北京大学出版社標点本『礼記正義』巻三十二の校誤


1999年、李学勤氏を主編とする「十三經注疏」の標点本が、北京大学出版社から刊行されました。まず簡体字版が刊行され、翌年に繁体字版が出版されました。私は簡体字版を利用しており、重宝しております。

古典籍を読む時に、どのような本を選んで読むのか、というのは、人により考えの大きく異なるところですが、私は、比較的満足できる整理のなされた本があるならば、なるべくそれを選ぶのがよいと思っております。手際よく整理された本に基づいてこそ、最もはやく、多く読むことができる、そのように考えるからです。

北京大学出版社版の「十三經注疏」も、なかなか便利な本であると思っておりますが、『礼記正義』については、少々、首を傾げるところが出てきました。この頃、『礼記子本疏義』という写本を読んでみたのが契機です。これは、梁の皇侃の説を本として、その弟子の鄭灼という学者がさらに補った、『礼記』の義疏であり、その残巻一巻(巻59)が早稲田大学に蔵せられており、国宝にも指定されています。『礼記』の喪服小記の解釈に当たる部分で、『礼記正義』と照らし合わせることにより、さまざまなことが分かります。

対照するまでもなく分かる誤りもありますが、対照してはじめて気がつく誤りもありました。以下の通り、標点本の誤りを数条指摘いたします。まず北京大学出版社本の標点を示し(表記は繁体字に変更しています)、次に私が正しいと考える標点を示します。標点については青色で、誤字・脱字については赤色で強調しています。

