正則と変則


 以前、斎藤兆史『英語達人列伝』(中央公論新社、中公新書、2000年)という本を読みました。そこに1896年、有名な正則英語学校を設立した斎藤秀三郎(1866-1929)が、自分の学校に「正則」と名づけた経緯が書いてありました。

この耳慣れない学校名は、斎藤の一番弟子・伝法久太郎の提案によるものだと言われている。伝法が「今迄の英語を変則流と云われるならば、こちらは正則英語ではどうです」と言うと、斎藤は、「アゝ是れなる哉、正則、正則」と答えたという。なんのことはない、店の名物に「元祖」や「本家」をつけるのと基本的に同じ心理である。(p.65)

 これを読んでも事情が分からず、なんとなく不審に思っていました。

 近頃、新刊の金文京『漢文と東アジア-訓読の文化圏』(岩波書店、岩波新書、2010年)を読み、より古い「正則」「変則」の用例があることを知りました。それは、東京大学の前身である大学南校の校則である「大学南校規則」というもので、明治3年閏10月(1970)に発布されました。金氏の書物につぎのように言います。

訓読風の英語学習法は、実際に当時の大学での授業でも行われたらしい。東京大学の前身である大学南校の規則では、英語の授業を正則と変則の二種類にわけ、正則は外国人教師による発音、会話の学習を、変則では日本人教師により、「訓読解意」を主とすることになっていた。(p.82)

 資料を確認すべく、東京大学百年史編集委員会編『東京大学百年史』(東京大学、1984-1987)を繰ってみました。改組の経緯は「通史一」巻の第2章「維新直後の再編と展開」第2節「大学南校・南校とその教育」により知られますが、当面問題となる「正則」「変則」については、「資料一」巻に収める「大学南校規則」の第7条に見えます(p.582)。

第七条 一諸生徒ヲ正則変則ノ二類ニ分チ正則生ハ教師ニ従ヒ韻学会話ヨリ始メ変則生ハ訓読解意ヲ主トシ教官ノ教授ヲ受クヘキ事

但シ正則生既ニ洋学ヲ研究シ独見ノ学力アル者ハ正科ノ別ニ講習ヲ授ケ其学力ヲ助ク初学ニシテ独見シ能ハサル者ハ素読ヲ授ケ教官之ヲ教授スヘキ事

  前述の「大学南校・南校とその教育」によると、大学南校の教育コースには「正則、変則の二種類があった。正則とは外国人教師に従って語学及諸学科を学び、変則とは日本人教官に従って語学及諸学科を学ぶものである。したがって正則の授業はすべて外国語で行われた」といいます。

 大学南校は、普通科と専門科に分かれ、普通科では英語・フランス語の学習以外に、数学、地理、万国史、究理書などを学び、専門科では理科・法科・文科の学科が学ばれました。そういうわけなので、「正則」「変則」の別は、語学の学習だけでなく、すべての科目に及んだことが分かります。

  1879年に東京大学予備門に入学した斎藤秀三郎は、この「大学南校規則」のような意味での「正則」「変則」を当然、知っていたことでしょう。お上の用語を借用して自らの学校に命名したものと私には思えるのですが、如何でしょうか。

  なお、『日本国語大辞典』で「正則」の語を引くと、第2義として「規則にかなっていること。また、そのさま。特に、明治時代、西洋の言語を学ぶ際に、西洋人などについて正しい語学を学ぶこと。これに対して、明治以前の西洋語の学問を変則という」とあり、徳富蘆花「思い出の記」の「駒井先生の英学は正則では無かったが」、夏目漱石『明暗』の「不幸にして正則の教育を受けなかったために」(ただしこれは語学に限らず教育一般のことを指す)などが挙例されています。明治時代には盛んに使われたもののようです。

 変則が大学南校の制度に正式に組み込まれていることを考えれば、「明治以前の西洋語の学問」であるという説明は、やや不正確ですが、いずれにせよ、発音練習を重んじない、「訓読式」の西洋語読解法であったことは間違いないようです。

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