は、『禮記』玉藻の正義も同趣旨と述べているので、それも確認します。『禮記』玉藻「士不衣織,無君者不貳采。衣正色,裳間色。」注「謂冕服,玄上纁下。」の正義です。

皇氏云:
「正謂青、赤、黃、白、黑,五方正色也。
不正,謂五方間色也,綠、紅、碧、紫、駵黃是也。
青是東方正,綠色東方間,東為木,木色青,木刻土,土黃,並以所刻為間,故綠色青黃也。
朱是南方正,紅是南方間,南為火,火赤刻金,金白,故紅色赤白也。
白是西方正,碧是西方間,西為金,金白刻木,故碧色青白也。
黑是北方正,紫是北方間,北方水,水色黑,水刻火,火赤,故紫色赤黑也。
黃是中央正,駵黃是中央間,中央為土,土刻水,水黑,故駵黃之色黃黑也」。

この部分の正義は「皇氏」、すなわち皇侃を引用していますが、これは、(一)皇侃『禮記疏』を引用したものか、(二)皇侃『論語義疏』を引用したものか、いずれかの可能性が高いと思われます。

常識的に考えると、(一)なのですが、ただこの文脈では、経文に「裳間色」とあるだけなので、もしかすると(二)なのかもしれません。判断を保留します。

いずれにせよ、この説の淵源は穎容にあり、それを皇侃が引用したものが、『論語義疏』と『禮記正義』に見えている、ということのようです。

『説文解字』に、もともと「紫,帛黒赤色也」とあった、という段玉裁の推測は、穎容の説を踏まえれば妥当であるように思われます。なお段玉裁からすると、『論語義疏』『五行大義』とも、乾隆年間に中国へもたらされた、いわば「新資料」であった、ということを付言したいと思います。

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