  1. (誤)「“男子免而婦人髽”者,吉時首飾既異,今遭齊衰之喪,首飾亦別,當襲斂之節,男子著免,婦人著,故云“男子免而婦人髽免”者,鄭注《士喪禮》云:“以布廣一寸,自項中而前,交於額上,却繞紒也,如著幓頭矣」。(p.956。台湾芸文本p.589-2)
    (校)「“男子免而婦人髽”者,吉時首飾既異,今遭齊衰之喪,首飾亦別,當襲斂之節,男子著免,婦人著,故云“男子免而婦人髽。”免者,鄭注《士喪禮》云:“以布廣一寸,自項中而前,交於額上,却繞紒也,如著幓頭矣」。
  2. (誤)「婦人之髽,則有三,別其麻髽之形,與括髮如一」。(p.956。台湾芸文本p.589-2)
    (校)「婦人之髽,則有三別,其麻髽之形,與括髮如一」。
  3. (誤)「又鄭注士喪禮云:“始死將斬衰者,雞斯是也”」。(p.957。台湾芸文本p.590-1)
    (校)「又鄭注士喪禮云:“始死將斬衰者,雞斯”,是也」。
  4. (誤)「男子婦人畢去屨無絇」。(p.957。台湾芸文本p.590-1)
    (校)「男子婦人,皆吉屨無絇」。
  5. (誤)「其斬衰,男子括髮齊衰。男子免,皆謂喪之大事斂殯之時」。(p.958。台湾芸文本p.590-2)
    (校)「其斬衰,男子括髮;齊衰,男子免,皆謂喪之大事斂殯之時」。
  6. (誤)「事事得,如父卒為母,故三年」。(p.959。台湾芸文本p.590-2)
    (校)「事事得,如父卒為母,故三年」。
  7. (誤)「今大夫弔士,雖是緦麻之親,必亦先稽顙而後拜,故皇氏載此稽顙,謂“先拜而後稽顙”,若平等相弔,小功以下,皆不先拜後稽顙;若大夫來弔,雖緦麻,必為之先拜而後稽顙,今刪定」。(p.960。台湾芸文本p.591-1)
    (校)「今大夫弔士,雖是緦麻之親,必亦先稽顙而後拜,故皇氏載此稽顙,謂“先拜而後稽顙,若平等相弔,小功以下,皆不先拜後稽顙;若大夫來弔,雖緦麻,必為之先拜而後稽顙”,今刪定」。
  8. (誤)「故略其相親之也」。(p.961。台湾芸文本p.591-2)
    (校)「故略其相親之也」。
  9. (誤)「既義須繼,言不繼祖自足」。(p.965。台湾芸文本p.593-1)
    (校)「既義須繼,言不繼祖自足」。
  10. (誤)「云“此二者當從祖祔食。己不祭祖,無所食之也者」。(p.966。台湾芸文本p.593-2)(校)「云“此二者,當從祖祔食,己不祭祖,無所食之也者」。
  11. (誤)「庾氏云:“此殤與無後者所祭之時,非唯一度四時,隨宗子之家而祭也」。(p.966。台湾芸文本p.593-2)
    (校)「庾氏云:“此殤與無後者所祭之時,非唯一度,四時隨宗子之家而祭也」。
  12. (誤)「“從服”者,按服術有六,其一是“徒從”者,徒,空也,與彼非親屬,空從此而服彼。徒中有四」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「“從服”者,按服術有六,其一是“徒從”者,徒,空也,與彼非親屬,空從此而服。彼徒中有四」。案ずるに『礼記子本疏義』には「徒,空也。與彼非親屬,空從此而服也。彼從中有四」とあります。「彼從」の方がよいように思いますが、『礼記正義』の諸本に「從」と作るものはなさそうです。
  13. (誤)「“屬從”者,所從雖沒也,服此,明屬從也」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「“屬從者,所從雖沒也服”,此明屬從也」。
  14. (誤)「特云“謂若自為己之母黨”者」。(p.967。台湾芸文本p.594-1)
    (校)「特云“謂若自為己之母黨”者」。
  15. (誤)「其士既職卑,本無降」。(p.968。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「其士既職卑,本無降」。
  16. (誤)「故鄭注《士虞記》“尸服,卒者之服,士玄端”是也」。(p.969。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「故鄭注《士虞記》“尸服,卒者之服”:“士,玄端”是也」。
  17. (誤)「按《尚書序》云“成王既黜殷,命殺武庚,命微子啟代殷後,是擇其賢者,不立封紂子”是也」。(p.969。台湾芸文本p.595-1)
    (校)「按《尚書序》云“成王既黜殷,命殺武庚,命微子啟代殷後”,是擇其賢者,不立封紂子,是也」。
  18. (誤)「言親終一期,天道變」。(p.970。台湾芸文本p.595-2)
    (校)「言親終一期,天道變」。
  19. (誤)「“知再祭,練、祥”者,下云:“主人之喪有三年者,則必為之再祭。朋友虞祔而已。”再祭非虞、祔」。(p.971。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「知“再祭,練、祥”者,下云:“主人之喪有三年者,則必為之再祭。朋友虞祔而已。”再祭非虞、祔」。
  20. (誤)「皇氏云:“死者有三年之親,大功主者為之練、祥。若死者有期親,則大功主者為之至練。若死者但有大功,則大功主者至期,小功、緦麻至祔。若又無期,則各依服月數而止。”故《雜記》云:“凡主兄弟之喪,雖疏亦虞之。”謂無三年及期者也」。(p.971。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「皇氏云:“死者有三年之親,大功主者為之練、祥。若死者有期親,則大功主者為之至練。若死者但有大功,則大功主者至期,小功、緦麻至祔。若又無期,則各依服月數而止。故《雜記》云:“凡主兄弟之喪,雖疏亦虞之。”謂無三年及期者也。”
  21. (誤)「而“父稅喪已則否”者」。(p.972。台湾芸文本p.596-1)
    (校)「“而父稅喪已則否”者」。
  22. (誤)「若此親死」。(p.972。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「若此親死」。
  23. (誤)「若君未除,則從服之」。(p.972。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「若君未除,則從服之」。
  24. (誤)「比反而君親喪」。(p.973。台湾芸文本p.596-2)
    (校)「比反而君親喪」。

まだ作業の途中ですが、備忘のために書いておきました。この記事は、随時、内容を追補する予定です。

【追記】2012年10月29日、数条を補いました。

【追記】2012年10月30日、数条を補いました。

【追記】2012年10月31日、数条を補いました。

“北京大学出版社標点本『礼記正義』巻三十二の校誤” への 4 件のフィードバック

  1. 古勝 隆一先生
                            2012年11月2日
    前略。
    ◎№4「皆吉屨無絇」。№7「皇氏載」・№20「皇氏云」。№6「事事得申」。
    №4(校)「皆吉屨無絇」を繁体字版は「皆去屨無絇」としています。「吉屨。旧时送葬者所着之麻鞋(『漢語大詞典』Ⅲ-P.97)」という物があるんですね。校定の根拠は『儀礼』鄭注「吉屨無絇」ですか。
    また、『玉函山房輯佚書』は『礼記皇氏義疏』の佚文をそれぞれ、№7「此稽顙」より「必爲之先拜而後稽顙」に至るまで、№20「死者有三年之親」より「謂無三年及期者也」に至るまで、として輯めています。
    ところで、№6「事事得申」とすると、どういう意味になるのでしょうか。
    なお、大坊眞伸という方の「『礼記子本疏義』と『礼記正義』との比較研究」という論文もありました。大東文化大学漢学会誌 43, 79-110, 2004-03-10
    http://ci.nii.ac.jp/els/110004726927.pdf?id=ART0007470652&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1351820451&cp=
    藤田 吉秋

