「学術の史」としての目録学


目録学は、劉向・劉歆から始まる長い伝統を持つ学問ですが、二千年にわたるその歴史の中で、多くの学者の力によってさまざまな新しい顔が明らかにされてきました。

その歴史の中で、余嘉錫は、目録学の何を明らかにしたのでしょうか。目録学に対する余嘉錫の最大の貢献は、目録が「学術の史」であると位置づけた点にあるように、私には思われます。

中国には、長い学の伝統があり、その成果としての書物が伝えられてきました。前漢時代の末期、それらの膨大な書物を前にして、劉向たちはそれらの書物からさかのぼって古代の学の姿を明らかにし、さらにその上で、学の伝承がどのように書物の上に反映されているのか、そこまでを論じて目録を書いた。それは、目録の序文として完成された。これぞ「学術の史」と評価しうる、余嘉錫はそのように考えます。

してみると、目録は単なる帳面ではありません。そして目録学は、単なる帳簿の学ではありません。

知凡目録之書,實兼學術之史,賬簿式之書目,蓋所不取也。(《目録学発微》「目録学之意義及其功用」)

このような目録学の見方は、余嘉錫が一人で発明したものではなく、前史があります。まず、章学誠は班固を踏まえて、目録学の意義を「弁章学術、考鏡源流」という二句で総括しました。それをさらに一語で言い表したのが、余嘉錫の「学術之史」であったのです。

班固曰:「劉向司籍,辨章舊聞。」又曰:「爰著目録,略序洪烈。」後之論目録者大抵推本此意。章學誠又括之以二語曰:「辨章學術,考鏡源流。」由此言之,則目録者學術之史也。(《目録学発微》「目録学之体制一・篇目」)

学術をまず腑分けし、それぞれの学派の「源」をつきとめ、さらにはその「流」がどのように展開したのかを詳しく考察する。その責任をもつのが目録編纂者であり、目録はまさにその表現である、と余嘉錫は考えました。「史」官は歴史を記述する任務を負いましたが、わけても、もっぱら学術を記述するのが「学術の史」たる目録家の仕事である、というわけです。

そしてこの任務は、劉向・劉歆父子で終わったわけではありません。歴史の推移とともに、ある学問は途絶し、ある学問は新たに生まれる。そして確実に、学問は日ごとに増えて、また複雑になってゆく。これこそが、後世の目録家が知恵をしぼることになった理由なのです。

また、書籍を管理する立場からいうと、帰属する書物があまりに乏しい分類を設けておくことは、のぞましくありません。しかし一方、「学術の史」の立場からいえば、学の系統の異なるものを一つの分類に収めて涼しい顔をしているわけにもいかないのでしょう。ここに、目録の難しさがある、余嘉錫はそういいます。

藏書之目,所以供檢閲。故所編之目與所藏之書必相副,收藏陳設之間,當酌量卷册之多少厚薄。從來官撰書目,大扺紀載公家藏書,是以門類不能過於繁碎。甲乙之簿與學術之史,本難強合爲一。劉歆七略收書不多,又周秦學術,至漢雖有廢興,而古書尚存,篇卷約略相當,故卽按書分隸,因以剖判百家,尚不甚難。然史附春秋,而詩賦別爲一略,已不能不牽就事實。後世之書日多,而學有絶續,體有因創,少止一二,多或千百,其數大相逕庭。爲書目者,既欲便檢査,又欲究源流,於是左支右絀,顧此失彼,而鄭樵焦竑之徒得從而議其後,亦勢之所必至也。至今而檢査之目與學術門徑之書,愈難強合。(《目録学発微》「目録類例之沿革」)

古く「史」とは、君主の言行を記録する役人の呼び名でした。そういう意味において、「学術の史」とは、王朝の目録を管理する役人にこそふさわしい呼び名といえましょう。余嘉錫自身、清末の科挙官僚であったわけですから、そのような前近代の感覚を引き継いでいた、と評しうるかも知れません。

しかし、それを「古くさい時代錯誤」と切って捨てるわけにもゆきません。書物全体、そしてその書物を成立させている学術の総体を記述しようという意欲。「学術の史」とは、そのような目録家たちの意気込みを実によく表したことばです。いつの時代にも、学術の記述が不要であるはずがありません。それが今の時代にも可能であるのか否か、一考に値するのではないでしょうか。

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