『律令国家と隋唐文明』


大津透『律令国家と隋唐文明』(岩波書店、2020年、岩波新書、新赤版1827)を読みました。少しずつ、日本の歴史も勉強しようと思っているのです。

非常に興味深い読み物で、一気に読んでしまったのですが、私が特に面白く感じたのが、第5章「官僚制と天皇」のうち、「「宣」の世界―音声の呪術的機能」という部分です。引用します。

律令制の高度な統治技術としての特色は、文書行政にある。中国で紙に書いた文書による官僚制の運用の高度なシステムが作り上げられた。日本でそれを輸入して(紙の文書だけでなく木簡も含め)文書行政のシステムが成立するが、実際には、口頭伝達の世界が奈良時代においてもなお重要な位置を占めていたことを指摘したのが早川庄八氏である。上に述べたように日常の官司運営でも、長官以下判官以上が口頭で決済をし、それを「宣」といったのである。(pp.103-104)

文書行政では文書を使うのが当たり前とばかり思っていたので、口頭で決済をするとは、虚をつかれた思いです。

さらに天皇の詔勅については、以下のように言います。

公式令は役所どうしあるいは地方から中央への文書書式を規定するが、天皇の詔書だけは、「スメラミコト」の「ミコトノリ」として口頭で「のる」必要があったことを示す。

法という漢字、および類似する令、式、典などの字も、これにあたる日本語・訓は「のり」しかない。法とは、神意を知る大王・天皇によってのられるものだった。(p.104)

なぜ「法」「令」「式」「典」「規」「則」などが、「ノリ」と訓じられるのか。考えてみたこともなかったのですが、本書に教わって、はじめてその意味を知りました。天皇の口から発せられる、「のる」から、というわけです。

『論語』で「子曰」を「し、のたまはく」と訓読するのは、「のりたまはく」の意です。古語の「のる」は「いのる」とも関連し、呪術的な意味をもつ発話行為であることも知ってはいたのですが、律令制度の一翼を担っていたとは迂闊にも気づきませんでした。大津氏が紹介している、早川庄八氏の『日本古代官僚制の研究』(岩波書店、1986年)および同氏『天皇と古代国家』(講談社学術文庫、2000年)の二書も読んでみたいと思います。

また、律令制度とは呼ばれるものの、実は中国の「礼」がその背後にあり、それを日本がどのように受容していったのか、というのが、本書を貫く視点ですが、深く肯かされました。

なお、本書『律令国家と隋唐文明』は、引用と参考文献一覧がしっかり作ってあるので、これがさらなる読書のよい手引きになりそうです。さっそく何冊か買いたいと思っています。

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