  2. 藤田さま

    書物に当たってくださいまして、まことにありがとうございます。今回は、単純に芸文印書館(民国49年)の影印本と比較したのみで、それ以外の文字の異同については触れていません。4番の「吉屨」も芸文影印本でそうなっております。
    引用がどこまで続くのかについては、一般的に言って判断が難しいと思いますが、この本の整理には少々問題がありそうです。
    「事事得申」は、「いちいち述べることが許されるならば」という意味かと考えました。なお、この句は、『礼記子本疏義』にも見えております。
    大坊氏のご研究は読ませていただきました。ご紹介、感謝いたします。

    学退上

  3. 古勝 隆一先生
                            2012年12月7日
    ◎№10(校)「云“此二者,當從祖祔食,而己不祭祖,無所食之也者」。
    繁体字版は「而己不祭祖」に直っています。
    王鍔氏の「三種『禮記正義』整理本平議——兼論古籍整理之規範」(本文原刊於『中華文史論叢』2009年第4期)には、
    1,龔(抗雲)本(北京大学・1999)
    2,田(博元)本(台湾新文豊・2001)
    3,呂(友仁)本(上海古籍・2008)
    の3種を比較し、凡例、底本の選択、標点、校勘に就いて、それぞれ「呂本的整理原則,不僅符合古籍整理規範,而且有利於『禮記正義』的整理」、「呂本以八行本『禮記正義』爲底本,整理工作的先天的優勢是不言而喩的」、「總體而言,呂本標點,顯然優於龔本和田本」、「就『禮記正義』之校勘而言,呂本也遠優於龔本、田本」などと呂本を高く評価しています。しかし、呂本(田本も)は、「己」を「已」として、鄭注・孔疏を「此二者、當從祖祔食而已。不祭祖、無所食之也」と句切っています。孔疏には「己不得祭父祖」、「己不得自祭之也」、「己不得祭祖」などと記され、『礼記子本疏義』も「己」と読んだようですが、万が一にも、鄭氏の「此二者、當從祖祔食而已」と注した「已」を後生が「己」と誤って読んだ、ということはないでしょうか。
    *王鍔「三種『禮記正義』整理本平議」
    http://www.jianbo.org/showarticle.asp?articleid=1889
    ◎№11(校)「庾氏云:“此殤與無後者所祭之時,非唯一度,四時隨宗子之家而祭也」。
    繁体字版は「非唯一度四時」のままですが、田本、呂本ともに「非唯一度,四時」と句切っています。『中華文史論叢』は上海古籍(系)の雑誌だそうですが、一長一短ということでしょうか。藤田 吉秋

  4. 藤田さま

    詳しくご検討くださいまして、まことにありがとうございます。

    実は、王鍔先生、学会などでいつもご一緒させてもらっており、よく存じ上げておりまして、また、ご指摘の「三種『禮記正義』整理本平議」を書かれていることも知っておりました。礼の研究分野では、たいへんに優れた方です。ただ性分なのでしょうか、私は版本の比較などは、自分で手を動かしてみないとよく理解できないところがあり、まず喪服小記の正義については自分でやってみたところでした。先行研究として、王氏のものを挙げるべきこと、ご指摘の通りです。

    王氏の言われる通り、上海古籍の『礼記正義』標点本の優位は確かにあると思います。ただ私としては、十三経注疏の場合は、それ全体をひとまとまりのものとしてあつかいたいと思っており、阮元本を底本にした北京大学出版社版は、その点でよいと思っております。いずれにせよ、複数の整理本を比較できるのは、ありがたい話です。

    「而己不祭祖」の部分、やはり私はそちらが正しいと思っております。「己」「已」「巳」の区別は、底本とした写本版本などの字の形に関わらず、整理者の権限で判断してよいので、文脈を重視することになります。そうなると「己」が比較的よいと思うのですが。

    今回も詳しくご検討くださいまして、ありがとうございます。心より感謝いたします。

    学退上

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