巻子本『礼記子本疏義』に見える避諱字(続)


先日、「巻子本『礼記子本疏義』に見える避諱字」と題して短文を書きましたが、その後、次の研究を読み、考えを改めました。

山本巖「礼記子本疏義考」(『宇都宮大学教育学部紀要』第37号第1部、1987年)

この論文の中で、『礼記子本疏義』に梁の武帝の諱、「衍」を避けていることを、山本氏はすでに述べられていました。

疏義は、梁の武帝蕭衍の諱も避けている。生不及祖父母節の疏文「劉智以弟為長字」の「長」を孔疏は「衍」に作っている。疏義は、「劉除字、是不附於文、則為未善」とも言っているので、「長字」が「衍字」の謂であることは、明らかである。(注1、28頁)

山本氏はそれ以外に、『礼記子本疏義』において、陳の高祖、陳霸先の「先」字が避けられていることを指摘されています。確かに『礼記子本疏義』では「先」字に代えて「前」字が多く用いられており、この点は、私も気になっており、避諱かどうか、迷っていたのですが、あらためて見直したところ、山本氏の指摘なさったとおり、陳霸先の「先」字を避けたものと考えるべきと考えるにいたりました。

「陳の皇帝の諱は避けていない」とした、羅振玉の説は、山本氏の指摘に従い、訂正されるべきでした。

さて、この写本が梁の武帝の「衍」字を、そして陳の武帝の「先」字を避けている、ということは、何を意味するのでしょうか。この『礼記子本疏義』は、梁の皇侃の疏を本に、その弟子の鄭灼が説を補ったものでした。同書は、大部分を皇侃の疏に拠っているので、皇侃の用字をそのまま鄭灼が襲ったことが、まず推測されます。その上で、鄭灼はさらに陳の時代に入って、「先」を「前」と変更した、そのように一応、考えることができます。

巻子本『礼記子本疏義』が梁の時代の写本である、という説は、撤回せねばなりません。「先」を避けている以上、それは成り立ち得ません。しかし、陳の時代の写本という可能性は、あり得るのではないか、そのように、今も考えております。

“巻子本『礼記子本疏義』に見える避諱字(続)” への 3 件のフィードバック

  1. 学退先生の本件に関するブログの内容を先輩に紹介しました。
    先字の避諱に関してはこちらでは知られているようですが、衍字に関しては知られていなかったようです。
    また、声点の存在にも驚いていました。影印本は二種類あるそうで、コロタイプのものはこちらでは見られないとのことでした。もう一つの影印本では判読できないそうです。
    先生にはこれらの問題をまとめて文章にして下さるとありがたいです。

  2. whitestonegさま、コメントお寄せくださいまして、まことにありがとうございます。

    先日、南京にて域外漢籍のプロジェクトをなさっている先生がこのブログをお読みになり、メールをくださいまして、「この件に関する原稿を書かないか」とお誘いくださいました。少しまとめて、そちらに寄稿すると約束しました。出版はちょっと先になりそうです、少々お待ちください。

    先輩にもよろしくお伝えくださいませ。私の先輩でもある、あの方でしょうか?

    末筆ながら、ご研安をお祈りいたします。

    学退復

  3. 先輩というのはこちらのポスドクの方で、東京に来たことはありますが、京都には来たことはないので、多分御存じないと思います。
    論文を楽しみにしています。

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